納得できるような、できないような…。
我々の周りには実にたくさんの人々が、
それぞれの人生を歩んでいる。
そしてそれぞれの人がそれぞれの話題をもって、
まわりの人と会話を行っているのだが、
少し冷静になるとおもしろいことに気づく。
きっと半分より多くの人に当てはまるのではないか。
「自分のことを話すのに必死で、
相手が何を言っているかを何も聞こうとしない人」である。
「人の話を最後まで聞けない人」も実に多い。
明日にでも、意識して観察していただきたいが、
終始、聞き手にまわることのできる人は実に少ない。
高い家賃を払って、店を借り、商品を上手に仕入れ、
人目をひくようにウインドウを飾り立て、
広告に多額の経費を使いながら、
よき聞き手としてのセンスに欠けた店員を
雇う経営者がいくらでもいる。
客の話の腰をおり、
客の言葉に逆らって怒らせるなど、
客を追い出すに等しいことをする店員を
平気で雇っているのだ。
カーネギーも上記のように指摘した上で、
以下3つの注意点をあげている。
- 客の話は初めから終わりまでしっかりと聞く。
- 話が終わったら、店員たちは客の立場にたって討論すべき。
客に満足を与えないような商品を置いていること自体が
問題である点に気づくべき。 - どうしたらよいのか、客にはっきりと聞く。
多くの場合、注意深く相手に耳を傾けないからだ。
自分の言おうとすることばかり考えていて、
耳が留守になっている人が多い。
お偉い方はとかく話し上手よりも聞き上手な人を好くものだ。
しかし、聞き上手という才能は、
他の才能よりもはるかに得がたいもののようである。
人に嫌われたかったり、
軽蔑されたかったりしたら次の項目を守ればよい。
- 相手の話を決して長くは聞かないこと。
- 終始自分のことだけをしゃべること。
- 相手が話している間に何か意見があれば、
すぐに相手の話をさえぎること。 - 相手はこちらよりも頭の回転が鈍いと考えること。
自分のことだけしか考えない人間は、
教養のない人間である。
たとえ、どれほど高い教育を受けていても、
教養が身につかない人間である。
コロンビア大学の総長ニコラスバトラーを引用して曰く、
話し上手になりたければ、聞き上手になることだ。
興味を持たせるためには、まずこちらが興味を持たねばならない。
相手が喜んで答えるような質問をすることだ。
相手自身のことや、得意にしていることを話させるように仕向けるのだ。
あなたが話しをする相手は、
あなたのことに対して持つ興味の百倍もの興味を、
自分自身のことに対して持っているのである。
中国で百万人が餓死する大飢饉が起こっても、
当人にとっては、自分の歯痛の方がはるかに重大な事件なのだ。
私は自分自身が聞き手にまわっていることが多いと思う。
そしてそれは私の武器でもあると思うのだが、
今の世の中、「聞き手であり続けること」が必ずしも正しいとはいえないとも思う。
相手の話をうまく租借して、
自分の意見を明確に相手に伝えてこそ、
質の良いコミュニケーションが成立すると考えるのは、
決して私だけではないはずだ。
しかし、この租借して意見を伝えることが、
実に困難なプロセスなのであるから、
カーネギーの本を読んでも、
「はて、いったいどうしたものか…」というのが正直な気持ち。
きっとこれは死ぬまで悩み続ける人生の課題なのかもしれない…。
次回のトピック: 「人を動かす 6」
9/4 エクササイズ: ウォーキング 079/150
9/8 エクササイズ: ウォーキング 078/150
いつも面白い記事、楽しみにしています。
婚約中の彼が社費でMBA留学の勉強中なので、
「MBAって具体的にどんなことをするのだろう」と
internetで調べていてこのブログに出会いました。
過去の分から読ませて頂きましたが、kafsさんのブログを通じて、
彼がいつも話していることや悩んでいること、
少し理解できたように思います。
記事に関係ないコメントですみません。
kafusさんの考え方にはすごく共感しますし、
色々な事を教えてもらっています。
これからも楽しみにしています(^^)