風に訊け

日々の考え、趣味のサッカー、釣り、読書、音楽、アウトドアなどについてエッセイ風に綴りたいと思います。

全員がアメリカ人にはなれない

2006年07月12日 | 釣り
世界はモノに溢れている。
テレビのCMでは毎日のように新商品が宣伝されている。
3年前に買った古いモノを使っているのが悪いことのような錯覚を覚える。
現在の環境破壊を招いたのも、このモノを欲する人間の消費活動が生んだところが大きい。
今日の人間の栄華は自動車によってもたらされてといっても過言ではないだろう。田も畑もまったくない都市在住者が毎日、新鮮な食物を食べることができるのも、すきな衣服を身にまとっているのも、自動車によってほとんどの物質が各地から運ばれてきているからだ。
都市の物価は高い。
こうした運賃が上乗せされているのだから仕方がないとも言える。
いちいち、「みそ汁に入れる大根がないから、電車に2時間のって農家に分けてもらいにいってくる」なんて訳にはいかない。
こうした生活を可能にした背景は、自動車の大量生産による恩恵だ。
フォードによって1903年にベルトコンベア式の自動車大量生産方式が開発された。100年近くも前のことである。
以来、我々の生活は至極便利になった。
スーパーやデパートはモノにあふれ、お金さえ出せば手に入らないモノはない。
こうした「発展」の裏側には、恐ろしい数字がある。
自動車産業は、今やもっとも大量に資源を消費する産業になってしまった。世界で生産される鉄鋼の20%、アルミニウムの10%、亜鉛の35%、鉛の50%、天然ゴムの60%が自動車産業によって消費されている。1909年には日本には62台の自動車しかなかった。それが、1920年には1000万台を超え、1950年には5000万台の大台に乗り、現在は6億台を超えている。人口増加率を上回るスピードで増えてきた。
世界一エネルギーを消費しているのはアメリカ人だ。彼らを例にあげると、原始時代の人間と比較して一人あたり100倍のエネルギーを消費している。もし、こうしたアメリカ人並の生活を60億人の全人類が享受するとしたら、どれくらいのエネルギーを消費することになるだろうか? 答えは地球が4つ。それだけの資源がないと、全人類が週末には自動車でドライブに行き、大型の冷蔵庫を持ちいつでも好きなときに冷凍食品を解凍して食べ、一年中一定の気温が保たれた快適な空間で生活を送ることは成り立たない。私たちがこうした生活を享受できているのは、地球資源の浪費があってこそであり、発展途上国に先んじて資源を搾取してきたことになる。
題名の「アメリカ人」はもちろん「日本人」にも置き換えられる。


参考文献:環境学がわかる本