風に訊け

日々の考え、趣味のサッカー、釣り、読書、音楽、アウトドアなどについてエッセイ風に綴りたいと思います。

原発について

2011年03月29日 | 雑記
個人的に原発は段階的に収縮すべきだと考える。
やはり危険すぎるし、事故があったときに周囲を巻き込みすぎる。
火力発電所でも事故は起こるだろうし、ダムを作るにも人が死んでいると思う。
ただそれらはどちらも基本的には、関係者の事故だし、発電所とそれにかかわる人に閉じた事故だ。
それは第一次大戦ごろまで国際法で言われていた「戦争は兵隊同士でするもの」という状態に近い。(その考えが理想だとしても)しかし、
原発が怖いのは、周囲の一般民衆をも巻き込む「第二次世界対戦型」の事故を生み出すことだ。

推進派の意見を見ると、経済原理で原発推進を語る人が多いようだ。
いまの日本の経済力を維持することを前提に考えると、そうなるのだろう。
しかし日本より経済規模の小さい国で、幸せそうな国はある。
北欧、スイス、オーストラリア・ニュージーランド…
人口規模が違うので、難しい点もあるのだろうが、
こういった国を目指してみるのはどうだろうか。


安全な場所から「原発は今後もあるべき」という意見に違和感。
そういう人は、まず福島にいって、原発の修復作業を手伝ってみてほしい。
被爆して、全身放射能まみれになって、それでも「私は推進派です」と言えるならすごい。
「直したよ!安全だよ!もっと原発作ろう!」と言えたら、
それが本当の推進派だと思います。

私は原発は嫌だし、
安全な野菜が食べたくて作っている実家の畑の野菜に
これ以上放射性物質が付くのは嫌だから、
7割の電力消費で我慢する道を模索したい。


原発の発電量は全体の3割らしい。つまり原発が全部なくても7割はある。
7割しかないと考えるか、7割もあると考えるか。
足りないのはいまの暮らしを基準に考えて、電力ありきの経済的成長を前提に考えているから。
この2週間、個人消費レベルではとくに深刻な不自由はない。
暫定的に原発をいじしながら、代替の自然エネルギーやスマートグリッドの活用など電力の効率的運用を考え、
産業の形態を再考してみるべきじゃないだろうか。

それは、本気で世界に先駆けてクリーンニューディールを進めるチャンスでもある。
製造業は間違いなく一時的に衰退するでしょうが、新たな産業が生まれるチャンス。
アメリカがITで復活したように。日本が世界に先駆けてエネルギー分野でリーダーシップを取れるような
そんな国になったら素敵だと思う。

新しい株式投資論(山崎元:PHP新書)

2007年12月20日 | 雑記
P140より引用

1、小型株効果
株式時価総額の小さな企業の株式の相対リターンが高い効果
3、1月効果
とくに米国で1月の株式のリターンが他の月に比べて高い現象。1月の初旬に、小型の株式に集中して起こる
4、低PER効果
PER(株価収益率)が相対的に低い株式の相対リターンが高い現象
5、低PBR効果
PBR株価純資産倍率が相対的に低い株式の相対リターンが高い現象
8、利益予定改定のトレンド効果
利益予想の上方(下方)修正の後には、上方(下方)修正が続きやすいことにともなって、上方修正があった銘柄を、上方修正後に買っても平均的なリターンが至上平均よりも高い効果


P218より引用
「株式投資は不美人投票である」
・現在人気絶頂の美人が、近い将来、それ以上の人気を博すくらいさらにきれいになる確率と、容姿が衰える確立はどちらが高いのか(後者である)。
・さらに美人は三日で飽きられるということもある
・他の女性に人気が移ることもある
・不美人はわずかな容姿の改善、化粧・服装などの工夫、見る側の見方のプラスの変化などで、以前よりも評価が改善する確立はまあまああるのではないか。
・感覚的に言うと、現在注目を集めている美人を少し遠ざけて、不人気だけれども長所がある半美人、どう考えても人気面で評価されているとは思えない不美人な銘柄の投資することが、株式投資ゲームのコツなのだ。



俺、美人が飽きられる直前、または飽きられたけれどもまた人気が出るだろうと勝手に思っているかも。

女性はなぜ缶コーヒーを飲まないのか

2007年12月20日 | 雑記
http://www.macromill.com/client/r_data/20030218coffee/

不思議に思う。
女性はほとんど缶コーヒーを飲まない。
でもペットボトルは大好きだ。

甘すぎるという意見もあるが、彼女たちはスイーツを好む。

そして、なぜ缶コーヒーには適度なあまさがないのか。
一般的には甘すぎるし、微糖はまずい、ブラックはインスタントなみだ。

なにか方法はないのか。

川口納豆

2007年12月18日 | 雑記



「なんといっても味はやっぱり川口納豆」

だそうだ。
駅の東急で仕事帰りに買ってみた。
138円くらいした。一食でだ。
ちょっと疲れていたのかもしれない。

帰って早速食してみる。
タレもからしもついていない。
ただ納豆のみである。潔い。

ネギを少し刻んで入れる。そしてしょうゆをたらす。
大粒の豆がもそっと、咀嚼しがいのある存在である。
噛むごとに納豆の味が広がる。
ひとことでいうと素朴なあじ。

パッケージから男前豆腐店のような、革命的な味を期待していたが、
そうでもない。

うまいのはうまいが。


生きるいうこと。

2007年12月18日 | 雑記
泣きながらにぎり飯を食ったことがある。
つらいことがあって、生きる気力もない。
そう思っていたのに、自分の身体は飯を求める。

精神は絶望しているのに、身体が明日への希望として、
命をつなぐために飯を求めた。

どんなにつらくても生きることを求める。
そんな人間がとても悲しくなって、余計泣いた。

『男の子と女の子』

2007年10月04日 | 雑記
『男の子と女の子』くるり


僕たちはみんな いつでもそうです
女の子の事ばかり考えている
女の子はわがままだ よく分からない生きものだ
でもやさしくしてしまう 何もかえってこないのに


小学生くらいの男の子と女の子
男の子同士の遊びは楽しそうだ
割って入ってくる女の子はふてくされ
こんな世界はつまらないと ひとりで遊ぶ


小学生くらいの男の子
世界のどこまでも飛んでゆけよ
欲望を止めるなよ
コンクリートなんか かち割ってしまえよ
かち割ってしまえよ


僕たちはみんなだんだん齢をとる
死にたくないなと考えたりもする
愛する人よ もうすぐ気付くだろう
僕のやさしさもだんだん齢をとる


大人になった女の子
僕をどこまでも愛してくれよ
何ももて余さないで
好きだという気持ちだけで 何も食べなくていいくらい
愛しい顔を見せてくれよ




誰かの結婚式とかで歌いたいな~。

報道において職業明記の必要性があるのか?

2007年08月23日 | 雑記
http://news.goo.ne.jp/article/chugoku/region/Tn200708230034.html

上記の文章のなかで、79歳の男性は「無職男性」と表記されている。
これはテレビのニュースなどでもこの通りであるが、
79歳の男性に対して「無職」とする必要があるのだろうか。
なにか働いていない人を明確にする旧来の文脈から、メディアが離れることができないようで、目に付く。


ヘッドスライディングはなぜなくならないのか

2007年08月20日 | 雑記

高校野球に見る一塁へのヘッドスライディング。
今年の高校野球でも結構見ることができた。

というか見てしまった。
大嫌いなこのシーン。

かつてイチローだっただろうか。
「一塁へのヘッドスライディングはしない」といっていた気がする。

いろいろ調べてみたら、ヘッドスライディングよりは、
駆け抜けるほうが早いようだ。


とするとヘッドスライディングの意味は、
熱意とか気合ということになるだろう。
確かにチームの士気はあがる気がする。
あいつがあんなに一生懸命やっているんだから、
俺たちもやらなきゃ、的なものである。
ヘッドスライディングをしたチームはたいていその時点で
負けていて、なんとか追いつきたいという気持ちがヘッドスライディングをさせ
るのだろう。

ただ、実際にへっどスライディングをしてセーフになったケースや
そこから反撃して勝ったという例はほとんど見たことのない気がする。

ヘッドスライディングには大怪我の恐れもあるという。
ともすると、いいことはほとんどない。
タッチを交わすなら、足からのスライディングで十分だ。

どうも高校野球界にはまだ「根性論」みたいなものが残っている気がしてならな
い。