産業革命
→諸産業における技術革新の連鎖的波及
☆産業革命が歴史にもたらした影響
パックス=ブリタニカ
19C、ヨーロッパでは100年くらい平和が保たれていた。戦争もなかった。
↓しかし
ドイツが遅れて産業革命し、どんどん攻撃的になっていった。(自国を強くする為に)
↓
このこともキッカケで第1次世界大戦が起こった(もちろん理由はそれだけではないが)
↓終戦
戦間期(20年)
平和を取り戻そうとするが、様々な問題が積み重なりドイツ、イタリアでファシズム政権が誕生
↓
第2次世界大戦
↓終戦
植民地だった、韓国やシンガポールをはじめとする東南アジア諸国、中国などが産業革命。
これも、イギリスの産業革命を自国にも、という精神の表れ。
☆革命は綿工業から始まる。
イギリスはもともと羊毛の生産地であった。羊毛をフランドルに輸出し加工してもらってる、みたいな。
しかも、農民が農作業の合間にやっていて、片手間だった。
しかし、
1733年 J.ケイ
1764年 ハーグリーブス ジェニー紡績機 ↓
1768年 アークライト 水力紡績機 ↓ 一気に
1769年 アークライト 大量生産システム ↓ 連鎖的に
1779年 クロンプトン ミュール紡績機 ↓
1791年 カートライト 蒸気機関の応用 ↓
どんどん開発が進んだ
☆何故、綿工業からはじまったのか?
綿製品の需要が増大していたから。
インドの輸入に対する代替であった。
インドへの輸出→インド綿工業が壊 (←よく意味が分からない。今度調べてみる)
☆農業革命
議会立法を用いての、
「第2次囲い込み運動」 (貧しい農民を追い出して、地主が土地を買い占め)
↓
∮人口の急増による食料需要の増加
∮ナポレオンによる封鎖 (イギリスはナポレオンに兵糧攻めに遭っていた)
∮小麦価格の急騰→地主階級による囲い込み
「ノーフォーク農法」による大農場での小麦生産
これにより、地主、借地農、農業労働者、の「3分割制」により、資本主義的大農場経営が確立された。
農業革命で貧しい農民達は土地を追われた (伝統的な家父長的家族の崩壊)
彼らが、新興産業での労働者として、
新しく生まれつつある産業都市(マンチェスター、リバプール)に流れ込んだ
(↑※インフラ設備のない、衛生状態の悪い、劣悪環境)
ここに、
地主階級
VS 労働者階級
産業資本階級 が生まれた。
『2つの国民』 とディズレリが表現。
↑ ↑
英では地主がかなり 生活が安定するのは
位が高い 上層部 19C後半
現在にも影響がある。 大多数 20C迎えてから
1832年 第1次選挙法改正→→地主階級&産業資本階級を引き入れる。
チャーチスト運動:
1834年 救貧法 (シーニョア、チャドウィック)
貧しい人に働く場所や住む場所を提供 (救貧院)
但し、この環境が劣悪で皆入りたくなかった ディケンズ作 『オリバーツイスト』 を読め!
イギリスの大衆の貧困調査(メイヒュー)でも、かなり貧しい結果だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます