『哲学者ユングの誘い』
(今回はamazonのページが見当たらなかったのでGoogleBooksのページを載せています)
女嫌いで、自分の気にくわない妻と暮らすダランベールという男がいた。
男はその憂さを晴らすように哲学に没頭しているのだけれど、妻のキンキン声に毎日我慢がならない。
ダランベールは中庸を知らない。極端から極端に走る。
だからなおのこと哲学に没頭していく。
なにしろ本作の文章の八割以上が哲学的考察なんだから恐れ入る。
そんな鬱陶しいと思っていた妻が、ある日癌で死んでしまった。
それから男の世界は動き出す。
というのが本書のだいたいのあらましだ。
いままで「あたりまえ」と思っていたことが、じつは「あたりまえ」ではなかった。「なくして初めてわかるものがある」とはよく言うけれど、男が感じたのもそれだった。自分は妻を愛していたかもしれない。その愛していた妻をないがしろにして、昼は役所で働きつつ自由な時間のすべてを哲学の思索に充てて理想を追い求めていた。自分は理想主義者でありすぎた。
妻の死をきっかけに男は実存主義哲学に変わる。
それだけ悔やんでても哲学はやめないんだね(笑)。とツッコミそうになったんだけれど、まあ哲学は男の生きがいともいうべきものであるらしくて「やめる」という選択肢はないようだ。
妻を喪った男の哲学はどんどん深いところにいって、ついには日常のなんでも気にかかるようになった。さらには「哲学とはなんなのか」という、いわゆる「そもそも論」の深い沼にハマってしまい自分でも躁鬱病や分裂症のケがあるように感じるようになった。ヤバイです。相当。
ユングキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!!
なんでもダランベールにとってあのユングは大学時代の知り合いであるらしい。
そのツテがあってかダランベールは結局、ユングの自宅で入院する(医者の自宅でも「入院」っていうのかな? 病院に入るのが「入院」だと僕は思ってたんだけれど?)ことになった。もちろん入院しているあいだも哲学的思想は襲ってくる。
そういう日々のなか、マリアという女性に出会った。
マリアとの交流のなかで、男の哲学はだんだんと変わっていく。
最後は急転直下の展開だった。
まさかあのひとがあのひとを××するなんてねー。
本書を読んでて僕は思ったんだけれど、これって一種の『ドグラ・マグラ
(→青空文庫版)』なんじゃなかろうか。
本書60ページでダランベールはこう言っている。
本書は展開と推敲の甘い部分がところどころ……というか本当にひんぱんに見当たるんだけれど、これってつまり、主人公ダランベールがその「評価されるに値される」書き物として一気呵成に書き上げた作品なんじゃないだろうか。
つまりは躁鬱病に悩まされて自分は分裂病かもしれない考えた人間が書いた手記。ダランベールが己の信じるように書いた文章ってこと。
だから物語中で言っているとおり、いっぺんに書いて推敲をしていない文章なのだろう。話の展開もいろいろな哲学的思考を行きつ戻りつする。それが僕にはとても読みにくい。ゴツゴツとひっかかるんだ。でも読むといろいろな思考の断片が落ちている。
そのあたりの感じが、僕にはとても『ドグラ・マグラ
(→青空文庫版)』なんだよ。
『哲学者ユングの誘い』
(今回はamazonのページが見当たらなかったのでGoogleBooksのページを載せています)
→【本がもらえる】レビュープラス
●こんな本も
→『荒野の狼へのレクイエム ヘルマンヘッセへのオマージュ』君塚正太・テクネ
→『竜の小太郎第一話』君塚正太・テクネ
→『竜の小太郎第二話上』君塚正太・テクネ
→『竜の小太郎 第二話 中』君塚正太・テクネ
→『竜の小太郎 第二話 下』君塚正太・テクネ
→『天才と狂人 対話篇』君塚正太・テクネ
→『第二の少年A狂気の時代』君塚正太・テクネ
(今回はamazonのページが見当たらなかったのでGoogleBooksのページを載せています)
女嫌いで、自分の気にくわない妻と暮らすダランベールという男がいた。
男はその憂さを晴らすように哲学に没頭しているのだけれど、妻のキンキン声に毎日我慢がならない。
ダランベールは中庸を知らない。極端から極端に走る。
だからなおのこと哲学に没頭していく。
なにしろ本作の文章の八割以上が哲学的考察なんだから恐れ入る。
そんな鬱陶しいと思っていた妻が、ある日癌で死んでしまった。
それから男の世界は動き出す。
というのが本書のだいたいのあらましだ。
いままで「あたりまえ」と思っていたことが、じつは「あたりまえ」ではなかった。「なくして初めてわかるものがある」とはよく言うけれど、男が感じたのもそれだった。自分は妻を愛していたかもしれない。その愛していた妻をないがしろにして、昼は役所で働きつつ自由な時間のすべてを哲学の思索に充てて理想を追い求めていた。自分は理想主義者でありすぎた。
妻の死をきっかけに男は実存主義哲学に変わる。
それだけ悔やんでても哲学はやめないんだね(笑)。とツッコミそうになったんだけれど、まあ哲学は男の生きがいともいうべきものであるらしくて「やめる」という選択肢はないようだ。
妻を喪った男の哲学はどんどん深いところにいって、ついには日常のなんでも気にかかるようになった。さらには「哲学とはなんなのか」という、いわゆる「そもそも論」の深い沼にハマってしまい自分でも躁鬱病や分裂症のケがあるように感じるようになった。ヤバイです。相当。
なにも俺は難しい話をしようとしている訳ではない。ただ、単に激しく入り乱れる想念がいろんなことを連想させるのである。まるで熱にうなされたかのうように筆を走らせていると、疲れも感じない。そんな日が何日か続いた日、俺はとうとうこれは危ないと判断し、著名な医者の下に向かった。彼の名前はカール・グスタフ・ユング。誰もが知っている精神分析医だ。(引用部はすべて原文ママ)
ユングキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!!
なんでもダランベールにとってあのユングは大学時代の知り合いであるらしい。
そのツテがあってかダランベールは結局、ユングの自宅で入院する(医者の自宅でも「入院」っていうのかな? 病院に入るのが「入院」だと僕は思ってたんだけれど?)ことになった。もちろん入院しているあいだも哲学的思想は襲ってくる。
そういう日々のなか、マリアという女性に出会った。
マリアとの交流のなかで、男の哲学はだんだんと変わっていく。
最後は急転直下の展開だった。
まさかあのひとがあのひとを××するなんてねー。
本書を読んでて僕は思ったんだけれど、これって一種の『ドグラ・マグラ
本書60ページでダランベールはこう言っている。
書き物とは苦労して書いたものより一気呵成に、それも楽しんで書かれた作品が評価されるに値されるのだ。(原文ママ)
本書は展開と推敲の甘い部分がところどころ……というか本当にひんぱんに見当たるんだけれど、これってつまり、主人公ダランベールがその「評価されるに値される」書き物として一気呵成に書き上げた作品なんじゃないだろうか。
つまりは躁鬱病に悩まされて自分は分裂病かもしれない考えた人間が書いた手記。ダランベールが己の信じるように書いた文章ってこと。
だから物語中で言っているとおり、いっぺんに書いて推敲をしていない文章なのだろう。話の展開もいろいろな哲学的思考を行きつ戻りつする。それが僕にはとても読みにくい。ゴツゴツとひっかかるんだ。でも読むといろいろな思考の断片が落ちている。
そのあたりの感じが、僕にはとても『ドグラ・マグラ
『哲学者ユングの誘い』
(今回はamazonのページが見当たらなかったのでGoogleBooksのページを載せています)
→【本がもらえる】レビュープラス
●こんな本も
→『荒野の狼へのレクイエム ヘルマンヘッセへのオマージュ』君塚正太・テクネ
→『竜の小太郎第一話』君塚正太・テクネ
→『竜の小太郎第二話上』君塚正太・テクネ
→『竜の小太郎 第二話 中』君塚正太・テクネ
→『竜の小太郎 第二話 下』君塚正太・テクネ
→『天才と狂人 対話篇』君塚正太・テクネ
→『第二の少年A狂気の時代』君塚正太・テクネ