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鏑木保ノート

ブックライターの書評、本読みブログ。

【書評】『子どもがひとりで遊べない国、アメリカ』谷口輝世子・生活書院

2012年04月27日 | 事件・事故
18歳以下の子どもは、親の付き添いが必要です
 これはアメリカの公園に実際にある立て札の文言だ。

 18歳以下ということは当然、高校生も含まれている。日本人からしたらちょっと「?」と思ってしまう。だけどこれ、アメリカではよくある光景なのだそうな。


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 著者は谷口輝世子氏。
 1998年に大リーグの取材のために渡米し、フリーランスのライターとなってアメリカに住み子育てをしている。


 日本人の感覚を持った母親からみたアメリカの子育て事情は、かなり「?」が多いものだった。

 もちろん日米の文化の違いもあるだろう。
 だけれど、「日本人のママさん」目線で見るアメリカの「子どもを守る」ことへの徹底さはなんだかちょっと行きすぎて不思議に思える点が多いのだ。
 本書の前半ではその不思議さを紹介する。
 私は市の警察に「小学生の子どもを子どもだけで公園で遊ばせたいのですが」と電話で問い合わせたことがある。返事はこうだった。「どの公園ですか? あ、あの公園ね。安全だと思えるあの公園でも、子どもだけで遊ばせるのはやめたほうがいいです」。私はいったい何歳ならいいのだろうかと思って、ちょっとカマをかけた。「一〇歳や一一歳でもでしょうか」ともう一度尋ねた。「そうです」との返事だった。
 話はこれだけでは終わらない。小学校低学年の子どもに一人で買い物に行かせると「ボク、お母さんは?」と必ず聞かれる。
 このあと、日本ならば「一人でお使いに来れて偉いわね」となりそうなものだけれど、アメリカではそうはならない。「一人で買い物? 母親は育児放棄じゃないの?」と思われて子どもは『保護』され、親は『通報』される。


 同じように、
 子どもが公園で遊ぶときでも親が絶対に付き添っていなければならない。

 もし付き添っていないと、他の子どもに付き添っているママさんに「ケガしたらどうするの? 誘拐されたらどうするの? これって育児放棄では?」と思われて通報されてしまうのだ。このあたり、日本の感覚ではちょっと想像できない徹底さだ。
 親同士が顔見知り等で通報までは至らないとしても、「あそこのお母さんは子どものことを見てくれないから、もう一緒に遊んではいけませんよ」と子どもに教えることになる。

 結果、自分の子どもが友達をなくすことにもなりかねない。
 それはそれでまた違う意味で怖いし、そしてなにより息が詰まる。


 なかには著者と同じように「これってちょっとヘンよね?」と思っているお母さんもいるのだけれど、「正しいこと」がなにより重視される文化のアメリカでは、大きな声を出せないまま、まわりの「正しいこと」に合わせるしかない現実もある。


 もちろん、最初からこうではなかったはず。
『トム・ソーヤ』や『ハックルベリー・フィンの冒険』では、子どもだけで魚釣りをしたり森のなかにログハウスの秘密基地を作っていた。まあ現実はお話と同じようにはいかなくとも、古き良きアメリカは古き日本と同じように近所のいろいろな年齢の子どもが自由に遊び回っていたはずだ。

 では、なぜこうなったのだろう?


 本書の後半は「なぜこうなったか?」を考えていく。
 一因にはアメリカの犯罪の多さもあるだろう。
 だが、本当にそんなに多いのだろうか? と著者は問う。

 もちろん自分のかけがえのない子どもが事件に巻き込まれるのは痛ましいことだ。だが、冷静に統計としての数字を見るなら、現在のアメリカは親の生活の時間や子どもの自由な遊びを犠牲にしてまで防衛しなければいけないほどの緊急事態だろうか?

 スラム街などではたしかに防衛は必要かもしれないし、政府もそういうアナウンスをしている。でもそのアナウンスに反応できるのは残念ながらスラム街の住人ではないのだ。危険だからといってスラム街の住人にベビーシッターを雇ったりする経済的余裕はない。そして、安全な郊外に居を構えて経済的にも時間的にも余裕のある中流階級の人々が政府のアナウンスに次々に過剰反応していく。そのあたりの歪《いびつ》さが「子どもへの過剰な防衛」の一因にあるのかもしれない、本書は考えていくのだが……。


 結局。
 答えはどこにあるのだろうか。

 本書の最終章で著者は述べる。
子どもを守るための安全対策は、大人が監視することや危ない遊びを避けること、危ないものに近づけないことで終わりではないはずだ。そのだめに子供が失ったもの、遊び時間の減少や子どもだけで行動する楽しさを、大人は補うことを考えなければいけないのかもしれない。親子で閉じてしまうことも避けたい。親だけでなく、社会で考えてもらえれば、有難い。
 ただ、「子どもたちによい環境を」と。
 私は日本の公園に「一八歳以下の子どもは、大人の付き添いが必要です」という立て札が現れないように願っている。
 日本人の感覚をもったお母さんが、子どもを想いアメリカの事情を訴える。

 日本もこうなってしまわないために。
 この意見、聞いてみる価値は有るんじゃなかろうか。

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→『子どもがひとりで遊べない国、アメリカ』谷口輝世子・生活書院


もくじ
はじめに

Part.1 子どもとの暮らし
Part.2 本当に危ないのか
Part.3 いつからこんな時代になったのか
Part.4 責任者出てこい
Part.5 車社会
Part.6 育児放棄か?
Part.7 格差社会アメリカ
Part.8 子どもを持つ家庭への影響
Part.9 ミシェル・オバマ「レッツ・ムーブ」
Part.10 似たような考え方の人を見つけた
Part.11 代替案を探す


さいごに
 僕の個人的な感想では、
 本書を読む限りのアメリカの子育て事情って一種の集団ヒステリーではないかな、と思った。

 集団ヒステリーの怖いところは、その中にいる人には自分の状態が理解できないってこと。本人は「ヒステリー? はっ、バカ言うなよ」と思いながら、冷静に考えたら明らかに無理な要求を掲げてデモをしたりする。

 日本でも震災と原発事故でヒステリーに陥ってる団体や個人をよく見るのだけれど、そりゃ大切なのはわかるけどさ、必死になりすぎてもっと大切なものを捨てることになっちゃダメじゃないの? と思うのだ。


 本書を対岸の火事として読むのではなく、「こういうこともあるんだ」「自分はどうだろう?」と一歩立ち止まって考えてみてはどうだろうか。


 神戸の震災から17年で、
 東日本大震災からは一年ちょっとの春。


 僕はこんなふうに本書を読んだ。
 本書の内容からは少し離れた読み方をしてしまって申し訳ないのだけれどもね。

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『流出「公安テロ情報」全データ』第三書館

2010年12月17日 | 事件・事故
2010年10月28日、ネット上に大量の公安テロ情報が流れた。
 ご記憶にあるかたもおられるかもしれない。警視庁の対テロ用の機密資料と思われるものがインターネット上に大量に流出した事件(※この原稿を書いている段階で当局はいまだに「確認中」としているので断定は控える)についての書籍を紹介する。


 タイトルは
『流出「公安テロ情報」全データ イスラム教徒=「テロリスト」なのか?』

 編集、出版は第三書館である。


画像『流出「公安テロ情報」全データ』

→版元ドットコム:流出「公安テロ情報」全データ(販売ページ)


 内容をざっくり紹介すると、
 上記の事件でネット上に流出した資料にほとんど手を加えず、できるだけナマの形でそのまま収録した本である。まあようするに、ガチの資料だよってことだ。
 本書はこの情報の全データを一冊に収録したものである。
 そこには捜査員の顔写真から実名、家族構成や連絡先などといった資料もあれば容疑者のアラブ人の詳細な履歴、事情聴取で得られた内容、「捜査」という名目で見張ったモスク(この資料を読むかぎり、テロを警戒する組織はイスラム系の人々を専門に捜査しているようだ)の構成人数の内訳や果ては取引口座の収支状況に至るまで事細かに、本当に事細かにこれでもかというくらい載っている。

 終始こんな感じなので、生資料から情報を読み取ることに慣れていない一般読者には少々敷居が高い本かもしれない。


 しかしこの本、
 僕は一読の価値有りだと思っている


 これはただ単に野次馬根性から言っているのではない。これらの資料に、自分の頭で考えてみるべきことがたくさん隠れていると考えるからだ。


 さらに本書は、いろいろワケありの書籍でもある。

 初版はプライバシー保護を理由に東京地裁により四ページ半の該当部分を削除しなければ出版できないという仮処分をうけた。よって現在は流通不可。その問題箇所を黒塗りにして改訂版として作ったのが第二版である。
 僕の手元にあるのもこの第二版だ。

 その後、発売日当日にはたしかに存在していた amazon の販売ページも削除されてしまった。この原稿を書いている現在でも削除されてたまま復旧の様子はない。ようするに、 amazon 的に言えば、本書は「買えない書籍」ではなく「存在しない書籍」ということだ。


 よって今回は、リンクは版元ドットコム、画像は自分で撮影したもの使って紹介させていただく。
→版元ドットコム:流出「公安テロ情報」全データ(販売ページ)


 この本のなかにはプライバシーなんてものは存在しない。
 なにしろ捜査関係者や容疑者の家族構成や妻や子どもの名前と年齢に至るまですべての個人情報が載っているのだから。

 自分の息子や娘の名前がこのように本になって出版されたと考えると、誰しも背筋が寒くなるだろう。だから東京地裁にプライバシー保護を申し立てた人物の気持ちもわかるし、至極当然の対応だとも思う。

「プライバシーを侵害している」
 その点から本書を責めることは充分にできる。


 だが。
 そこからもう一歩進めて考えてほしい。


 本書の情報は、なにも第三書館が個人の情報を調べ上げてバラしたわけではない。ネット上にいまも流れ続けている情報をそのまま拾ってきただけなのだ。ということは、裁判によって本書から消された情報もネット上にはいま現在も存在している。それどころか、回線のなかを飛びまわりこの先未来永劫、地球上のどこかのコンピュータのなかに生き残って誰かに見られ続けるのである。
 それを消すことは誰にもできない。

 まったく、ひどい話だ。


 では。
 こんなひどいことをしたのはいったいだれか?

 この原稿段階で当局は「確認中」と解答している。
 確認が終わっていないのでどこから漏れたのか、またこの情報が本物であるのか決めつけることはできない。そして確認が出来ない以上、この資料に載っている捜査関係者の個人情報が警視庁に救済されることもない。本物かどうかわからないものになにか手を打てるわけがないからだ。……とこう言ってる間にもネット上ではコピーされ続けているわけなのだが。


 このほかにも、
 本書に収録されている容疑者の顔写真付きの資料に、出身国や出入国履歴、日本国内での住所やモスクへの出入り状況などまで細かく書かれているのを見ると、「ん? 捜査資料に『モスク』の欄があるのはなぜだ? これはテロリスト捜査なのか? それともイスラム系人種への捜査なのか?」と当局への疑問がいくつも生まれてくる。




 出版した第三書館は、客観的に見て少し話題性を狙いすぎた気もする。結果、裁判沙汰にまでなったけれど、いくつも問題提起をしてくれているのもまぎれもない事実だ。
 本書はこの情報の全データを一冊に収録したものである。当局が確認しないのでこの情報が本物であるかどうかの判断は読者にまかせるしかない。
 我々読者はこれを受け止めなくてはいけないのではないか?
 受け取って自分の頭で考えてみなくてはならないのではないか?


 だから僕は紹介する。
 いろいろ問題があるのは承知で、あえて紹介するのだ。


画像『流出「公安テロ情報」全データ』

→版元ドットコム:流出「公安テロ情報」全データ(販売ページ)




 この第二版には、あとがきとして本書の出版社・第三書館の代表、北川明氏による東京地裁の決定に対する見解(版元ドットコムの12月3日付の版元日誌『「自殺」を迫られている、出版メディア』と同じ内容の文章)が収録されている。

『森田さんのなぞりがき 天気図で推理する[昭和・平成]の事件簿』森田正光・講談社

2010年03月19日 | 事件・事故
 歴史と天気は、とても密接な関係にある。


 たとえば織田信長が明智光秀に討たれたので有名な「本能寺の変」。
 あれは真っ暗な新月の夜に行なわれた。

 6月1日深夜、秀吉への援軍を指揮していた明智光秀は、主君織田信長が逗留する本能寺へと軍を向ける。
 本能寺というのは戦乱の時代に改築された寺で、織田信長ほどの要人が泊まるだけの防御力をもっていた。いわば小さな要塞のようなものである。
 もしこの日に月が出ていれば、遠くから来る明智軍を月明かりで見ることができただろう。その実戦配備のものものしさに警戒をしたかもしれないし本陣に急を告げたかもしれない。事前に知らせを受けることができたら織田信長の運命は変わっていただろう。信長存命であったなら秀吉の「明智討伐」という大手柄は存在しないわけだし、さらに家康の必死の脱出劇もなかったわけだ。
 やっぱり、信長の独裁が長期間続いたのだろうか?


「本能寺の変」などよりもずっと近い時代を扱っている本書なのだけれど、近い時代なだけあって天気図という資料が付いている。これはさぞかし妄想が膨らむはずだ。


森田さんのなぞりがき 天気図で推理する[昭和・平成]の事件簿森田さんのなぞりがき 天気図で推理する[昭和・平成]の事件簿価格:¥ 1,155(税込)発売日:2008-11-21

森田さんのなぞりがき 天気図で推理する[昭和・平成]の事件簿

 本書の構成は、
 左1ページには事件のあらましとお天気キャスター森田さんによる当日の天気の解説。右ページにはこれまた当日の天気図が、なぞって覚えられるように薄めに印刷されていているつくり。解説と天気図がワンセットで、合計39件もの昭和・平成の事件が紹介されている。

 この「なぞりがき天気図」なるもの、天気図を覚えたいひとにはいいのかもしれない。詳しい人だったらなぞりながら「あの日の天気は西高東低の冬型で……やや! ここに前線があるぞ! 午後から曇るんじゃないか!?」とか妄想が膨らむのではないか。僕は天気図についての知識がないのでイマイチよくわからないのが悔しい。
(でも気になった本なら容赦なく買ってしまうのは本好きの悲しいサガか)


「三島事件」を読んでみる。

 1970年(昭和45年)11月25日、作家三島由紀夫が「盾の会」メンバーとともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に籠城、自衛隊員に決起を促す演説をするが失敗。失意の果てに割腹自殺を図ったあの事件だ。
当日の最低気温は4.7℃、日中の最高気温は13.4℃
 この日は、平均気温と比べても少し冷える日だったと森田さんは解説する。

 そうか、
 三島が決起を決めたあの日の東京は、しんと底冷えのする初冬だったんだな。『憂国』を書いた彼にはなんだかとても似合うように思える。冷えた初冬の朝、黒い軍服に身を包んだ三島はこれからの日本をどう思ったのだろうか。


 右ページの天気図に目をやると、東京の上にはでーんと大きな高気圧があった。
 ヘリコプターが飛ぶには絶好の日和だったはずだ。

 三島はこの日、マイクを使わず自分の肉声で直接自衛隊員に呼びかけていた。起て、この国は滅ぶぞ、と。マイクを使わないのは三島の美学だったのだろう。あくまで肉声で伝えようとこだわったのだ。
 やがて、
 よく晴れた空に報道ヘリコプターが集まりはじめ、轟音で三島の肉声は聞こえなくなってしまった。

 その後、
「決起はない」と悟った三島は総監室にもどり自刃をとげる。


 では、
 もしもヘリが飛べないくらいの悪天候だったら?

 肉声にこだわった三島の想いは、
 自衛隊に伝わったのだろうか?


 予想以上に妄想させてくれた一冊。


森田さんのなぞりがき 天気図で推理する[昭和・平成]の事件簿森田さんのなぞりがき 天気図で推理する[昭和・平成]の事件簿価格:¥ 1,155(税込)発売日:2008-11-21



 彼がこの日の早朝に完成させたという遺作、『豊饒の海』を再読しようと思った。