民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けばだけれども。
"Democracy is the worst form of government, except for all those other forms that have been tried from time to time ." (Winston S. Churchill, from a House of Commons speech on Nov. 11, 1947).
それが「最悪」かどうかは別にして民主主義が極めて多義的な言葉であること。ほとんどあらゆる事柄を、時には、通常は「南極と北極」とされる事柄をも同時に正当化可能な言葉として論理的には<無内容>な政治的シンボルとさえ言えることは間違いないでしょう。例えば、あの特定アジア国の正式国名が「朝鮮民主主義人民共和国」であることを想起すればこのことは誰しも思い半ばに過ぎようというもの。
しかし、論理的に<無内容>であることは現実の政治の風景においてそれが<無意味>であることと同じではない。それは、例えば、「民主主義」という言葉が多くの人々に心地よく連想させるものの一つが「王制の英国」であること、あるいは、幾つかのイスラーム諸国では、--「人権」なり「立憲主義」といった西欧的な価値と論理にシンパシーを覚える親欧米派の、その多くは欧米に留学経験のある、よって、間違いなくその社会では--少数派の政治エリート層の手から、よりイスラーム的で民族主義的な多数派が権力を奪還する政治的シンボルの機能を果たしている現実を看過しない限りこれまた否定できないことでしょう。
本稿は、そんな多義語の語義整理です。蓋し、「民主主義」を巡る歴史的と論理的な外面的の状況--その顕教的意味状況--については、とりあえず、大凡、次のように説明できるかもしれません。
◆民主主義:democracy
政治的価値の世界の現役の世界チャンピオン。第二次世界大戦における連合国側からの「第二次世界大戦は「民主主義 vs 全体主義」の戦いである」といったプロパガンダの流布と連合国側の勝利によって--更には、欧米先進国の福祉国家化、就中、戦後のケインズ政策の採用と歩調を合わせて--民主主義は20世紀後半以降、その地位を得た。
それまでは、しかし、民主主義は極めて危険な思想と考えられていた。これはドイツや日本などの所謂「後進資本主義国」の保守派だけの認識ではない。それはビスマルクや伊藤博文の認識に止まらず、例えば、アメリカ合衆国憲法の制定会議プロセスが、ある意味、民主主義への不信の制度化論議--個々の国民としての人民の政治的影響力の抑制--であったことを反芻すれば自明なように英米や西欧の多くの自由主義者もまた「民主主義を国家を分裂させ人権を蹂躙しかねない全体主義的な思想」と考えていた。つまり、歴史的には、<民主主義の戴冠>という事態はかなりの程度偶然によると言わざるをえない。
論理的観点からは、他方、現在では、人権や国民主権、立憲主義や法の支配といった諸々の政治的や憲法的な価値と「民主主義」をほとんど同義に用いている論者も少なくないように見える。加之、反欧米色濃厚な民族主義的な運動や言説も、そして、逆に、「地球市民」や「マグニチュード」なるものの現実化を熱望する先進国のリベラル派の文化帝国主義の運動や妄想も、現在ではともに自己の議論を「民主主義」から正当化可能らしいのだ。
ほとんど「本地垂迹」と看做すべきこんな民主主義と他の諸々のイデオロギーとの同一視を捨象するとき、蓋し、本来、王制・貴族制の正当化イデオロギーとの比較において、「民主主義」とは「比較的小規模な集団においてその社会の多数派による少数派の支配を正当化する論理」と言える。
畢竟、民主主義と人権は対立する。多数の決定によっても奪えない権利というアイデアは民主主義とは本来異質だから。また、民主主義と国民主権も元来は似て非なるもの。国民主権は近代の「国民国家-主権国家」が成立するのと同時にその「憲法秩序-実定法秩序」の中に懐妊された理念だから。すなわち、利害もイデオロギーも本質的に対立することの少ない--対立や紛争があったとしても修復可能な--ホモジーニアスな小規模集団を前提とする民主主義と近代に特殊な国民主権はそもそも適用される社会のイメージを異にしていただろうから。
民主主義がなぜ政治的価値の世界の現役の世界チャンピオンになりえたのか。それは、ミトコンドリアと真核細胞との野合というか共生よろしく、19世紀末葉から20世紀前半、普通選挙の一般化によって民主主義が議会主義、すなわち、自由主義と結合したから。民主主義が「議会制民主主義-代表民主制」に変貌を遂げたから。
而して、福祉国家における大衆社会状況が成立して以降--自己責任の原則を旨とする財産と教養と社会的使命感を備えた少数の自立した市民などではなく、社会現象としては欲望の塊として行動する、思想的には「ありふれたつまらない個々の国民」こそが国家社会の社会統合の正当性の基盤と考えられる社会状況が成立して以降--、パラドキシカルながら、民主主義は個々の主権国家内部においては国民主権とほとんど同じ意味に変容したとも言える、と。
以下、敷衍します。
蓋し、「民主主義」とは、
▼民主主義の最狭義と狭義
元来、「民主主義」とは、(ⅰ)ある社会の政治的決定はその社会の構成メンバー全員の合意や了承によってなされるべきだという主張であり、逆に言えば、「自分が属する社会における政治的決定にはわたしも参加させてね」「自分が賛成していない政治的決定にはわたしは従わないわよ」という権利がその社会の構成メンバー全員に保障されるべきだというアイデアだった。
蓋し、この「民主主義」の語義が「民主主義とは元々小規模の人間集団における直接民主制を正当化する原理」としばしば語られることの理由であろうと思います。而して、政治的決定が直接民主制が機能する小集団を遥かに超える規模の、就中、国民国家においてなされる人類史段階に突入して以降、そして、「代表なければ課税なし」のスローガンに端的な如く自由主義のコロラリーとしての「国民代表制-議会制」が政治の形態として最有力な制度になるに及んで、更には、普通選挙制度や婦人参政権が普及して以降の大衆社会においては「民主主義」の語義も変容せざるをえなかった。
すなわち、国民国家成立以後の大衆社会においては、「民主主義」とは、--「全員一致」の実現などおよそどのようなイシューについても困難であり、そして、「全員一致」でなければどのような政治的決定もその社会においてその構成メンバーを拘束する法的効力を持ちえないのであれば--(ⅱa)社会統合を阻害する危険で陳腐なアイデアであるか、あるいは、(ⅱb)国民国家を形成したイデオロギーとしての「国民主権」の同義語、もしくは、(ⅱc)多数決の別名、よって、多数派による少数派支配の正当化原理でしかないのだと思います。
▼民主主義の論理的帰結としての<外国人>の差別と疎外
重要なことは、上記(ⅰ)(ⅱ)のすべての「民主主義」の語義の基底には、(ⅲ)「その社会の構成メンバーは性別・年齢・門地・容姿・財産・教養・才能・実績・声望の如何にかかわらず、社会の政治的決定に参画する資格においてはすべてが同じ法的価値を帯びる均一の主体である」という<平等>の価値と親和的な認識が横たわっているだろうこと。
この認識からは古代ギリシアでは、原則、公職に補任するに際しては「選挙」などではなく「籤」が最も正義にかなった方法と考えられていたことは整合的でしょう。他方、「その社会の構成メンバーとは誰なのか」、すなわち、社会の政治的決定に参画できる人々の範囲を確定するルールが民主主義に論理的にも現実的にも先行する。
而して、その先行するルールに従いメンバーの資格を否定された<奴隷>や「<国人>が--現実には、その「主人」やそのポリスの政治的決定に参画できるメンバーとしての平均的な「市民」を遥かに凌駕する富や政治的の影響力を保持していた例は少なくないとしても--政治的決定に参画できなかったことは、古代ギリシアの民主主義の限界ではなくて、寧ろ、民主主義一般の本性からの論理的帰結でしょう。
▼広義の民主主義--民主主義が機能する諸条件
繰り返しになりますが、「民主主義」の語義の中核が「自分が参画し賛成していない政治的決定にはわたしは従わない」という主張である限り、究極的な利害が対立する社会--相互のイデオロギーや世界観が修復不可能なような者が併存している人間の社会集団--では「民主主義」はそもそも成立しない理念でしょう。
ならば、(ⅳ)「民主主義」が「多数決」の別名として通用するためには、その条件として、(ⅳa)社会の構成メンバーが懐く世界観やイデオロギーが固定的ではないか固定的であるとしても共存可能な程度の差違しかないこと、もしくは、構成メンバーの利害が調整不可能なほど隔絶してはいないこと、あるいは、世界観やイデオロギー、ならびに、利害の対立が全体的な政治的紛争解決の文脈においては相対的に無視できるほどの比重でしかないこと、
および、(ⅳb)今日の少数派も言論を通じて明日の多数派になりうる論理的可能性と現実的蓋然性が存在していること。すなわち、政治を巡る情報が大凡開示されており少数派と多数派の間に本質的な情報の非対称性がなく、かつ、政治参加と権力参加の回路が少数派にも保障されていることが必須の条件であろうと考えます。
このような条件が満たされている場合にのみ、すなわち、トクビル流に言えば、(ⅳa)と(ⅳb)の条件が社会の構成メンバーにほぼ平等に保障されている--あるいは、保障されているという錯覚が現実に厳として存在している--「諸条件の平等化」が具現している場合に限り、「民主主義」は(ⅱa)の無政府主義と(ⅱc)後段の「全体主義的な専横」の弊害を免れて、目出度く(ⅱc)前段の多数決の同義語、または、(ⅱb)国民主権の同義語となりうる、と。
▼小結
私は「民主主義」という言葉を(ⅰ)~(ⅳ)の重層的な<意味の編み物>と捉えています。いずれにせよ、それは人々を<国民>に社会統合する上で、チャーチル卿の嘆きの如く、現在では残念ながら不可欠の、しかし、現在でこそ益々「取り扱い注意」の鍵であろう。と、そう私は考えます。
蓋し、「主義」の2文字がついているから紛らわしいのでしょうが、民主主義には歴史と論理、あるいは、制度と思想の二面がある。それは、同じく「主義」の2文字を帯びる「資本主義」を想起すればあるいはわかりやすい、鴨。すなわち、資本主義にも「制度」の側面と同時に「その制度を容認する心性と思想」の二面がありましょう。
そして、(A)制度がすべてそうであるように、それは価値観が憑依した規範と社会学的な状態の重層的な構造であり、かつ、(B)言語や家族という自生的な制度すべてがそうであるように、交換を巡る制度たる資本主義もまた時代によってその内容が変遷してきた。
而して、現在の資本主義の制度と思想は、例えば、①所有権の制限、②契約の自由の制限、③過失責任の制限、および、④所得の再配分の導入、⑤ケインズ的な財政と金融における国家権力の政策の導入、⑥種々の国際的な制約という<修正>または<変容>を経た後のもの。
蓋し、家屋の賃借人にほとんど無制限の厳格責任を認めていた19世紀末までの英国のコモンロー。あるいは、労組の活動どころか労組の存在を容認しただけの連邦法・州法を憲法違反と断じた、加之、生活必需品の買い占めによる価格引き上げや、鉄道等の公共交通機関の料金の鉄道会社による裁量的決定を制限する州法を憲法違反と断じた19世紀末のアメリカ連邦最高裁の判決群を鳥瞰するときそう断ぜざるをえない。要は、これらを踏まえるとき、サッチャーもレーガンも、フリードマンもハイエクもある意味立派な<社会主義者>である。
而して、上述の如く、「民主主義」についてもこのような(A)(B)の経緯が幾つも容易に観察されるのではないでしょうか。そして、それらが<民主主義の顕教的意味>を各々構成している。そう私は考えます。続編に続きます。
・民主主義--「民主主義」の密教的意味
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0364792934f8f8608892e7e75e42bc10
P/S
個人的にはそのことにある程度の感慨を覚えながら、
1923年、第二次護憲運動勃発前夜に生まれた、
亡き父の誕生日に本稿をアップロードします。