国府の草庵で年景の要請での法話
親鸞聖人は瞑目して晶名しておもむろに温顔をほころばされてから法話をはじめられた。
『仏の智慧と人間の智慧と申す事あり、学者は賢い、百姓は無知と言うは人間の智慧の高下である、さりながら、大人と赤ん坊の智慧と違うように、人間と仏とは智慧の桁が違うのです。夏の虫がぐるぐる火の回りを回って離れぬように、人間は如何に知恵を絞っても六道を輪廻するだけです、仏が大慈、大悲の助け船を出して下さったのです。ただこれに乗れ、手足をバタンバタンさせるな。邪魔になるばかりだと仏は仰る。水におぼれかけている赤ん坊を親が助けるには、ぐっとつかんで引き上げるまでで誰が赤ん坊に泳げと注文する者がいるでしょうか。
他力の往生はまずその通りです。
ただ弥陀から信心を戴き報恩感謝のみ名を呼べば、大慈、大悲の弥陀が全てをはからって下さるのです。
百姓は無知だ、土民は愚かだと言うは、凡夫の小さな差別眼と申すもの、断じて御仏の広大無辺な絶対の御度量ではないのです。かく申す私などの、20年間の比叡山での学問修行も極楽参りの為には、荷厄介となるだけで、私はさらりと捨てて身軽になってしまったのです、御仏の眼力によって、南無阿弥陀仏と申して極楽へ連れて行ってもらうだけの事です、各々方これだけの事です、なんと優しい事ではありませんか、先師法然上人は北嶺第一の博学とうたわれた方だったが、一文無知の尼入道と同列になって念仏申された、仏教についてこれより奥深い事を知っている人が居るとするならばその人は仏は憐みたまわぬとさえ申されたぞ、それならお前の力でやって見よと突き放されたら大変だ。
各々方わかりましたか、今日、ただ今より、弥陀より信心を戴いて、報恩感謝の念仏申さん方は、この親鸞と寸分違わぬ正定聚の一人となられるのです。
ああ、まことに天を仰ぎ、地に附して讃嘆感泣すべきは他力易行の念仏の教えです』 親鸞聖人はこう話を結んで、声高く南無阿弥陀仏と晶名された。
*正定聚:生きている今仏に助けられた、仏格の一つ手前の位で死ねば仏に成ることが約束された状態
* 他力:仏教では阿弥陀仏の力のみを他力と言います。
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