
泣いた
最近涙腺が緩くなってきてるのかもしれない。以前にクリアしたときは泣かなかったのにACT5でスネークがボロボロになりながら戦いつづけるシーンで潤みつつもED後のスネークとオタコンの会話で決壊しました
やっぱりスネークとオタコンのコンビはMGSシリーズのベストコンビ
互いに不器用ながら以心伝心絶大な信頼を置く者同士
メリルの結婚式でサニーにスネークはどこに行ったの?と問われるシーンなんて見てられなかった…
ED後にひょっこり帰ってきたスネークを見つけた時のオタコンの反応を妄想するだけで泣ける
MGS4はサーガ終焉の物語。あらゆる物事がゼロ、無へと還っていき次の世代へ希望が受け継がれていく
スネークにとっても滅びの物語であり、確かにED後にスネークは死ぬ。だが英雄が死んだ後に一人の人間、デイビットとして彼にも新たな希望が授けられたのが非常に良かった
最後まで頑張り通したスネークへのささやかな救い。たとえ余命いくばくもなくとも最後に英雄ではなく、影でもなく、一人のちっぽけな人間として最期を迎えられる祝福
そして彼は一人ではない、彼の傍らにはオタコンがサニーが、きっと大佐や雷電やメリル達が居て安らかに息を引き取る未来を予測させるこれ以上にないだろうハッピーなエンド
よくもまあMGS2で広げた風呂敷をここまで綺麗に畳めたなあとは思う
再プレイして感じたことは、やはり愛国者達はシリーズ通してただのAIではなく規範や概念として扱っていたんだなあと再認識
MGS4をプレイしたのがだいぶ前なんで、広げすぎた風呂敷をAIにこじんまりとまとめたと勘違いしていました
AIは愛国者の表面にすぎない
ドレビンやラットパトロールにも一端が見られましたが自分たちの感知しえない部分にまで根回しがされている。愛国者システムがシステムを動かす中で必然的に発生する流れや手順こそが本当の意味での愛国者の実態であり、経済や政治や国こそが愛国者そのもの
ライフラインを正常に保とうとする仕組みがゼロの予期しえない方向へと成長したMGS4時点での愛国者であり、突然の化学変化により戦争経済と結びついてしまったことが災難だった
しかしよくここまで戦争経済という半ば架空の題材を破綻なく理論立てて結果まで描けるなあ
小島監督の現状の社会情勢の認識の高さや、この先の世界がどうなっていくかを予測できる見通し能力が為せる業なんだろうなあ
凄い。本当凄い
プレイしなおしてみるとMGS4もやはり新たな自分探しの物語であった
その最たる部分がサニーがアウトサイドに羽ばたいていくシーン
あれこそ小島監督がMGS1、2でくどくど説教していただいた「良いから外へ出てみろ」を地で表現するストーリーであった
雷電やメリルも新しい幸せを発見していくんだけど何よりスネークがデイビットとして生きていくのが良かったなあ
タバコは健康に悪いなんてセリフ、到底スネークとは思えない
MGS4のイメージビジュアルにも使われたキーワード「散る」ですが散った後に実が宿っていた結末がとても良かった
1を2に、10に100にしていくのは難しくないが0(無)から1(有)へと生み出すのは非常に難しい
PW製作付近によくツイートしていた小島監督のこの言葉ですが初出はEDのビックボスの言葉だったのかもしれませんね
MGS4の不満点をあげます
・ファンディスク的位置付けが強く、まともに潜入ゲームとして見るとACT1.2以外ゲームとしての面白みが薄い。中東と南米が最高に面白いだけにもう少し厚みがあれば
・ナノマシンに設定を頼りすぎ。ジェパンニが一晩でやってくれましたレベル
それ以外は最高です
ゲーム性も最高でMGO2は2000時間は遊んだほどに(本当の話)
MGO2懐かしいなぁ
非公式にエミュ鯖がファンの間で楽しまれてるみたいだけど敷居が高いしグレーゾーンというか多分完全にアウト
MGO3でまたネトゲ中毒になってしまうかもしれない…
大学時代はMGO2漬けで真剣に危なかったからなぁ
ということで夜も遅く明日仕事なのでこの辺りで
多分追記しまくります
MGS4でもうMGSサーガは完結してるんですよね
もっと言ったら小島監督がゲームを通して伝えたいであろうテーマはMGS1、2で完結していた
MGS3以降の時代(シーン)、感覚・意志(センス)というキーワードはMGSサーガに膨らみを持たせる為に生み出された意味合いが強い
MGSの根底に漂うテーマは「伝える」こと
1では遺伝子を拠り所に有形の伝達、2では情報・文化などの無形の伝達
3では時代という規範を設け、4ではセンスという伝達不可能なテーマを描いた
伝える事がテーマであった作品がサーガ最終作において伝えることができない、そして伝えてはならないモノも存在していると主張するのはなかなか面白い
MGSサーガは基本的には4で完結している
PWはサーガの中でも外伝的位置付けであった
テーマは平和と抑止力。ビックボスがボスの意志(センス)を理解して決別するお話
そこに伝えるというテーマはなかったと思う
PWはとりわけ作品人気を受けて作った感が強いですからね
色々とテーマの後付け感は否めない
作品の面白さ自体は他シリーズと比べても全く劣りませんが
あの時期の小島監督はMGSというブランドはそろそろ自分の手を離れて受け継がれていくべきだとインタビューなどで喋っていたような
ライジングもその一環ですね、MPOのころから兆候はありましたが
しかし、小島監督の手が存分にかかってないMGSブランドのゲームはイマイチ奮わず、これじゃダメだという思いもあってPW製作に乗り出していたような
記憶が朧げですがどこぞのジブリのようですね
やっぱりMGSは小島監督がいないとダメなんですよ
技術はいくら小島監督の作品に似せられようとも心が伴わない。MGSのセンスを持ち合わせているのは小島監督ただ一人ですからね
わかりますかコナミ、心技体、ゲーム製作においても重要なのは心なのだ
おそらくコナミは数年の内に小島監督の手がかかってない新たなメタルギアを生み出します
FOXエンジンも使うだろうし普通に面白いゲームが出来上がるでしょう
でも今までのMGSとは決定的に違う部分があるだろうことはプレイしなくてもわかる
ブログ主もおそらく買います
買って楽しんでその上で酷評しまくると思います
小島監督は後世にMGSブランドの製作を引き継ぐ意図はあっても今回の件は不本意な引き継ぎなはず
コナミはなんかもう色々と嫌いになりますね
TPPの次作は大穴でフィランソロピー時代のソリッドが描かれそうだけどネイキッド、ビックボス=スネークのイメージの方が浸透した今のユーザーの受けも考慮してMGS3~GZまでの時間軸を描いた新作が出来上がりそう
とまぁTPPの次のコナミ産MGSの事はいったんおいとくとして
MGS4の感想に戻ります
ボスの意志に一番近いスネークはオールドだったのだろうな
そもそもがMGS4のオールド自体がありのままの世界を守る為にリキオセに戦いを挑んだわけである
誰に命じられた訳でもなく自らの意志で戦いに赴く
罪と罰がMGS4に登場するキャラクターに降りかかるわけであるがオールドに科せられる罰は愛国者設立メンバーの罰に比べると濡れ衣みたいなものなんだよなぁ
そこを逃げずに受け止め後世の為に戦う
その生き様にボスを重なったからこそビックボスはオールドを一人の男として尊敬したのでしょうね
結局は今回もオールドは盤上の上で愛国者達(ゼロ)とオセロット達のポーンとして操られていたに過ぎないがオールドの奮闘があったからこそMGS4ラストのようなライフラインはそのままに愛国者達の管理管理のみを一掃するベターなエンドに持っていけた
まぁぶっちゃけサニーの活躍がなければ近代文明社会は崩壊しただろうとは思いますが
また、オセロットに着目してみるのも面白い
どれだけビックボスに心酔しているのかとw
ラストバトル、実はあれオセロットが書いた筋書き上では戦う必要なんてこれっぽっちもないんですが戦わざるを得なかったんでしょうね
メタ的に考えればMGSは肉弾戦で締めという定型美から
オセロット視点で考えれば自分へのご褒美だったのかもしれません
尊崇したビックボスを象ったオールドとの全てが終わった後の待望の殴り愛
ソリッドとグレイフォックスの関係性のように、このような男の闘いに理由を求めるのは野暮というもの
フォックスダイに殺される前にスネークという人物に倒されたかったのかもしれません
オセロットは最後にスネークと全力で戦ってそれでも自分では敵わない、やはり自分が尊敬したスネークという男は偉大だったと確認したかった
しかしどこまでリキッドの仮装人格があったかが不明なんだよなぁ
リキオセのリキッドの人格のパーセンテージによって最期の肉弾戦の意味合いが変わってきますね
リキッドの人格が少しでもあるのならリキオセの文言通りにあの肉弾戦は遺伝子からの解放を賭けた闘いであった
個人的にはオセロットのリキッド部分は全て演技だとは思ってますが
MGS2でフェイクとして用いられた方のS3計画を流用したリキッドへのなりきり
腕に人格を乗っ取られたってのはやはり無理がある気がする
MGS4発売前にリキオセは実は邪気眼というネタを友人と話してましたが当たりだったとは…
MGS4は確か発売1週間前くらいにネタバレが投下されてましたね
ビックボスやゼロがラストに出るなど画像付きで
2ちゃんねるなどはそろそろ危険なんで楽しみにしてる人はネット断ちした方がいいですね
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