10月も、残すところ一週間ほど・・・
峠では凍結しています の、ニュースを聞くようになりました。
あんなに暑くて暑くて愚痴ばっかりの日々も、
ほんのチョッとの期間だったんですよね~。
これからの寒くシバレル日々の方が、
はるかに長いんですよね(>_<)
33ヶ所巡りも、大雑把に予定していた通りに、
巡り終えることが出来ました。
根室から釧路に向かって、ひたすら走るところで終わっていた前回の続きです。
釧路には沢山のビジネスホテルがあるからと、
予約をしなかった私のミスで、
ホテル探しの旅もしてしまいました。
3連休のの中日だと言う理由でしたが、
あたるホテル全部が、満室で・・・
(お高いホテルはありましたが)
最終的には、前日泊った所よりもローカルな‘旅館’に落ち着きました。
今の時代には見向きもされないような佇まいでしたが、
3代前の方が新潟からやってきて開業したとのことで、
細部に‘贅沢’さが施されていました。
次の朝、道東の最後のお寺へお参りした後、
私の目的であった、お宅へ行きました。
そのお寺と、割と近い場所だと言うこともありました。
12年前、息子と二人‘独立’する前は、親戚だったお宅です。
3年前に元義妹や、元義父が亡くなった時にも、
お会いしていたので、お邪魔しやすかったのですが・・・
15年ぶりくらいで訪ねる道も、何となく記憶にあり、
迷うこともなく近くまで行くことが出来ました。
今までの話しや、お孫ちゃんたちの話しなど、
あっと言う間に2時間も経ってしまいました。
その後、TVで釧路の街が写るときの定番である、
フィッシャーマンズワーフや幣舞橋・花時計を散策しました。
そして、もう1軒。
こちらが一番の目的でした。
かつての親戚だった‘伯母さん’が、4年前に亡くなったのですが、
立場上、どうすることも出来ずにいました。
気になりながらも・・・
で、今回の旅に便乗させてもらうことにしました。
確か、87歳になるはずの伯父さん。
今もお一人で生活しているとは聞いていたものの、
いつ何事が起きるかも分からず・・・
ご縁があったころ、亡くなった伯母さんには随分可愛がって頂いたので、
何にも出来ないことが心苦しかったのです。
訪ねてくれたことを喜んでくれた伯父さんは、
まったく年齢を感じさせず、小屋のペンキ塗りをしていました。
お線香をあげさせて頂き、話しをし、
少しの時間しか居られませんでしたが、
帰りに外まで見送ってくれ・・・
『気付けて帰るんだよ・・・あんまり飛ばさないでね』って
そして・・・
『なんか食べて帰って』
と、ティッシュに包んだ‘お心遣い’を握らせてくれ、
車が見えなくなるまで、手を振ってくれました。
ハンドルを握りながら、目の前がかすみました。
私は、幸せだなぁ~と、しみじみ思いながら。。。。
その後、途中の道の駅に寄りながら、帰路です。
白糠、恋問の道の駅の一番人気の‘豚丼’
伯父さんからのご好意に甘えました(*^^)v
札幌から道東方面に行くルートは4つ
高速・道東道
狩勝峠(富良野回り)
天馬街道(日高回り)
日勝峠(夕張~十勝までの長く急な峠)
今回は、この日勝峠を選びました。
チョッとでも紅葉が見れるかも?と思ったのですが・・・・
残暑の影響で、かなり遅れていました。
無事に、道東の旅も終えまして、
先日、20日に、33ヶ所目である、市内のお寺を参ってきました。
これで、33ヶ所すべてです。
結願することが出来ました。
事故にあわず、事故を目撃することもなく・・・
本当に、有り難いことです。
本当は、この切っ掛けをくれた友達の希望で、
ご苦労さん会&ありがとう会 をする予定でしたが、
その友達が、体調を崩し、又の機会に~となってしまいました。
きっと・・・
私の車のタイヤ交換をしていなかったことで、
危険を回避してくれたのかもしれません。
友達が行きたい場所、美瑛方面~十勝岳にある温泉
美瑛はともかく、この温泉への道が、
もしかしたら、夕方からは凍結する場所があったのかも・・・
大きな峠を走るわけじゃないし・・・
深夜に走るわけじゃないし・・・と、
この後、本格的な冬になるまでの間、
スタッドレスで走るのもなぁ~と、躊躇して交換しなかったのです。
20日は、友達の亡きお父さんの誕生日だったそうです。
が、月こそ違え、私の亡父の命日なのです。
偶然のような必然で、
私たちを守ってくれたんだと、思います。
今日は、お参りだけにしなさい!と・・・
来年はもっとゆったりしたペースで、
道内の行っていない場所を廻ってみようと思っています。
友達も、各地の花の時季に行きたいね♪ とのことなので、
又、沢山の思い出を残したいなぁ~と思っています。
何はともあれ、無事に巡り終えることが出来たことに、
感謝します。
ありがとうございました
今回の道東の旅は、1600キロくらいでした。
33ヶ所巡りの旅の総走行距離はどれくらいになったでしょう?