気の向くままに junne

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‘15. Old Music Times Blues R&B Part -2-

2015年02月17日 | 下町放送局・アーカイブス

Old Music Times

ブルース / R&B  Part -2- (フォト・チャンネル)

ここで取り上げるブルース/R&Bは、現代の感覚のものとは歴史的に異いが有る事を留意して頂きたい。

 

Don & Dewey

ドン・ハリス、ドン=シュガーケイン=ハリスというニック・ネームで知られる。

        デュエット時代はギター、ベース、電気バイオリン、ヴォーカル。

デューイ・ハリス、ピアノ、リード・ヴォカル。

二人共(推定)1934~35年、ロスアンジェルス生まれ。

このデュエットに関しては、殆ど正確な資料は無い。スペシャルティに入社したのが1956年(~'59)である事から、二人で活動を始めたのはその2~3年前頃だと思われる。

デビュー曲は「Jungle Hop」。この時代デュエット・チームは結構人気が有った様で、他にはマービン&ジョニーという有名なコンビがスペシャルティには所属していたし、チャーリー&レイ、ロバート&ジョニーがいた。男女のデュエットではシャーリー&リー、ジーン&ユニス、ミッキ&シルビア達が評判だった。

そうしたデュエット・チームの中に在って、ウエスト・コーストのR&B界で活動していた彼等は、最もユニークであったと言える。と云うのも、この二人組は、いわゆるデュエット・グループらしい掛け合いとかハーモニーなどの魅力を殆ど持たず、敢えて言うならば、リトル・リチャードとチャック・ベリーがユニゾンで(一緒に)歌っている様なもので、その魅力は全体のサウンド、つまり彼等のR&B/R&R音楽そのものに在ったからだ。常にR&R色が濃かったのが特色であったのだ。そして実はそれこそが、ウエスト・コーストのR&R界に大きな影響を与えたという意味で、白人ユージシャン達の間で高い評価を得ている由縁である。

がなり立てる様な二人のヴォーカル、バックのギターとピアノの素朴なプレイにも荒っぽさと迫力が同居しているが、素人のそれとは全く異う。これらはリトル・リチャードやロイド・プライス、ラリー・ウィリアムスなどには見られない、独特のムードを出している。

わずか3年程で7枚のシングル、それらを含んだLPが1枚と、人気の割りには当時としては少ないが、ライチャス・ブラザース、ソニー&シェール、デイル&グレイス他、ウエスト・コストの'60年代に向けて、大きな足跡を残している。

 

The Spaniels

1952年、インディアナ州ゲリーで結成。メンバーの5人全員がルーズベルト・ハイスクールの学生であった。

当時は鳥の名を付けた『バード・グループ』の全盛期で、犬の名(スパニエルズ)を付けた事はユニークであったと言える。サウンド的にもテナーとバスを基礎にして、3人がタイトなコーラスを付けるスタイルというのもユニークと言える。

1952年、Vee Jay レコードよりデビュー。1953年、「Baby It's You」がシカゴのマイナー・レーベル「Chance」から発売されレコード・デビューとなる。1954年、3枚目のシングル「Goodnight Sweetheart Goodnight」がVee Jay始まって以来のベスト・セラーとなり、これに依りR&B界で一躍有名になった。

1954年秋頃迄には着実に人気を高めていたが、'54年末に突然メンバー・チェンジが起きた。リード・シンガーとバスの二人を残して3人が退団。と同時に彼等のコーラス・スタイルに変化が起きた。これはR&Bコーラス・グループ全体に言える事で、R&Rの影響を受け、モダンなR&Bバラードを多く歌う様になったのである。その後も活動を続けるが、'62年秋、2曲を出して実質的に解散。

その後は'60年代末のロックンロール・リバイバルで再結成し、2枚のレコードを出してイースト・コーストを中心にリバイバル・ショーやコンサートを続けていた様である。

時代の流れと共にスタイルの変化を求められ、消えて行った。よくあるパターンに組み込まれてしまったけれど、初期のサウンドは確かに素晴しく、ユニークで、パワフルで、ハートフルなものであった。

まさに時流のいたずら、運命のいたずらとしか言い様がない。

 

The Coasters

ノベルティ・ソングの専門家。

R&R全盛期に全く異質の別路線を歩んだコーラス・グループ。

'50年代半ばから'60年代初めは、紛れも無くR&Rの全盛期であった事は間違いの無い事実。しかし、R&Rだけがこの時代の全てではなかった事も、これまた事実。映画「アメリカン・グラフィティ」や「グロウイング・アップ」のバックに流れていたものは、全てこの時代のもの。既にアメリカン・ポップスの時代が同居していた。コーラス・グループもその一端で、多くのグループが存在していた。しかし、その殆どはドゥーワップ系のものやR&B色の濃いものや、ジャズ色の有るものであった。

そんな中に在って、このコースターズは一風変わった道を歩んでいた。ノベルティ・ソングである。黒人R&Bグループは、よくこういう曲を手掛けてはいたが、それを売り物としてR&Rに割って入り、人気を手中にしていたグループは数少ない存在である。

 1955年にロスアンジェルスで結成された4人組。'56年に「Down In Mexico」のデビュー曲をスマシュ・ヒットさせた後、1970年代初め迄の間に何度となくメンバー・チェンジを繰り返しながらも、グループとして存在出来た事は、比較的珍しい事と言える。

黒人グループでR&B、ドゥーワップ色を基礎にしながら、ノベルティ・ソング・グループとして白人にも人気が出る様なポップスな面を合わせ持ち、ヒット曲を放ち長生きするというのは、或る意味、至難とも言える。

とは云え、全盛期と言えるのは、やhり'60年代初頭迄と言わざるを得ない。アメリカン・ポップスの衰退と共にThe Beatlesなどが現れ、音楽界が変貌を余儀無くされたからだ。

このグループは消えた後でも、音楽界に大きな余韻を残している。

 

The Chiffons

1950年代末から1960年代中期に掛けての女性グループの出現。

ニュヨーク出身の女性R&Bグループと云えば、ザ・バベッツ、ザ・クッキーズ、ザ・ハーツ、ザ・シャンテルズ・・・他、などを挙げる事が出来るが、中でもデッカ・レコード/セプター・レコードを経て大成功を収めたザ・シュレルスがナンバー・ワン的存在であろう。このザ・シュレルスが起点となり、'60年代初期から中期に掛けて多くの女性グループが出現してきた。

その先陣を切ってデビューしたのがブロンクス出身のザ・シフォンズだった。この4人組のザ・シフォンズは、ザ・シュレルスの影響を強く受けはていたが、同時にザ・クッキーズ、ザ・バベッツ達の若さに溢れた、溌剌としたコーラス・スタイルの影響も受けていた。

 結成は1960年、未だ全員ハイスクールの学生4人であった時に、ロナルド・マックと云うマネージャーにスカウトされ、プロの世界へ進出。メンバー個々の詳細は判らないが、1946年、1947年4月7日、5月16日、9月30日である事から、13~14歳という少女達であったという事になる。男女共にこういった若い子達が出現し成功するというのは、当時、別に珍しい事ではなかった。

 1960年9月にデビュー・レコードを出すも不発に終る。後を追う様に同曲をザ・シュレルスが出すとこちらの方はヒットした。一日の長、貫録の異いか。

1962年末にLourie(ローリー)と云うニューヨクのヒット・ソング・レーベルに入社。ここでのデビュー・レコード「He's So Fine」を'63年に発表すると3月~4月にヒット・チャートに登場。R&B部門とホット100でNo.1を記録。一躍女性グループのトップ・クラスになる。'67年頃迄は人気を保っていたが、'68年頃からは下降線を辿り、'69年にはB・T Pappyと云うレコード会社からLP、シングル各1枚を出したが、活動としてはその後は先細り。

尚「He's So Fine」はビートルズ解散後のジョージ・ハリソンが出した「My Sweet Road」が盗作したとされ、彼もそれを認めた。'50年代末から'60年代半ばに続々と出現したティーンズ・グループの中に在って、ザ・シフォンズは確かなる足跡を残し、一時代を築いた事は事実であり、視覚的なものではなく中身で勝負していたグループであった。

 

The Orlons

コーラス・グループの全盛期を迎えていた'60年代前半、実に多くの様々なグループが出て来ては消えて行った。そんな中、カメオ・パークウェイ・レコードからも幾多のアーティストが出ていて、1961年7月にこのThe Orlonsもデビューした。

全員フィラデルフィア出身で1956年、最初は女性ばかりの5人組で別のグループ名を使っていたけれど、このグループは長続きをする事は無く、すぐに消滅した様である。その後1959年になると、このグループにいたシャーリー・ブルックリーとロゼッタ・ハイタワーが中心となり、マリーナ・デイヴィスとスティーヴ・カルドウェルを加えた4人組としてスタート。この時にグループ名をThe Orlonsとした。メンバーの顔触れからも解る通り、女性3人に男性1人という異様な構成になっているのが特徴と言える。1961年にレコード・デビュー、2作目は'62年ですが、両方ともヒットはしませんでした。それでイメージを変えて、流行のダンス・リズムを取り入れた「The Wah-Watusi」を出すと、R&B部門で3位、ポップス・チャートで2位という記録を出したのです。

しかし人気は長続きせず、ベスト20位内に入ったのはその後の1年程で、'64年以降は人気の下降線を止められなかった。それはおそらく、出すレコードの殆どがオリジナルではなく、カバー曲が大多数を占めていた事と無関係では無いのであろう。更に言うならば、唯一の男性の位置付けが不明確で不安定であった事とヴォーカルのロゼッタ・ハイタワーのワンマン・グループ化に依る事も理由に挙げられると思われる。

1曲1曲で見れば、かなり質の良いサウンドでは有った。ドゥーワップ、R&Bコーラス、ポップス系統のものも演るという、良く言えばエンターテイナー・グループでしたけれど、それが故に、自分達が進むべき方向性を見失っていたのだとも言える。

僅か4年程でカメオ・パークウェイ・レコードを去った後の事は判らないが、異色のR&Bコーラス・グループとして、足跡を残した実績は評価するに値する。

 

The Tymes

1956年にグループ結成。二人がヴァージニア州で三人がペンシルベニア州のフィラデルフィア出身。長い下積み生活を送り、'63年4月、フィラデルフィアのWDAS放送局のタレント・スカウト・コンテストに出場。その場でカメオ・パークウェイ・レコドにスカウトされ、レコード界にデビュー。長い下積み生活がやっと報われる事となった。1963年5月、「So Much In Love」でレコード・デビュー。ビルボード誌では6月1日86位初チャート、8月3日1位を記録。一度はヒット・パレード界から姿を消すが、‘66年MGM,'67年ウィンチェスター、‘68年コロンビアと各レーベルでレコーディング。'74年にはRCAより「Little Trust Maker」のヒットで再びスター・グループの仲間入りを果たしている。

彼等のサウンドの変化を前期と後期に分けるとするならば、前期は甘く優しく美しいハーモニーが特徴的であったと言えるだろう。とは言ってもそれは白人のものとは異い、飽く迄も黒人としての持ち味を基本としたものである事は言うまでも無い。敢えて言うならば、歌もコーラスも美しい、ムーディーなR&B(勿論ドゥーワップを含めて)と言えるだろう。そのハーモニーの技術はかなり高いものが有る。この時代のR&Bコラス・グループは比較的短命に終る傾向が有ったが、このThe Tymesが長く活動出来ているのは、基本を完全にマスターしているというのが、その要素として挙げられる。数多いコーラス・グループの中でも、これ程の美しいハーモニーを聴かせてくれる黒人グループは滅多にいない。そしてそれでも飽く迄もR&Bグループなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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