ジュルのしっぽ-猫日記-

おっとりネコ・ジュルとのほげほげした毎日。

脳科学でわかるネコのこころ(はじめに)

2006-06-30 | 脳科学でわかるネコのこころ
【 はじめに 】

 「一般的に、ネコには“こころ”がないってことに、なっているらしいぞ。」(ダンナ)
ふっ、そんなバカな。ジュルにこころがないわけないじゃないって、思ったのですが、
ダンナはいろんな難しそうな本を読むうちに、
「こころのような高度な能力は人間特有のものであり、動物には本能的感情しかない。」
というナンセンスなことに、科学的にはなっているらしいことに気づいたのだそうだ。

「私たちが知る限り、確実に「心」を持っているといえるのは、私たち人間の脳だけだ。」
(「クオリア入門」茂木健一郎著)
マジ?((Д;))) このヒト、超有名じゃん!

「人間以外の動物に主観的な心の体験を与えることはタブー視されてきて、
それが科学研究の大きな障害になってきた。」
(「動物の心」ドナルド・グリフィン著)
…。|li(-_-)il| 動物行動学の世界的権威!?

 他にもそういうことが書かれている本ばかり。
有名な学者さんにそこまで断言されると、黙るしかないただの主婦のわたし…。
ネコのこころのバロメーターといわれているしっぽが、ジュルにはちょこっとしかない。
だからただでさえ、こころがとても読みにくい。ネコのこころを知りたいと想うわたしの気持ちを、
余計に強くするんだな、あのしっぽが。



「動物の行動を理解するには、脳から出発しなければならない。
長年のあいだ、動物行動主義者はこの方法を採用せず(中略)苦心した。」

(「動物感覚」テンプル・グランディン著)
 そうか。こころは脳の働きといわれているから、脳科学から解き明かせるのかもしれない。
そこで、読書好きなダンナが脳科学の本を読み漁って、脳科学のポイントをまとめる。
それをわたしが、ネコのこころを理解できるように簡潔にまとめていくことにした。

 そして解き明かすうちに、とても重要なことに気づきはじめた。
この連載はあくまでも、「ネコのこころ」を脳科学で解き明かすのが目的だけど、
勉強していたら、ネコがとても大切なことを教えてくれたので忘れないうちに書き留めておこう。

 「動物には、こころがない」 ― なぜそういうことになっているのか。
 答えは簡単だった。そう思っていたほうが、ヒトはラクだから
ヒトが考えることなんて、いつでもなんでも単純。動物実験、保健所での殺処分、ペット産業、
毛皮産業、食肉産業…、挙げたらキリがない。けしてすべて悪いなんていわない。
ただ、処分方法や飼育環境とか、動物の扱い方がヒドイ状態でもまかり通るのは、
「動物には、こころがない」と科学的に正当化してきたことが根底にあると思う
 「動物はヒトほど進化していないから、ヒトのようなこころがないんだって。だから処分される時も、
過去を振り返るような記憶力もないから、悲しさや切なさを感じないんだってさ。
前頭葉が発達していないから痛さにも鈍感で、ピーピー鳴いてたって恐いだけで、
大して苦しくないらしいよ。科学者がいってんだからさ。きっとそうなんだよ。」
そう“思い込む”ことで目をそらしているだけ。そうすると、動物の取り扱い方が雑ですむ。
お金も手間も極力かけずに処分できる。炭酸ガスによる窒息死をさせたり、あとは、あとは…
ダンナに聞いたけど、ここには書きたくないヒドイことが異常者ではなくて、わたしたちのすぐ側の
公的な施設や研究所や工場でまかり通ってしまう。
 けして、理屈をこねているわけじゃない。その証拠にこの前の国会だってそうだった。
迷いネコやイヌが遺失物法っていうモノ扱いされている法律だけでも、なんだかなって感じだけど、
いままでは警察で1週間保護されていたから、飼い主がすぐ探せば再会しやすかった。
ところが遺失物法改正で即、3日間程度しか保護されない保健所扱いに変更されてしまった。
保護期間が極端に短くなると助かっていた命も助からない。
国会の質疑でも「助かる命も救えなくなるのでは?」という質問が出た。その問いに対する回答は、
「お金も人手もありません。それが現実です」だって。命より予算。あんなに不必要な公共事業で
予算をムダ使いしといて、よくいうよ。
「かわいそうなのはわかるけどね。もともと迷わせた飼い主が悪いんでしょ。余裕があれば
考えたけどねぇ、財政難なんだからしかたがないさ。」
この「仕方がない」。これがクセモノ。“仕方”とは扱い方ということ。そういう扱い方以外にない、
それでも許される範囲じゃない?だからその必要もないでしょという考え方が、
天下の国会の場でもまかり通ってる。あ~、ゾッとする。

 動物のこころについての学問は、主に2つの柱でできている。「動物行動学」と「脳科学」。
「動物行動学」では、動物にだってこころがあると主張。生態観察すれば、こころがあるとしか
思えないという。
「脳科学」では、こころは人にしか認められないという。脳の構造やしくみや実証からみて、
ヒト以外の動物に高度なこころがもてるわけがないという。科学的実証もないじゃないかと。
科学万能の時代。脳科学の立場で動物の主観を唱える論文は、
嘘か本当かは知らないけど、ことごとく異端扱いされてきた歴史があるのだそう。
「それでも動物にはこころがある」というと、「それでも地球は回っている」といった昔と同じ扱い
なわけね。まさかガリレオみたいに処刑はされないだろうけど。
科学的実証っていわれても、動物観察がメインのどっちかというとドロくさい動物行動学には
きっとなかなか難しいお話。
そうこうしているうちに、ヒトはなんとなく科学が正当化しているラクな道を辿ってきたというわけ。



 わたしは焼肉が大好きだし、羊毛の毛布だって持っている。動物実験しているメーカーの
化粧品だって持っている。
ベジタリアンにならないといけないの?化粧品買っちゃいけないの?そんな堅苦しいものなの?
わたしはその必要までは感じない。わたしは今までどおり、焼肉だって食べるし、羊毛の毛布
だって、化粧品だって使う。
 でも、決めた。牛、豚、羊のような食肉や飼料のために飼養されている動物しか利用しない。
それ以上利用しているモノはいらない。牧場や食肉工場で、牛や豚がこころにできるだけ
傷を負わないような処分をしてほしいと望みたい。だって、かれらはわたし達ヒトが、
自分達のために産んだんだから、それぐらいの責任はもたなきゃいけない。
 ヒトも生きているんだから他の生き物を食し、利用するのは自然の摂理。ただ、ヒトは自然の
摂理には収まらない力を持っちゃったから、それこそ野生で生きているなら別だけど、
野生動物を捕獲して食べちゃいけない。もう、ヒトの力を受け止める余裕は地球にはない。
動物も資源も樹木も空気も水も、ぜんぶぜんぶ。
その自覚がヒトにはない。都合がいいように横暴な振る舞いを正当化してしまう。
食肉工場や牧場でも、きっとヒドイ扱いをされている家畜がいっぱいいるんだろうな。
 「だってアンタ、そんなこといったって結局食べちゃうんだろ?善人ぶるんじゃないよ!」
「ダメダメ!動物の権利を何だと思っているの。食肉は禁止。言っていることが矛盾してるわ。」
って、声が聞えてくるね。
わたしは極論には走れない。
こころがある動物。だから処分方法や環境だって、考慮してあげるのが当たり前でしょ。
お金や手間がかかるからって、言い訳はきかない。それぐらいの責任はもたなきゃいけない。
動物はヒト以上に恐怖に弱い繊細なこころの持ち主だと知っていれば、意識のあるまま処分する
なんてことは、異常者でもなければナタを振り下ろせるわけがない。
ヒトだって生きている。他の動物を食べたり利用しなきゃ生きていけない。
だから、家畜を自分達でつくった。かれらの命を大事に育て、こころから感謝し、そしていただく。
それは健全な姿でもある。

 知っていますか?
動物はヒトのように事実を誤魔化すために“思い込む”ことも、目をそらすこともしない、というか、
できない。そういうふうにしか生きられない。そのかわり、事実をそのまま客観的に感じる能力は、
ヒトなんか目じゃないほど鋭い。
これから展開していく脳科学でネコのこころを解明していくと、
そのことがよ~くわかる。
かれらは見てる。わたしたちヒトを。わたしたちが思い込んで目をそらして誤魔化そうとしても、
かれらは真実を見抜いてる。



結論をいえば、脳科学の観点からみても、動物にも当然ネコにもこころはあります。
そして、事実を誤魔化すような思い込みもせず、目をそらさず、わたしたちを見ています。
それが真実であり、ヒトが覚えておかなければならない大事なことだと思います。

 さて、大事なことをまず踏まえたところで、親ばかネコばかをグッと抑えて、
肝心のネコのこころを科学的に解き明かしていきたいと思います!(って、解き明かせんのか!?)
きょうはここまで。
えっ、「はじめに」だけでおわり?
おわりです。わたしの脳がもう限界です…。




【コメントいただく際のおねがいです】
『脳科学でわかるネコのこころ』に関しては、いつものようにおひとりずつに
お返事できませんが、何卒ご了承ください。
連絡先不明で不快なコメントは、これまで通り、サクッと、ズバッと削除しちゃいます。



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19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
食べること (音羽薫)
2006-06-30 22:20:22
いろいろとお話よませていただきました。

私はご飯を食べます。お肉もお魚もお野菜もおいしくいただいています。

命は大切だとおもっています。もちろん養鶏場や牛、馬、魚も大切です。

食用の命たちを食べることをやめることはできませんが、残さずにおいしく、すてることなく命をありがとうの“いただきます・ごちそうさま”はとても大切だと思います。
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う~ん。。 (みほちん)
2006-06-30 23:30:15
とってもためになりました!

ありがとうございます!!

難しいですね~、これは。。

単純なことを難しくヒトがしてるんだと思うんですけどね。

私もお肉やお魚。。色々食べます。

これは自然なことだと思います。

野生動物もしていること。。

でも贅沢品のために他の命を殺すことはやっぱりヒトの我儘のような気がしますね。

そうそう!誰かからお魚は痛みを感じないんだって!って聞いたことがあるんですけど、ほんとなのかなぁ。。?

さばかれるのを見ていてそうは思えなかったんだけどな。

それこそが『そう思ったほうが楽だから』ってことなのかな。

本当に興味深い話をありがとうございます。

化粧品会社も早くすべてのところが動物実験をやらないでも販売できるように、これからも努力を続けます!
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無題 (むっちゃん)
2006-07-01 00:30:12
hanaさんの日記は「ジュルちゃんかわいい」だけで終わらずに何か考えることが出来るので大好きです。ノラ猫考とはまた別の思考回路を刺激されて脳年齢が低年齢化できるかもと期待してます。
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Unknown (keiko)
2006-07-01 00:30:14
私も「動物には心がない」という話を聞いて、絶対そんなことはないと思いました。

それに畜産動物と野生動物の問題などなど、いつも考えても自分のなかで答えが出ない問題です。また、続きを読ませてください(^^
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深い (チップスター)
2006-07-01 01:21:44
生きる上での矛盾はいつも感じています。

食べ物と生き物という関係だけでなく、

エネルギーの消費についても。

こうやってPCを使う電気を使う権利は

主張しても原子力発電所は嫌だと思う矛盾。

矛盾ばかりで35年も生きてしまいました。



でも、今日は最後にジュルちゃんの応援を

ポチっと押して寝ます。

ジュルちゃんが日に日に元気になっていくのは

愛情を感じるココロがあるからだと

信じているから。

ご主人とジュルちゃんが仲が良いのは、

礼儀を重んじるココロが通じているからだと

思っているから。
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Unknown (mikay)
2006-07-01 02:04:01
こっちはね、トラックいっぱいに豚さんが運ばれるシーンによく出会うの、やっぱり目を合わせられない…

だから私も、祖父母にきっちり感謝の念を教えてもらったとおり、食事の前の「いただきます」は忘れずに心がけています。

動物と一緒に住んでると、色々な感情があるってわかりますよね。



人間のエゴって時にはとても滑稽です…
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読ませていただきました。 (wata)
2006-07-01 02:05:08
hanaさんご夫婦はジュルちゃんとの出会いを通し現実に関わる事で、一緒に成長しているんですね。

このようなテーマを真剣に考え、読み手に提示する事はすごく勇気の要る事だとご推察します。

今の私は、ジュルちゃんが日々元気でいてくれる事、それだけを見守っていきたいと思っています。
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そんな… (harry)
2006-07-01 02:23:40
動物に心はあるに決まっているじゃない。

動物を遺失物扱いにしようという考えが

気に入らないなぁ。



まだ人間は人間は平等という考えを

やっと表向きに受け入れられるようになった

段階だからなぁ。

ちょっと前までは奴隷はモノ扱いとか

していたもんね。

まだまだ進歩が足りないんだよねぇ。

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お久しぶり (フォー母)
2006-07-01 02:47:43
hanaさん、ご無沙汰です。

忙しくてコメントも残せずにいました。

いつも興味深く読ませてもらってます。

野良猫ちゃんの記事にしても、猫の心のお話にしても、すごいですねぇ。感心してしまいます。

私たちが目をそむけてきたことに、メスを入れてくださってるようなそんな想いです。

引越しも近いんですね。お忙しいと思いますが、ファイトです。
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Unknown (poco)
2006-07-01 04:01:52
近頃、学校給食の際「いただきます」を言わせないで欲しいという不届きな親がいるらしい。

彼らが言うには「給食費をはらっているんだから言う必要はない」そうです。

『いただきます』こんなに素晴らしい言葉はないのに、嘆かわしい事です。

こんな親に比べたら猫たちのほうがよっぽどすばらしい『こころ』を持っています。



私も牛も豚も鶏も食べます。

イノシシや鹿やウサギも食べたことがあります。

彼らをいただくという事は彼らの命をいただき、私の身となり血となり私のいのちを繋いでくれるのだから、感謝をし、決して残さないようにしています。

「いただきます」と「ごちそうさま」を忘れずにいたいものです。
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