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「日蓮聖人解明の義と事の違い」・・方便品第二【第四月目】

2015年08月01日 17時39分15秒 | 生活・文化
義と事とは佛法に於ては古くから重要な意味があるらしく、日本の日蓮聖人が説かれた教義の中でもこの二つの意味と違いは極めて重要なのです。
   
日蓮聖人の願いは、日本中の国民すべてに佛法の願いを起させ、日本の国土に国が設立する佛法戒壇を建設し、それにより本来国の責任による佛法をもたらして日本を佛国にすることが究極の目的なのであり、その建設計画の戒壇の種類としては、「義の戒壇」と「事の戒壇」とに意味の種類が分かれているということです。
   
日蓮聖人の最終的に建設を目的としている国立戒壇という建物は、この二種類のうち、「事の戒壇」のことなのです。
つまり、最終的に全国民の一致を得て造る「事の戒壇」とは別に、その段階に至る途中の修行や普及の各地に準備段階や研磨の為にあらかじめ建てておくものを「義の戒壇」というらしいです。
   
なお、戒壇とはいろんな意味にも取れますが、通常の佛教界に於いては、階級僧を正式に認定する場所のことを戒壇といっているようです。
よって、その場所を国立で造るということは国自体で佛法の必要性を理解して国として、この認定場を設置することを国立の事の戒壇といっているようです。
   
つまり、このように義と事とは佛法上意味が異なるのですが、ここで釈迦が、舍利弗へ教えている、「種種の性相の義」とは前回に説明しました十如是のことであり、究極の佛法の意味とは誰も言葉では説明できないくらい複雑で難しい意味なのであって、精々何とか説明して見るなら十如是のようなことであると釈迦は教えていたはずです。
   
それに対し、釈迦自身と十方の佛同士のみが正確にこの事を知しめせりとは、あえてこの義を知しめせりとはせず、事という言葉を使っているところに意味があるのであり、とりあえず義に適っていることは通常の誰にもできることであり、その誰にもできる義を正確に検討し合って、真実を協議すること、つまり「事」は複数の佛同士でのみ解決できることであると釈迦は教えているのです。
 
⇒HPブログへ:第4-2日号-vol-86-世雄は量るべからず-方便品第二-十八行-二十三行/



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