:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 病院日記-3 《エックハルトについて》

2015-07-12 06:13:34 | ★ 病院日記

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病院日記-3《エックハルトについて》

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そろそろブログを更新しようと思うのだが、困ったことが起きた。それは、貼り付けるべき写真がないことだ。ローマなら、日本との距離のおかげで、何を撮っても絵になるのだが、日本人が読む日本語のブログに、日本の身の回りの写真では大概インパクトに欠ける。

梅雨の晴れ間に、「運動散歩」と目的欄に書いて「外出届」を出し、下落合界隈を散歩した。聖母病院から通称「アートの小路」を画家の「中村彝(つね)アトリエ記念館」を通って目白通りに並行した裏道を目白駅、学習院の先まで歩いた。

 気温は高かったが、空気は乾燥していて、暑さがさほど苦にならなかった。邸宅と呼ぶにはいずれもやや小ぶりながら、歴史と文化を感じさせる閑静な住宅地の庭先の花を撮ってきたので、写真はそれと決めた。

 

 

僅か5日ほどを211号の同じ病室で二人きりで過ごしたYさんとの時間は、実に濃密だった。

次第にわかってきたことだが、かれはギターを弾く。それも、かなりのレベルのようだ。かつては、フリーのジャーナリストをやっていた。有名人の対談記事も手掛けていたようだが、今はたっぷり自分の思索の時間を取れる仕事についていて、清貧のなか、大変な読書家でもあるらしい。

存在界について、生死について、仏教について、キリスト教について・・・、彼の投げかけてくる問題は、いずれも本質を捉えた重いテーマだったが、私は信仰、哲学、社会問題などに関しては、自分なりに思索し蓄積してきた中から、大概は確信を持って受け答えが出来た。そして、彼がそれを良く耕され大地が雨を吸いこむように受け止めてくれる確かな手応えがあって、この対話はお互いに大きな知的満足をもたらした。

さて、話がエックハルトのことに及んだ。

「先生はエックハルトをどう思われますか?」(彼は私を「神父さん」とは呼ばない。)

「あの神秘家のマイスター・エックハルトのことですか?若い頃に哲学史・思想史の中で通り一遍のことは習ったが、深くは研究しないままに終わったから、自説を展開できるほどの知識はありません。」と正直に告白した。

エックハルトについて思い出すのは、彼が中世ドイツの神秘主義者で、神を「無」とし、個人と神の直接の関係を説いて、教会から破門されたことぐらいで、その教説の詳細は何も記憶していない。

そんな私とは対照的に、Yさんは、日本語で読める限りのエックハルトの文献を絶版のものまで探して読み込んで、その思想を深く体得して、自分の精神的支柱にしているように見受けられた。砂漠のような大東京に住む市井の無名の探究者に、マイスター・エックハルトの達人がいたことを知って私は感動を覚えた。

エックハルトの教説には:

「汝の自己から離れ、神の自己に溶け込め。さすれば、汝の自己と神の自己が完全に一つの自己となる。神と共にある汝は、神がまだ存在しない存在となり、名前無き無なることを理解するであろう。

というのがあるが、この分かったような、分からないような新プラトン主義的な思想が、教会軽視につながるとみなされ、異端宣告を受けることとなった、という。神との合一を説き、神性を「無」とするエックハルトの思想は、どこかで仏教の教えと一脈通じ合うところがあり、後世のヘーゲルや、ショーペンハウアーや、ニーチェに影響を及ぼしたのだそうだ。 

話は私が澤木興道師に師事して座禅に励んでいた頃のことや、十牛図(注)のことにまで及んだが、彼が強く反応したのは、私の国際金融マンからカトリックの司祭への転身のこともさることながら、特に、キコに出会うまでどこにも安住すること無く、絶えず移ろいゆく魂の遍歴についてだった。

彼は退院の前日、私の書いた本、「バンカー、そして神父」(亜紀書房)、「司祭・我が道」(フリープレス社)、「ケリグマ」(これはキコの本を私が翻訳したもので同じくフリープレス社)の3冊を私のパソコンから注文した。私の共同体の土曜の「感謝の祭儀」(ミサ)にも是非参加したいと言った。彼の好奇心、探求心はもう全開だった。

退院の日も朝から話し合って、昼食後、病院の玄関まで見送った。次の土曜日の午後私を見舞いに来て、一緒に共同体のミサに行くと約束して、握手して別れた。

この人は神に近いな、と思った。

 

 

この出会いがどんなに特別だったかは、彼が退院して数日一人で独占していた4人部屋に、その後相次いで患者が入り、しばらく前から満室だが、新入りさんたちはいずれも終日カーテンを巡らし、顔を合せても会釈一つなく、地下鉄で乗り合わせた隣の人のように、都会の孤独と無関心そのものの全く取り付く島のない状態にあることからもはっきりと分かる。

 

 

〔注〕十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を、牛を主題とした十枚の絵で表したもの。

 

 

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