:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 私の「インドの旅」総集編 (9)田川批判ー2

2022-01-31 00:00:01 | ★ インドの旅から

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私の「インドの旅」総集編 

(9)田川批判-2

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あらためて田川建三先生を紹介します

 私は、田川建三という人が、日本の卓越した新約聖書学者者であり、宗教批判を通じて現代批判を試みた優れた著述家だと言うことを知った。

 新約聖書学者であるということは、新約聖書を、文献学的的方法や言語学、考古学等の人文科学的な方法を用いて、原初期の聖書とキリスト教に迫ろうとするものであろう。

 1935年東京生まれは私より4つ年上だから、今87才のはずだ。東京大学大学院西洋古典学科で学び、博士課程3年目の夏にストラスブール大学に留学。1965年に宗教学博士の学位を取得。以来、国際基督教大学で講師を勤めていたが、1970年4月に礼拝のとき講壇から「神は存在しない」「存在しない神に祈る」と説教したこともあってか、「造反教官」として追放されたと言われている。

 田川先生の履歴には、1972年から1974年にゲッティンゲン大学神学部専任講師をしていたとあったが、私もちょうどそのころ、ドイツの銀行に勤めながらゲッティンゲンの中世の古城に置かれたゲーテインスティテュートに住み込んで、ドイツ語の研鑽に励んでいた。東西ドイツの境界線に近い、あの美しい街で、若かった田川先生と、同じく若かった私が、同時に同じ空気を呼吸していた奇遇を思うと、不思議な親近感を覚える。

 20冊を超える膨大な著作の中には、代表作として『新約聖書 訳と註』(全7巻8冊)や『イエスという男 ――逆説的反抗者の生と死――』などがあるが、私は、現在古書マーケットでも手に入りにくい『宗教とは何か』(1984年大和書房)という先生49歳の頃の著作以外はまだ読んでいなかったので、先生について語る以上、せめてものアリバイにと、急いで「新約聖書(訳と注)の第1巻を、ネット通販で注文したのが、十日ほど前に届いた。

 読み進むうちに、その素晴らしさに圧倒された。カトリック神父を名乗る私は、これを全巻座右に置かねば嘘だ、とさえ思った。そして、聖書学の土俵の上では、田川先生を批判する資格など私には全くないこともあらためて深く納得した。

 しかし、「宗教とは何か」の中で遠藤周作批判にめぐり逢って共感し、田川建三という人物に興味を抱き、手探りしているうちに、「神を信じるとは、神を想像する偶像崇拝であり、『神とは人間がでっちあげた』ものなので、『神を信じないクリスチャン』こそが真のクリスチャンである」という言葉に接して、つい、ひと言申し述べてみたい思いに駆られた。

 それは、そんな言葉はカトリック信者の口からはまず聞けないだろうな、という素朴な思いとともに、世にこんなに興味深い人物がいたのかという驚きと感動を、まだ彼を知らない人に是非知ってもらいたいという思いもあったからだ。

 東京大学の博士課程から、ストラスブール大学に留学。ドイツの大学でも日本の複数の大学でも講壇に立ち、90才近い今もご健在のようだが、カトリックの遠藤周作のような、いい加減な、不勉強な、ふざけたイデオローグとは異なり、まじめな学究肌で、それだけに、一般社会では遠藤のように広く知られたマスコミの寵児ではないところが、また魅力だ。

 

最初の疑問

 では、よりにもよってその頭脳明晰で博学な新約聖書の超専門家が、なぜ、平凡で取り柄のない私から見ても、全くあり得ないような馬鹿馬鹿しいたわごと、すなわち、「神とは人間がでっちあげたもの」、とか、「神を信じるとは、神を想像する偶像崇拝」である、とか、本当の「クリスチャン」は「神を信じないクリスチャン」だ、などと言われるのだろうか。意味内容が混乱・矛盾していて、正常な理性にインプットすれば必ずエラー信号が出るようなフレーズを、平然と口から吐く田川先生は、どこかが狂っているのではないかとさえ思った。それは、もちろん、田川先生が言う「神」と私が信じている「神」が同じものを指している、と仮定してのことだが・・・。 

 田川さん、あなたは聖書学の博識を駆使して、遠藤周作のいかがわしさを完膚なきまでにこき下ろして、私を共感で満たした。そして、そのあなたは、遠藤のキリスト像を、「お前のような奴はダメだが、ダメなままで我慢して救ってやろう、という形で、『だめ』な自分は『だめ』なままでいいのだ、と居直ることになるので、ずぶずぶの自己肯定に終わることは間違いがない」と批判した。また、別のコンテクストでは、宗教学者エリアデを「怪しからんいい加減な学者」と呼び、「エリアデは、宗教的象徴がそのまま実在であり、実在の根拠であると、勘違いしているのです。」と決めつけた。さらに、「近代の克服としての宗教という手品は、こうして、まさにずぶずぶの近代主義の表現なのです。実際は現状に居直りつつ心情だけは異質を求める現代の小市民が、理論的にはまったくの近代主義でしかない発想に頼りつつ、近代を克服すると言って騒いでいるにすぎません。」そしてまた、「学問的作業の恐ろしさは、出発点におかれた理論はもうまったく単純な、およそ無反省なままのずぶずぶのイデオロギーにすぎないのに、非常に大量に、しかも世界的な規模での多人数の学者集団の知的エネルギーが注ぎ込まれていますから、それがずぶずぶの無反省だということには気がつきにくいのです。」とも批判された。私も、まあ、それはそうだろうな、と同感する。(私はこういう独特の語り口に「田川節」という名を献じたい。)

 しかし、あなたの言っている意味不明のたわごとは、あなた自身の言葉を借りて言えば、「目くそが鼻くそを笑う類いでございまして」、あなたは実は遠藤やエリアデと同根の仲間のくせに、自分のことを棚に上げて「相手の悪口を言っているという構図になるわけです」と、つい私は噛みつきたくなる。 

 田川先生は「エリアデは、宗教的象徴がそのまま実在であり、実在の根拠であると、勘違いしているのです。」といわれたが、その言葉は、そのまま先生ご自身の上に還ってこないでしょうか。世の宗教学者の先生方は、象徴にすぎない神々が、あたかも実在であるかのごとくに勘違いしているようだが、宗教現象をキリスト教も含めて「宗教」という抽象概念でひとくくりにして、一旦そういう前提を受け容れてしまえば、確かに話は全く違ってきます。 

 つまり、もしキリスト教の神も歴史の中に現れた象徴の一つにすぎないと考えれば、他の神々と同列に置かれても文句を言えないし、「神とは人間がでっちあげたもの」、とか、「神を信じるとは、神を想像する偶像崇拝」である、と言う主張は、文字通り全く正しいと言わざるを得なくなるからです。

 そのかわり、あなたが批判した遠藤やエリアデとともに、彼らを批判しているあなた自身も、三者三様に、書斎の中の観念の世界で宗教や神を論る、ずぶずぶの観念の亡者になってしまわないでしょうか。

 

悲しき雀 

 実は、この点をもう少し掘り下げるために、私は先に「インドの旅総集編(8)のホイヴェルス師の「悲しき雀」を書いておきました。

 ホイヴェルス神父様の可愛い小鳥ちゃんは、豆粒ほどの脳みそで鏡に映った自分の姿が虚像であることにたやすく気付き、象徴(鏡の中に移った小鳥)と実在(生きている鳥自身)の区別を見破ることができたのに、生物の中で最大の脳みそを誇る人間の、しかも頭脳明晰な哲学者が、存在とその象徴の違いをなかなか悟ろうとしないことを、ホイヴェルス師は、ちょっと皮肉を込めて指摘されたのでした。

 それは何も哲学者に限ったことではありません。文学者も、宗教学者も、聖書学者も、およそ学者先生と呼ばれる人種は、「実在」とその「象徴」、「実物」とその「映像」、「食える餅」と「絵に描いた餅」、の区別をつけることが出来ない存在論的音痴、認識論的色盲ではないかと疑わしいのです。

 ここまで考えを進めたとき、ふとパウロの書簡の一節を思い出しました。

 曰く:「私は知恵あるものの知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」(1コリント19―24)

 ここでパウロが言っている神は、勿論、書斎の観念論者の象徴としての「神」ではなく、生けるまことの神、自分の名は「わたしはある」である、とみずから名乗り出た天地万物の創造主、自然の中にはいない「超越神」のことです。

 田川先生は、失礼ながら、パウロが言った「学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。」の「学者」「この世の論客」に該当し、カトリック神父の私はパウロの意味での神を信じ、「宣教という愚かな手段によって信じる者を救おう」としている田舎者だ、ということです。

 私の素朴な常識からすると、「神は存在しない」とか、「神とは人間がでっちあげたもの」とか、さらに「神を信じるとは、神を想像する偶像崇拝」であるとかは、全くお話にならない馬鹿馬鹿しいたわごとに過ぎませんが、もし田川先生が仮象(シャイン)と実在(ザイン)を混同して、もっぱら「表象としての神」についてのみ語っているのだと考えれば、私はそれらの「妄言」を(同情をこめて)よく理解することができるのです。

 なぜなら、田川先生は私が「インドの旅」総集編(3)「自然宗教発生のメカニズム」で考察したことと全く同じことを言っておられるに過ぎないからです。つまり、自然宗教の神々は、まさしく「人間がでっちあげたもの」であり、でっちあげの「神を信じるとは、神を想像する偶像崇拝」であり、本当の「クリスチャンはそのような神を信じないクリスチャン」だと言うことは、私自身がすでにわかりやすく説明しておいたことに他ならないからです。

 それに対して、「わたしはある」の神を宣べ伝える「宣教の立場」からすれば、田川先生のお説はやはり全くおかしい、完全に狂っている、馬鹿馬鹿しい妄言だ、と言わざるを得ません。

 聖パウロによれば、世は、――つまり学者も、先生も、従って、田川建三もエリアデも、だいぶ落ちるが遠藤周作も――もともと「自分の知恵で神を知ることができない」部類の人たちなのです。なぜなら、彼らが対象としている世界は、この被造物界、自然宗教の世界だけであり、しかも、それを抽象概念化して見るみるかぎりにおいてのことであって、全ては「絵に描いた餅」「ポスターに印刷された火の写真」の類いに過ぎず、「食える餅」でも、「タバコに火がつく燃える炎」でもないからです。

 それだけではない、「食える餅」も「絵に描いた餅」も「学者先生の脳みそ」も、すべて自然の一部を構成し、キリスト教も一緒くたにひとくくりにした「宗教」もその「神々」も、それらを論じている「宗教学者自身」も自然の中に含まれ、主客ともども一切合切が「自然というコップ」の中にあり、すべての議論はそも「コップの中の嵐」にすぎないのに対して、「わたしはある」と名乗る生ける神は、そのコップの中のどこを探しても見つからないもの、自然の総体であるコップの埒外に泰然と生きている神、つまり、「超自然の神」なのです。

 田川先生のような優れた宗教学の知性をもってしても、「わたしはある」を見出すのは、せいぜい聖書という書物の中に言語化された単なる「表象としての『わたしはある』」までであって、いくらそれを腑分けしても、その腑分け作業自体がガラスのコップの中のさざ波に過ぎず、パウロが言うように、自分の知恵では「コップの外にいる神」に触れることも知ることもできないのです。

 

問題の所在

 それでも、田川先生は、「啓示宗教」であり、「超自然宗教」であると自称するキリスト教も、所詮は同じ「宗教」のカテゴリーに含まれるものであって、結局はキリスト教の神を信じるのも、自然宗教を信じるのも「神を想像する偶像崇拝」にほかならない、と反論されるかもしれません。

 その点は確かに私のアキレス腱です。そう言われてしまうと、私には強く反論することが出来ない弱みがある。それは、キリスト教徒の圧倒的多数は自然宗教のメンタリティーで神を信じている、という紛れもない現実があるからです。そして、その面だけに注目すれば、田川先生の自然宗教否定、従って、神否定は、そのままキリスト教否定にもつながらざるを得ないような気がします。

 この問題は、今回の「インドの旅」総集編(5)《「超自然宗教」の「自然宗教化」》の中ですでに詳しく述べたので敢えて繰り返すつもりはないが、要約すれば、次のような話です。

 今日のキリスト教諸派の共通のルーツである初代教会は、4世紀初頭までは、「わたしはある」と名乗る生ける超自然の神を信じ、回心して福音の原初の教えに忠実であろうと務めていました。ところが、312年にコンスタンチン大帝がキリスト教を帝国の国教扱いにして以来、ローマ帝国の版図はあっという間にキリスト教一色に塗り替えられていったのです。なぜなら、洗礼を受けて一斉に教会になだれ込んできた大衆は、ギリシャローマの神々を拝んできた自然宗教の信者たちで、イエスが求めた「福音的回心」などお構いなしに、「わたしはある」の生ける超自然の神が何であるかもさっぱりわからず、もとの偶像崇拝のメンタリティーのまま、名前だけキリスト教徒になって教会を満杯にしたからです。そして、そのようなずさんな入信の形態は今日のキリスト教会にまで及んでいます。だから、圧倒的多数のキリスト教徒は、「超自然宗教のキリスト教」と「自然宗教化したキリスト教」との間に横たわる天と地ほどのへだたり、水と油のような相容れなさを知らず、自分が「自然宗教版キリスト教徒」であると言う自覚さえないのです。

 聖パウロに言わせれば、世は、――つまり学者も、この世の論客も、従って、田川先生もエリアデも、大分落ちるが遠藤周作も――、「自分の知恵で神を知ることができない」のです。だから、批判的聖書学者であり、書斎の研究者である田川先生の目には、「わたしはあるの生ける神」は見えていないし、見えるはずもないと私は考えています。

 ホイヴェルス神父様の可愛い雀ちゃんは、生きて躍動している小鳥と鏡の中の虚像の小鳥との間の違いをたやすく理解したのに、哲学者、先生方は、どうしてその違いが分からないのか、と不思議でなりません。学者先生という人種は、およそ虚像の世界にしか関心がなく、実像としての「わたしはある」の神を見たことも触れたこともないだけでなく、その存在など夢想だにできない盲人たちなのかもしれません。

 わたしは、中学生のとき神戸のミッションスクールでお人よしで頑固者のドイツ人のクノール神父さんから洗礼を受けたが、そのとき受けた信仰教育、そして恐らく少年遠藤周作が芦屋教会の神父さんから受けた信仰入門の話は、初代教会が入信希望者に求めた徹底的「回心」にははるかに及ばなかったのは当たり前のことでしょう。私がこの問題と真面目に向き合うようになったのは、やっと50才になってからのころのことでした。

 田川先生が、少年期までに自然宗教バージョンの洗礼を経てプロテスタントの信者になられたのかどうか知りません。しかし、先生が学者として研究の対象とされたのが「自然宗教としてのキリスト教」だったとしたら、たとえ研究の過程で「啓示宗教」とか「超自然宗教」とかいう概念に出会われても、それらは文字の世界の象徴(鏡に映った小鳥)であり、「わたしはあるの神」の命のない抜け殻にすぎなかったに違いないのです。

 人間は、交差点で物陰から突然飛び出してきた車にはねられて事故に巻き込まれたた時のような圧倒的な現実感をもって「生きている『わたしはある』の神」と遭遇しない限り、学問的研究の成果としてそれに到達することは永久にないと思います。

 たとえば、現代のロゼッタストーンのように、聖書をデータ化したチップをロケットに積んで打ち上げ、たまたま、人間かそれ以上の知的宇宙人に拾われ解読されたとしても、「自然宗教」という「象徴」が地球にあることは理解できても、「わたしはある」の生ける神に対する「信仰」がその星で芽生えることは絶対にないと断言できます。(もっとも、この仮定は無意味です。なぜなら、地球の他に人間と同等以上の知的生物など存在しえないからです。それは、「わたしはある」の神のメンタリティーに調和しません。)

 

「ケリグマ=福音の告知」の必要性

 聖パウロの書簡には、「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」(1コリント1:21)とあります。

 パウロの「宣教」の立場から見ると、景色はまた一変します。人は、超自然宗教の信仰を生きている宣教者の肉声によるケリグマ(福音の告知)を自分の耳で直接聞かなければ、超自然宗教の「わたしはある」と鉢合わせすることはない。もっと突きつめて言えば、「生ける神」自身がケリグマを告げる人の口を借りて人に語りかける時以外、誰もその神に出会うことが出来ないのです。

 それは、人間の知恵から湧いてくるものではなく、告げる人の口から告げられる人の耳へ、そして告げられた人の口からそれを聴く人の耳へ、途切れることなく、人から人へ受け継がれるものだからです。

 わたしがまだ若かっらた頃の座禅のお師匠様、澤木興道老師は、達磨大師から道元禅師まで、そして道元禅師からご自身まで、師からその弟子、その弟子から弟子の弟子へと綿々と続いた師弟の系図を、読経のごとく朗々と毎日唱えられました。それは、座禅の奥義が人から人へ、得度・授戒を通して途切れることなく伝えられたものであることの大切さを物語っています。

 「超自然宗教」においても同じで、ケリグマは「わたしはある」と言う名の生ける神から太祖アブラハムへ、アブラハムからイザクへ、イザクからヤコブを経て綿々と受け継がれてダビデの子孫イエスまで、さらに、イエスからその弟子たちの福音宣教という愚かな手段を通して途切れなく、最後には私の如き貧しい信者にまで伝えられてきた秘伝なのです。そして、その秘伝を宣教という愚かな手段に託して次の世代に受け渡していく責任と義務は、すべてのキリスト者に負わされています。

 田川先生にも、エリアデにも、遠藤にも、この出会いはまだ訪れなかったのだと思います。人は、ケリグマ(福音の告知)を聴く機会にめぐり逢う時、超自然宗教への招きに応えて「回心」するか、回心しないで自然宗教のままに残るかを自由に選ぶ決断を迫られることになるでしょう。信仰が人の心に受肉するかしないかの、決定的、神秘的瞬間がそこにあります。

 田川先生は、「神を信じるとは、神を想像する偶像崇拝である」と言われたが、まさにその通り、現代社会では自然宗教の神は一切のヴェールをかなぐり捨てて、「マンモンの神」即ち「お金の神様」としての本性を露わにし、世界中の人々を奴隷状態に陥れています。

 今日ほど回心して「わたしはある」の超自然の神に帰依することが必要とされている時代はないでしょう。

 私はキコの書いた《「ケリグマ」(福音の告知)》(谷口幸紀訳・フリープレス社)と題する一冊を翻訳しました。この問題の答えを見出す一助として、是非読まれることをお薦めしたいと思います。

 

(ネット書籍通販で1000円+税で手に入ります。)

 

 

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Unknown (M)
2022-02-01 09:33:24
前回の記事への「新米信徒」さんからのコメントで、大きな示唆を得ました。

それは、⭐️既に⭐️神は臨在してるのか、それとも★未だ★神は臨在していないのか、です。
(「新米信徒」さんが、どちらと考えておられるのかは分かりませんでしたが)

既に神が臨在しているのか、いないのかによって、神観・世界観・人間観が大きく変わります。
私のステレオタイプ的な理解によれば、カトリックでは既に神は臨在している、プロテスタントでは未だ神は臨在していない、です。

田川建三は、プロテスタント的な神は「いない」と言ったのではないでしょうか?
そしてカトリック的な神なら、神と呼ばなくても遠藤周作流に「玉葱」でよい‥田川建三は遠藤周作が嫌いだから命名するとしたら別の名前でしょうけど。

でなければ、(存在しない神に)祈る必要もないし、学問的な興味だけで一生涯を聖書に費やすなんて考えられないです。

このように、いくつもの仮定に立った仮説を、一読者として楽しんでいます。
仮定に間違いがあれば、教えていただきたいです。
そして今の田川建三は神をどのように考えているのか、エッセイにでも書いてくれないかな。生涯にわたって聖書に真摯に向き合ってきた人が神をどう捉えるか、是非知りたいです。
返信する
Unknown (M)
2022-02-02 09:19:26
神の臨在について、延々と考えています。

ある詩を思い出しました。
足跡 マーガレット・F・パワーズ 作、です。
途中で作者不詳にされて、少しずつ内容も変えられたりしながら、あちこちで伝えられているようです。

私もはじめは、その不正確な方のを知りました。
神と2人で一緒に浜辺を歩いていた筈だったのに、振り返ってみると砂の上には自分一人の足跡しかなかった。
神にどうして自分を一人ぼっちにしたのだと言うと、神が答えた、あんたが辛いときには私(神)があんたをおぶって歩いてたのだよ、と。

調べましたが、この作者がカトリックなのか、プロテスタントなのかは分かりませんでした。ただ、どちらの教会ホームページにも、この詩がたくさん載っていました。

そうすると、神は自分の人生に現れ、同伴してくれている。
それを実感する人は、カトリック、プロテスタント問わず多いのでは?

神はもう、ちゃんと臨在してるではないかと私は思います。
それとも「臨在」の意味が違うのでしょうか?
返信する
真の信仰者でありたい。 (Kei)
2022-02-02 11:53:30
「神を信じるとは、神を想像する偶像崇拝であり、『神とは人間がでっちあげた』ものなので、『神を信じないクリスチャン』こそが真のクリスチャンである」

 この言葉は「マンモンの神批判」というより「エホバの証人」への当てつけなのではないか。そう読んでおりました。わざわざヘブル語で発音できない子音で神を表現したのに、エホバの証人たちはエホバ(学者による勘違いの産物)などと間違った名前をつけて神を呼ぶ。それは「神を想像する偶像崇拝」じゃないの? とユダヤ教徒のひとたちに言われても仕方ありませんよね。その行為は「でっちあげ」ですから聖書学者が噛みつくのはよく分かります。加えて、彼らがいう神(エホバ)を信じない我々クリスチャンこそ真のクリスチャンである。と。

 おまえ、それこそでっち上げだよ。谷口神父さまはそう仰るかも知れませんが。

 田川さんのこの言葉を読んで。もうひとつ思い出したのは、フェルナンド・ペソアのこんな詩です。

  神がみに願うのは唯ひとつ
  神がみになにも請わぬのを許してもらうこと

この詩はこう締めくくられます。

  不安も平安もなく 我が静穏なる存在を
  わたしは高きにおきたい 人間の
  歓びと苦しみの在るところよりなお高い場所に

 学者と違って詩人は素直です。親離れしていく子どもが親に向かって宣言しているふうでもありますよね。ただ、ペソア(これを書いたときはリカルド・レイス名でした)は、ぼんやりではあっても神の存在を実体験として持っていて、しっかりと神と対峙しています。なにも請わぬ態度を許して下さい、と謙るこころを持ち合わせているのですから。

 学者のお陰で私たちは文明を享受できています。イエスの癒しがなくてもたくさんの病が学者たちによって解明され、癒えるようになりまた。しかし、同時にパール・バックが危惧したように、制御もできない「神の火」を弄して破滅に向かっている愚かさに気がつきません。

 中国では、オスの性なくしてメスのみで生まれるクローン命が産業に育っています。クローン猫は300万円。クローン犬は500万円で売買されているのです。このままあの国が豊かさを加速させていけば、きっとアダム抜き、エバのみで造られたクローン息子、クローン娘などが売買されるでことでしょう。ことほどさように学者たちの存在は諸刃の剣。聖書学者の語る信仰や神も(もちろん私たちの目が先生方の研究による知識によって開かれた部分は否定しませんが)、絶望を伴った偶像でしかない。全宇宙を創造し、超自然宗教として圧倒的な活力を示しながら「ある」と仰る神には届かない。そんな苦悩の末に学者は「神を信じるとは、神を想像する偶像崇拝である」などと開き直ってしまうのです。

 であるとすれば、田川建三というお方は何者なのでしょう。不可知論者でも無神論者でもない。かといって、キリスト者とも違う。ただ、聖書の研究のみに悦びを見いだしているただの学者、なのでしょうか。私には不可解でなりません。

 プラトンの言う洞窟の囚人だとすれば、影をどんなに追い求めても善のイデアにはたどり着けない悲しみのひと。ひとびとをその悲しみの道程に道連れにして墜ちていくさまは、まさに谷口神父さまが仰る、遠藤周作と同等でしかない、目くそ鼻くそを嗤うその程度の存在。でしょうか? そうは思いたくありませんが。

 《聖パウロによれば、世は、――つまり学者も、先生も、従って、田川建三もエリアデも、だいぶ落ちるが遠藤周作も――もともと「自分の知恵で神を知ることができない」部類の人たちなのです。なぜなら、彼らが対象としている世界は、この被造物界、自然宗教の世界だけであり、しかも、それを抽象概念化して見るかぎりにおいてのことであって、全ては「絵に描いた餅」「ポスターに印刷された火の写真」の類いに過ぎず、「食える餅」でも、「タバコに火がつく燃える炎」でもないからです》。

 《パウロの「宣教」の立場から見ると、景色はまた一変します。人は、超自然宗教の信仰を生きている宣教者の鉢合わせすることはない。もっと突きつめて言えば、「生ける神」自身がケリグマを告げる人の口を借りて人に語りかける時以外、誰もその神に出会うことが出来ないのです》。

 その通りだと思います。

 【わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。 しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、 キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります】。(ピリピ3:章から新共同訳)。

 同じパリサイ派でもシャンマイ派と違って、穏健派なヒレル派の師匠ガマリエルのもとで、信仰者であり学者としての道を歩んでいたパウロでしたが、それでも彼はイエスの弟子たちを捕らえ殺してしまうほど自らの宗教と学説に誇りを持っていました。しかし、谷口神父さま流に言えば、知識では絶対に到達できない真理を欠いていました。やがてパウロはあの有名なダマスコの途上で、肉声によるケリグマ(福音の告知)を自分の耳で直接聞き、超自然宗教の「わたしはある」と出会ったのです。結果、膨大な時間を費やし、積み上げてきた溢れんばかりの知識も「キリストのゆえに損失」となっていきました。

 谷口神父さまの神はまさにパウロが出会った神、イエスです。そしてそれは、少数ではあっても私たちキリスト者の信じる神にほかなりません。神は人間がでっちあけた存在ではありません。もちろん、偶像崇拝によって生み出された虚しい存在でもありません。神が、人間を、創った、のです。

 ヨハネの福音書3章で、ニコデモはイエスさまに叱責されています。

 【イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか】。(新共同訳ヨハネの福音書3章)

 知者が、学者がお入りようであったなら、イエスさまは最初から漁師などは選ばずエリートだけを集められたはずです。

 ひとの一生は朝の露のようなもの。やがては誰も平等に彼の地に旅立ちます。そのとき、イエスさまに叱責される学者ではなく、ニコデモやアリマタヤのヨセフやパウロのように、主イエスであって「ある」お方である神に、伏して、それでも顔を上げて謁見したい。私は日々そう願い、祈っています。

 ※結局のところ、私は、田川先生を全く理解できていません。それでも、尊敬こそすれ、嫌ったり遠藤周作以下だ、などとは思っていませんのでご了承ください。
返信する
Unknown (M)
2022-02-03 23:04:11
やっぱり私は田川建三のファンなので、度々しゃしゃり出てしまうのをお許しください。

答はこれ、『はじめて読む聖書』新潮選書106-112頁に出ています。

田川建三は、「無神論というより不可知論」だそうです。

そのくだりの中で、私が一番共感するのはこれです。

カール・マルクスが言ってるとのことで‥人間が神の被造物であるのではなく、神を人間が作ってしまっている。人間が作った神によって人間社会を支配することになってしまう、と。

これ、本当だと思います。別に4世紀からでなく、ペトロパウロ たちの時代から、そうだと思います。

田川建三の神についての考えは、『キリスト教思想への招待』にも書いてあるそうです。
返信する
Mさんへ (谷口幸紀)
2022-02-04 09:00:30
いろいろご教示ありがとうございます。
マルクスもしぜんしゅうきょうのかみしかしらないから、当然そういう結論になりますね。
ひょっとして、Mさんもそうなんですか?
返信する
ある (新米信徒)
2022-02-04 10:08:51
谷口神父様 

また、あいだに入ってすみません。

M 様 

「説明」の世界では、多くの説明を組み立てることが可能なのではないでしょうか?しかしながら、それらは説明にすぎないのではないでしょうか? 数学者の岡潔先生から教わったことですが、数学における 「1」の存在は、説明の世界を越えているそうです。ペアノの自然数の構成においても、「1」の存在は公理のようにして仮定されているはずです。もう一つ気になったことは、田川氏は、人間と自然(草、石、土、空、星、・・・)をわけて考えておられるのでしょうか? 中学三年生の時に、サルトルの「実存主義とは何か」を読もうとしたときに、同じことを感じました。強い違和感を感じました。

おそらく、「愛」は根本において説明できないと思います。
返信する
愛を知りたい (Kei)
2022-02-05 08:38:00
 私の研究対象のひとりだったシモーヌ・ヴェイユは、谷口神父さまが仰る「『生ける神』自身がケリグマを告げる人の口を借りて人に語りかける時以外、誰もその神に出会うことが出来ない」経験を三度しています。

 最初は、ポルトガルのビアナ・ド・カステロに両親と赴いたときでした。その土地の小さな祭り、満月の夜、村の漁師の女たちが蝋燭を灯しながら、小舟の回りを胸を引き裂かんばかりに悲しげな声で歌いながら回っている。そのときでした。ヴェイユの胸に悲しみが込み上げ突然啓示が降りてきました。「キリスト教とは、すぐれて奴隷の宗教であることを、そして奴隷たちは、とりわけ私は、それに身を寄せないではおれないのだという確信」をヴェイユは得ることになります。

 二度めはアシジでのことでした。サンタ・マリア・デリ・アンジェリの十二世紀ロマネスク風の小礼拝堂にヴェイユは佇んでいました。そのとき、ヴェイユははじめて、自らよりも強い者の存在を知ることになります。誰かが、何かが、彼女の頭を押さえつけて脆かせたのです。ひとが頭を垂れるときは、どうあがいても己の力の及ばない存在を知ったときです。それが人間以外の存在であればなおさら、ひとは悔い砕かれたたましいを以て謙虚にならざるをえないのです。心からの謙遜は、ひとに創造的な孤独をもたらします。そして希望を待ち望む忍耐と注意力を身につけさせるのです。こうしてヴェイユは、神がこのような人間にご自身を拒否したもうことはないという、霊とたましいのひとに変えられていくことになりました。

 そして三度。ヴェイユは「不幸を通して神の愛を愛することが可能である」という結論に到達することになります。このとき、ヴェイユの体調は最悪で、耐え難い頭痛に打ちのめされていました。ところが、その肉体を抜け出して霊魂は神のもとに昇るという見神・触神体験をするのす。それがどんなものであったのかは想像するしかありませんが、いずれにしても、少なくとも自らの「肉」の状況が導き出すところの結果や結論は、決して真実なものではないというところにヴェイユはたどり着いたのです。それは紛れもない事実でした。

 パウロがダマスコ途上で体験したこと、谷口神父さまが何度も強調しておられる「生ける神」自身がケリグマを告げる行為は、決して知識として「そう思う」ということではないのです。

 以下の詩は、ウイリアム・ブレイクの作品です。

 彼は詩人であり、画家であり、銅版画家でした。イングランドの事実上の国歌ともいわれる「And did those feet in ancient time」の作詞者としても知られています。

 また、ステッドマンの『スリナムの黒人反乱に対する五年間にわたる遠征の物語』につけた彼の版画挿絵「絞首台に生きたまま肋骨でつるされる黒人」は、誰でも一度は目にしたことがあるでしょう。

    黒人の少年

ウイリアム・ブレイク


  ぼくの皮膚は光を剥奪された闇のように黒い
  母が ぼくを南の荒野で産んだからだ
  イギリスの子どもは天使のように白いのに
  ぼくの体は真っ黒だ
  でも たましいの白さでは負けない

  母は 灼熱の太陽に身をさらしながら
  樹木により掛かってぼくに教えてくれた
  膝の上にぼくをのせ 
  口づけしながらこう言ったんだ

  あの太陽をみなさい
  あの中に神はおいでになる
  そして燃える火と光を与えて下さる
  しかも なんの惜しげもなく
  花々や草木 獣たち そして私たち人間
  その光によって 慰めと悦びを戴いている

  私たちの命は実に短い
  その短い時間は
  神からの灼熱の愛の火を学ぶためにある
  あなたの黒い体も 陽に焼けた顔も
  ほんのわずかな雲にすぎない
  森の中の影のようなもの

  あなたのたましいが
  神の愛の熱に耐えることを学んだとき
  その雲は晴れ あなたも私も
  「私の愛する子よ
   さあ 森から出ておいで
   そうして黄金の天幕のまわりで
   子羊たちのように悦び跳ね回るのです」
  という神の声を聴くでしょう

  母は こう話したあと またぼくに口づけした
  だからぼくもイギリスの少年に言うんだ
  ぼくは黒い雲から
  きみは白い雲から
  それぞれ自由にならなければならない
  そうすることで ぼくたちは子羊のように
  神様の天幕の周りで飛び回ることができるんだ と

  ぼくは 彼を愛の熱から護ってやるんだ
  彼は 神様の膝元によりかかって喜ぶだろう
  ぼくは彼の銀色の髪を撫でてあげ
  彼はぼくと同じ目線でぼくをみつめ
  ぼくをきっと愛してくれるだろう


 私が意訳した部分が間違っていなかったかは心許ないですが、新米信徒さんが仰っている「『愛』」は根本において説明できない」ということは、たぶん真実なのだろうと思います。 頭を押さえつけて脆かせられる体験をした者以外には ーそれが稀代の天才聖書学者であったとしてもー 解らないのかもしれません。
返信する
Kei さんへ (谷口 幸紀)
2022-02-05 09:14:58
長文の、珠玉のコメントありがとうございます。
ひとりでも多くの人の目に、このコメントが止まりますように
返信する
Unknown (M)
2022-02-05 21:12:44
私は幼児洗礼を受けて、それから延々うん十年、教会のまわりをウロチョロしてきた訳ですが、神とは何ぞやを語り合う機会なんて、これまで全くなかったです。神父様がお説教されるのを頭を下げて聞いて、おしまい。
ん?、と違和感があっても出せませんでした。
その事が、最終的には教会に通わなくなる決め手になりました。

このコメント欄で谷口神父様、「新米信徒」さん、kei さんのやりとりに(むりやり?)入らせていただいて、しかも田川建三について語り合うことが出来るなんて夢のようです。

では宜しくお願いします。
言うまでもないことですが、田川建三はこう考えているんでないかと私が思った事を下に書きますので、混同なさいませんようにお願い致します。

>「愛」は根本において説明できない

これは私も、そう思います。
「愛」を「神」に置き換えれば、田川建三はそう言いたいのではないでしょうか。

自分なりにもう少し詳しく言うと、愛は全く説明できないのではないが、決して説明しきれない、です。
愛も、神も、1も。

岡潔先生は1を説明しきれないでしょうが、例えば私と1について語り合ったとしたら、岡潔先生が先に私の認識の誤りを指摘される筈です。
どちらも1を説明しきれないけど、やっぱ同じじゃない。ですね、当然。
そして認識の誤りに立った私の説明はどこか変。
私の説明を聞いた人は、岡潔先生の説明を聞いたときよりももっと、それって1の説明なの⁇と思うでしょう。

田川建三は、(敢えてこんな言い方しますが)ペトロパウロのパウロについて、度々批判を書いています。
パウロがダマスコでイエズスに出会った、それは個人的な体験だから肯定も否定もしませんが、神がこう言ってる神のみ旨はこうなんだとパウロが言ったり書いたりした事、そしてパウロの行動も聖書にはたくさん載っています。
パウロの人間的な弱さを示す記述はそのままそう理解するということをせずに、何でもかんでも護教的に、使徒聖パウロ様の仰ることだから全て正しいとむりやり曲解する‥そのパウロ的な神の理解が多分に入った教会の教えに、田川建三は「そんな神があるかいね!」と言いたいのではないでしょうか。
もちろん田川建三は、神を説明しきれません。
だけど人間が聖書を理解するときにずっとおかしてきた、認識の誤りを田川建三は指摘します。
その認識の誤りの上に立った神はない、と田川建三は言っていると思います。

では、田川建三はそれより正しい神の理解ができているのか、そんな事は出来ない、そんな事をしようとしてはいけないと田川建三は言っていると思います。
そして学問的に聖書を追究してきて最後に、もちろん理解しきれない、説明しきれないけど、(存在しない神に)「祈る」と告白します。
その飛躍というか跳躍で充分ではないでしょうか。
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Unknown (M)
2022-02-06 08:25:35
kei様

非難するつもりは無いんですけど、部分への認識が変われば、全体への感じ方も違ってくるという一例として、すみません、書かせていただきます。

>イギリスの子どもは天使のように白いのに
  ぼくの体は真っ黒だ
  でも たましいの白さでは負けない

人間には誰でも限界があるので、この詩が書かれた年代を考えれば、「白人」がこのように書くのも無理もないと言えます。
ただ、今の時代にこのように書くのはNGですね。

長い時間をかけて、人間は進歩してきた、歴史的な認識の間違いを正してきたんです。

理性だけで真理を知ることは、出来ません。
でも信仰と理性は、やっぱり両翼なんです。
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