:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 教皇フランシスコとは何者か?

2014-01-21 18:49:25 | ★ 教皇フランシスコ

~~~~~~~~~~~~~

教皇フランシスコとは何者か?

~~~~~~~~~~~~~




 このやや尊大な設問は、実は私の考え出したものではない。それはイエズス会の機関誌の一つ “La Civiltà Cattolica” の編集者でイエズス会士のアントニオ・スパダロ が昨年8月29日(月)9時30分聖マルタの教皇の住居で行った教皇の単独インタビューの冒頭の質問

ホルヘ・マリオ・ベルゴリオとは何者か?

にヒントを得たものだ。日本の多くの読者には念のために説明するまでもないことだが、ベルゴリオ とは教皇の本名の事だ。

このインタビュー記事は、直ちに世界中のイエズス会の機関誌に翻訳掲載されたが、何故か今もって日本語で発表される気配がない。バチカンの公式ホームページではタダで自由に読める公開された資料だし、印刷し有償で配布するなど商業目的でなければ、自由に翻訳引用できる物だとその道の専門家に教わったので、今後折にふれてブログのなかで私の関心を引いたページを紹介していこうと思う。

ここですぐに、表題の質問と教皇の答えに入ってもいいのだが、編集者アントニオの導入の言葉もなかなか味があって捨てがたいので、それも一緒に載せることにした。

 

編集者アントニオの導入 

 今日は8月19日の月曜日。教皇フランシスコは私に聖マルタで10時の約束をくれた。しかし、私は父からいつも予定より早く着くことの必要性を受け継いでいた。私を迎えた人々はひとつの小部屋に私を坐らせた。待った時間は短く、1-2分で私はエレベーターに乗せられた。その2分ほどの間に、私はリスボンで開かれたイエズス会の幾つかの雑誌の編集者たちの会合で、教皇のインタビュー記事を一緒に出版しようという提案が浮上したことを思い出していた。私はみんなの関心を反映すると思われる幾つかの想定質問について他の編集者と話し合ったのだった。エレベーターから出ると、教皇がドアのところで私を持っているのが見えた。と言うよりも、実際には、むしろ敷居を跨がないで控えていたことに好ましい印象を受けた。

 彼の部屋に入ると教皇は私を肘掛椅子に座らせた。彼は背骨の問題のためにより高く固い椅子に腰を下ろした。飾り気のない質素な雰囲気だった。机の仕事面積は小さかった。備品ばかりでなく、万事が必要最小限であることに強い印象を受けた。少し本と、少しの紙と、すこしだけの物しかなかった。その中には、聖フランシスコの絵と、アルゼンチンの守護のルハンの聖母像、十字架と眠っている聖ヨゼフ像など、どれも聖ミカエルのマキシモ会にあった彼の管区長兼院長室で見かけたのとよく似たものばかりだった。ベルゴリオの霊性は、彼が言うところの「調和の取れたエネルギー」からなるものと言うよりは、むしろ、キリスト、聖フランシスコ、聖ヨゼフ、マリア、などの人間の顔から成り立っているように思われる。

 教皇は今では世界中を何度も駆け巡って人々の心を開かせたあの微笑みで私を迎え入れた。私たちはたくさんの事を話し始めたが、中でも特に彼のブラジル旅行について話し合った。教皇はその旅行を本当に恵みであったと考えていた。休息をお取りなったかと聞いた。かれは休んだ、調子はいいと答えたが、特に「世界青年大会」(WYD)は彼にとって一つの「神秘」であったと言った。大勢の人の前で話すのには全く慣れていなかったと言った。「わたしは一人一人の顔を、一人ずつ見ることが出来て、私の目の前の人と個人的な形でコンタクトを取ることができた。大群衆には慣れていなかった。」私は、その通りだ、それは見て取れた、そしてそれがみんなの心を打ったのだ、と言った。彼が人々の中に居る時、彼の眼は実際に個々の人の上に向けられているのが見て取れる。そして、テレビカメラはその映像を映し出し、それをみんなが看ることが出来るのだが、こうして彼は、少なくともアイコンタクトとしては、彼の前に居る人と直接の触れ合いに留まる自由を感じることが出来るのだ。つまり、コパカバーナの浜辺で起きたように何百万の人の前に居ても、他の人と対話する普段の自分のやり方を変えることなく、あるがままの自分でいることができることに彼は満足しているように見えた。

 わたしが録音機のスイッチを入れる前に、他のことについても話し合った。私のある出版物に関してコメントとするなかで、彼は自分が愛好している現代のフランスの思想家はアンリー・ド・リュバック(この人は次のブログで登場する予定なのでお見知りおきいただきたい)とミシェル・ド・セルトーの二人だと言った。他にも彼に何かより個人的なことを言った。彼もまた、自分について、特に彼の教皇選挙について話してくれた。彼は、3月13日の昼食時に、自分が選ばれる恐れが高くなったことに気付き始めたとき、言葉に表しがたい内面的な深い平和と慰めが彼の上に下って来るのを感じるとともに、完全な闇、それ以外のすべてのものの上に下る深い暗がりを感じた。これらの感情は選挙の時まで彼に付きまとった。

 実際のところ、私はこのようにまだずっと親しい対話を続けたいとは思ったが、幾つかの質問を書き留めた紙を取りだし、録音機のスイッチを入れた。そして、何よりも先に、このインタビューを出版するイエズス会の雑誌の編集者たち皆の名において彼に感謝の意を表した。

 チヴィルタ・カトリカ誌のイエズス会士たちに賜った去る6月14日の謁見の少し前に、教皇は私にインタビューの許可を出すことに対する大きな困難につて話した。彼はインタビューに対して一気に答えを出すよりも、じっくり考える方が好きだと言った。適切な応えは口をついた最初の答えの後にやってくるように感じるからだ。「リオ・デ・ジャネイロから帰る機中で、質問してくる記者たちの質問に答えながら、自分の事が良くわからなかった」と私に言った。それは確かにそうだ。このインタビューの中で、教皇は度々ある質問に答えて話していることを中断して、前の質問に対して言ったことに何かを付け加えることを平気で行った。実際のところ、フランシスコ教皇との話しと言うものは、互いに結び合った考えの爆発的な流れのようなものだ。メモを取る作業には、湧き出るような対話の流れを中断する不快な気分にさせるほどのものがある。教皇フランシスコは講義よりも対話に慣れているのは明らかだ。



ホルヘ・マリオ・ベルゴリオとは何者か?

 

 私には準備した質問があった。しかし、あらかじめ決められた筋書きには従わず、多少はぶっつけの質問をする事にしていた。「ホルヘ・マリオ・ベルゴリオとは一体何者でしょうか?」教皇は沈黙のまま私をじっと見つめた。私はそれが許される質問だったかどうかを聞いてみた・・・彼は質問を受けいれたことを身振りで示しながら私に言った。「わたしはどのような定義がより相応しいか知らないが・・・私は罪人だ。これがより適当な定義だ。それは物のたとえとしてではなく、文字通りに意味においてだ。私は罪人だ。

 教皇は熟慮を続け、まるでこのような質問は予期していなかったかのように、まるでさらに深く考えるよう強いられたかのように、考えに耽った。

 「そうだ、少しばかり抜け目がない、身の処し方を心得ている、と言ってもいいかもしれないが、またちょっと馬鹿正直なところがあるというのも本当だ。そう、だがよりよい、より内面から出てくる、より真実に思われる要約は 《私は主が目を止めて下さった罪人》 だということではないかと思う。」そして、繰り返した。「私は主から見られているものだ。憐れみをもって選ばれた者 と言う私のモットーは、いつも私にとってとても真実なことと感じられる。」

 教皇フランシスコのモットーは聖ベーダ尊者の 説教集 から取られたものであり、それは聖マテオの召命の福音的エピソードに注釈をつけたもので、「イエスはある徴税人を見て、愛情をこめて彼を見つめ、彼を選んで 《私に従いなさい》 と言った」と書いている。

 そして「ラテン語の 憐れむ の分詞形の miserando は、イタリア語にもスペイン語にも翻訳不可能と私には思われる。わたしはむしろそれを実際には存在しない別の分詞形の misericordiando と訳したいところだ。」と書き加えた。

 教皇フランシスコは彼の内省を続けながら、とっさには意味不明の飛躍をしながら私に 「わたしはローマの事は知らない。ほんの少ししか知らない。そのわずかなことの中にサンタ・マリア・マッジョーレ教会がある。そこにはいつも行ったから。」と言った。私は笑って「教皇様、とても良くわかりましたよ!」と言った。「ほら、その通り-と教皇は続ける-サンタ・マリア・マッジョーレ、聖ペトロ大聖堂・・・だけど、ローマに来るたびに私はスクロファ通りに宿を取った。そこから度々フランス人のサン・ルイジの教会を訪れ、そこへ行ってカラヴァッジオの聖マテオの召命の絵を黙想した」と言った。私は、教皇が何を私に言いたいのかを理解し始めた。

 「イエスのこんな風な・・・マテオに向けられたあの指。私はそのようなものだ。私はそんな風に感じる。マテオのように。」ここで教皇は彼が探していた自分のイメージをついに捉えたかのようだった。「マテオの身のこなしにとても心を打たれる。自分のお金をしっかり握って、《駄目です、わたしは駄目!いけません、これは私のお金です!》 ほら、《主がご自分の目を向けられた一人の罪人》これが私です。私が教皇職を受けるかどうか聞かれた時私が言ったのはこの事でした。」そして小声で(ラテン語で)「Peccator sum, sed super misericordia et infinita patChristi confisus en in spiritu penitentiae accepto.我、罪人なれど、我らの主イエスキリストの憐れみと限りなき忍耐の上に信頼を置き、償いの精神をもって受けたてまつる。)」とつぶやいた。

(つづく)

 

 

コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★ 一部追加補足版 〔速報〕... | トップ | ★ 教皇フランシスコのインタ... »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2014-01-22 11:29:37
谷口神父様

貴重なメッセージ有り難う御座います
教皇様に親しみを持って読ませて貰いました

御元気で

T. Y.
返信する
Unknown (Unknown)
2014-01-22 11:31:30
谷口くん

今の教皇っていいひとだな。
《私は主が目を止めて下さった罪人》
私は《私は神が目をとめてくれている人間》だと思っている。
「主が」「下さった」「罪人」と言えるようになったら
私も教皇になっているかも知れぬ。がその差は大きいわ。

J. K.
返信する
23日13時35分にコメント下さった方へ (谷口幸紀)
2014-01-24 00:46:06
長文のメッセージ有り難うございました。基本的には理解できる内容でした。戴いたアドレスにメールでお返事したいところですが、ご住所が無かったので本人性について若干の不透明性をなお感じました。私は対話に入ることに前向きに傾きつつありますが、念のためお電話番号を教えてください。おかけしてもいい日本の時間帯とともに。肉声でお近づきの挨拶を交わした上で最初のメールを送りたいと思います。
なお、先ほど教皇フランシスコのインタビュー記事についてブログを書きました。1日早く別から知らせが入っていました。いずれにしても有り難うございました。
ところで、頂いた長文のメッセージはコメント欄に公開することを前提としておられないようですが、あのような内容のコメントこそ私が欲しいと思っているものでした。本人性を削除してメールアドレスも取って、本文だけをコメント欄に開示する許可はいただけないでしょうか?
返信する
私のコメント公開一般原則について (谷口 幸紀)
2014-04-19 05:53:13
落合信彦様へ!
「神々の醜聞」「血に汚れた神」「ラビと神父」と言う三つのコメントを、相次いで三つの異なるブログに頂いて有り難うございました。何れも辛口のコメントで、一瞬引いてしまいそうになりましたが、内容自体はまじめなものであることを認めざるを得ませんでした。真剣に公開に向けて検討させていただきましたが、一つだけどうしても越えられない壁にぶつかってしまいました。それは「コメントと言うものは、あくまでそれが寄せられたその回のブログの内容に関連したものであるべき」と言う原則です。或るブログに、そのブログの内容と全く関係のないコメントが載るというのは、本来あるはずのないことです。
その観点から言うと、今回戴いた三つのコメントは、内容それ自体は示唆に富んだものであることを十分に認めた上で、そのコメントが寄せられたブログと全く無関係であったために、敢えて保留のままにせざるを得ませんでした。どうか悪しからずご了承ください。
返信する
Unknown (和くん)
2015-01-18 16:28:54
Miserando atque eligendo

谷口神父様の訳文の全体を通してよくわかりました。感謝です。心深に想い感じたいと思います。

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

★ 教皇フランシスコ」カテゴリの最新記事