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デュッセルドルフ-2
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前回の 「デュッセルドルフ-1」 は、実のところ不評でした。それは内容のせいと言うよりは、スタイルの問題でした。長いベタ文字の部分を読者は好まれないことがよくわかりました。それで、今回はその点にもいささか配慮したいと思います。
3時を少し回る頃から、会場の空気が高揚し始めました。この日、この会場を目指した若者たちは、すでにほとんどが場内に入っただろうと思われます。北欧や、遠くポーランド、ロシアからも来ています。
正面の舞台のステージが何故こんなに広いのか、その理由は次回のお楽しみ
正面のひな壇には、ケルン大司教区のマイスナー枢機卿や、高松の神学校設立で大変お世話になり個人的に親しくもなったドイツ人のコルデス枢機卿らをはじめ、招かれた枢機卿や司教達が並んでいました。彼らも、今や遅し、とキコ氏が壇上に現れるのを待っています。
キコ氏とは、新求道期間の道の創始者のことで、私と同じ1939年生まれ、いつの間にか70歳を超えたが、かつて全共闘世代の若者だったころに、この「道」を始めたのでした。
しかし、キコ氏はなかなか現れません。正面の壇の左側には、盛装したオーケストラが待機しています。音を合わせたり、気になるパッセージを黙々と確認したり、しかし、それにも飽きると、パートごとにおしゃべりやおふざけに余念がありません。みんな若い優秀な演奏家の集団と見受けられます。
私が壇上に上がってカメラを向けると、みんな喜んでポーズをしてくれます。最後列左端の白髪の男は、ジャネスと言って、ローマの神学校で私の二年先輩、もとは旧ユーゴスラビアの国立放送管弦楽団の第一ヴァイオリンを弾いていたプロ中のプロだ。
それぞれに自分のラッパを頭にかぶる、 フルートを吹き矢のように口に当てる、 刀のように振り回す。
待つほどに、拍手とどよめきの中キコ氏は壇上に現れました。まず、慣例に従って、会場の参加者の紹介が行われます。
ドイツ語で若者たちに挨拶を送るお隣りケルン大司教区のマイスナー枢機卿
その後ろに控えるのがキコ氏
あらかじめ届けられた通り、次々に国籍とおよその人数が読み上げられると、そのグループは叫び声をあげ、熱狂的に旗を打ち振ります。ローマ教皇の一般謁見の時と同じ雰囲気です。
第一部は、キコ氏が最近手がけたシンフォニア(交響曲)が紹介されました。彼がフルオーケストラのために作曲を手掛けるのは、今日発表される曲が第一作目です。キコ氏はそれを「信仰教育的な交響曲」と言うジャンルに位置付けています。
彼はプロの画家であり、壁画や建築や造形には非凡な才能を発揮したが、音楽は専門的に勉強していません。従って、ギターを弾き語り、歌の作曲は何百編も手掛けているが、そのあたりが彼の限界だと思われていました。彼は元来楽譜が読めず、まして楽譜を書くことなど出来ないのです。そう言う彼が、オーケストラ用の交響曲の作曲に挑戦すると言うのです。それも、クラシックの著名な作曲家が数カ月を要するかと思われる大曲を、正味数時間で作り上げると言うのだから、驚くほかはありません。
どうしてそんなことが可能なのか。その秘密兵器が、先ほどまで私の目の前で時間をもてあましてふざけたり談笑したりしていた若い演奏家集団です。
本番開始
キコ氏は、心に浮かぶメロディーや曲想を、孤独な作業で楽譜に書きこんで曲を仕上げ、その出来上がった楽譜を各楽器の演奏者に配って合奏させるというオーソドックスな手法を使いません。いや、楽譜が読めず、書けない彼には、そもそもそのようなオーソドックスな手法を用いることが不可能なのです。
彼は、自分の魂の中に聞こえるシンフォニーを、オーケストラの前で口ずさんで歌って聞かせる。弦には弦のパートを、管には管のパートを、打楽器にはそれ相応のリズムを、と言った具合に、全て自分のさえずりで口移しする。すると - 相手はプロの演奏家だから - このへんかな?と見当をつけて、それぞれに演奏してみせる。それを聴きながら、キコは、いや、そこはこう、あそこはもう少し、と修正を加えながら何度も演奏をし直して行く。そして、即興で思いつくまま、ここで管は黙りハープがこんなソロを挟み、オーボエがすすり泣く、とメリハリをつけていく。その過程が全部録音されていく手筈になっているのです。
納得がいくまで、何度でも繰り返す。一応の出来上がりに達するとその録音されたものを各パーツの演奏家が採譜して、それを持ち寄り、一冊にまとめると楽譜が完成と言うわけです。
一回の作業の結果を録音したものを、彼はその後何度も何度も聴きながら、細部のインスピレーションを膨らませて完成度を高める。そして、またオーケストラを集めて浮かんだインスピレーションを実際に演奏させて確かめ、また人の手を借りて楽譜に固定していく。多声部の合唱もソロの部分も同じようにして仕上げていく。彼自身も一部をソロで歌う。・・・と、まずはそんな具合なのだろうと思います。
キコ氏の信頼篤き若き指揮者と出だしのソロパートを歌うキコ氏
クラシックの作曲家で、キコ氏のような手法を用いて曲を作る人を私はまだ見たことがありませんでした。
だから、そんなこと本当にうまくいくものだろうか、とこのブログの読者が疑われるのも無理からぬことです。だから、百聞は一見に如かず、と言うが、この場合は、百聞は一聴に如かずと言うべきでしょうか。
「新求道期間の道」の公式ホームページで、実際に聴くことが出来るから、その方法をここにご紹介しましょう。
最近、新求道期間の道の公式ホームページは、私のいささかの努力もあって、一部日本語でも読めるようになりました。そのホームページからキコ氏の交響曲のサイトに入る方法をお教えしましょう。ただし、そこにあるのは、デュッセルドルフでの演奏ではなく、それより少し前に、イスラエルの「ドームス・ガリレア」という建物の中で、大勢のカトリックやオーソドックスの教会の司教達、ユダヤ教のラビたちの前で演奏された時の音源と映像です。
http://www.camminoneocatecumenale.it/new/evento.asp?lang=en&id=138
で、先ず「新求道期間の道」の公式ホームページに入って下さい。
左上の言語バーの中から日本語を選んで下さい。
日本語ページの右側の上から二つ目の涙を流しているマリア様の絵をクリックしてください。
説明の後に、一連の動画が続きます。最初のキコ氏の顔が移っている動画は、キコ氏のイタリア語の話で終わるので、イタリア語のわからない方はそれを飛ばし、第二番目の動画以降を開いて下さい。
下のバーの右向きの三角のスタートボタンををクリックすると、キコ氏の交響曲を聞くことが出来ます。
お試しください。 「百聞は一聴」 に如かずとはまさにこのことです。