Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

日本のBCGの歴史

2015年03月23日 07時00分00秒 | B型肝炎訴訟
昭和17年(1942) 対象:国民学校卒業生で就職を希望する者
昭和19年(1944) 国民体力法により、対象:被管理者、重要工場・事業所の従業員と希望者、患者家族、同居者
昭和21年(1946) 対象:11~20歳の青少年(男女)と患者家族
昭和22年(1947) 対象:11~25歳の青少年(男女)と患者家族
昭和23年(1948) 予防接種法制定(BCG接種を組み込む)
昭和26年(1951) 結核予防法全面改正(BCG接種を組み込む)対象:0~29歳のツ反陰性者、偽陽性者
昭和42年(1967) 皮内接種法から管針による経皮接種法に変更
昭和49年(1974) 結核予防法一部改正、対象:0~3歳、小学1年、中学2年のツ反陰性者
昭和57年(1982) 対象:0~3歳、小学1年、中学1年のツ反陰性者
平成15年(2003) 小学1年、中学1年のツ反、BCG再接種廃止
平成17年(2005) ツ反を実施せずBCGを直接接種、対象:生後6ヵ月まで
平成19年(2007) 結核予防法廃止、BCGは予防接種法に組み込む
平成25年(2013) 対象:1歳に至るまで

ここでいうツ反とはツベルクリン反応のことを言う。
結核の予防のためBCGの予防接種が昭和17年から集団接種され、昭和23年には強制接種になり、昭和26年には小学校入学時にBCGをしていなければ小学校の入学を認めないという厳しい改正があった。
昭和42年管針による経皮接種に変更されたが、1人1人取り換えられたのは、とある保健婦の証言にもあるように管針が出来て10年も過ぎたあとの話である。
BCGの接種のあとは上腕に汚い不正形な瘢痕(はんこん)として残っており、世界中どこへ行ってもこの瘢痕をみれば日本人と解る。
皮下や皮内接種の瘢痕の大きさは空豆大、えんどう豆、大豆大まである。
管針の場合でも2ヶ所に分かれて小さな瘢痕(6から9個)が残る。

<参考資料>
・「新BCG接種の理論と実際」財団法人結核予防会
・「予防接種の歴史」公益財団法人予防接種リサーチセンター


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