「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

正しさゆえに……?

2012-01-22 | 感想 1

人生においては、さまざまな人との出会い、ふれあいがあるものだ。

出会い、ふれあいは、楽しいことであり、心浮き立つことでもある。けれども残念ながら、全ての出会い、ふれあいが楽しく、心浮き立つとは限らないのも事実だ。時には、厳しい言葉を浴びせられることもあるし、口論になってしまうこともある。

こういう時は、ついつい、感情的になって、
「自分は間違ったことはしていないのに、どうして批判されるんだ。この人は何も分かってないんだ」
「こちらは正しいことを言ってるのに、なぜ、この人はそれを認めないんだ」
と考えてしまいがちではある。これは人間なら致し方のないことだと思う。

ただし真理を学んでいる修行者であれば、すぐに次のような反省をはじめるに違いない。
「批判されたということは、やはり自分に至らぬ所があったということではないか。そこは改めなければ……」
「口論になったということは、自分が相手を傷つけてしまったということだろう。だから相手も激して乱暴な言葉を返し、それに自分も報復し……。ああ、相手には気の毒な事をしてしまった」

自分は、このように考えているので、2chや、某ブログのHS信者さんの発言にはびっくりしてしまった。

ある信者さんは、HS批判に対して、「HSが正しいがために、誹謗中傷されている」という見解を発表していた。
また、ある信者さんは、他人と口論した後に、正しさを前面に立てても全く無力のことが多いと実感したという。

信者さんは、HSは正しいと信じているわけだから、HSの正しさに間違いがあるとは認められず、
「HSが正しい故に、魔がきそいたっているのだ」
「正しい真理を教えてあげてるのに、相手はそれを認めない」
という風に考えてしまうのは、仕方のないことかもしれない。

でも、もう少しだけでも冷静になり、よく思案してほしい。
真に正しく、何の落ち度も、至らぬ所もないのに、執拗に批判されたり、口論が発生することはあるのだろうか? 
執拗な批判、口論が発生する原因は、どちらか一方だけが悪いというよりも、どちらにも正しくないところがあるためではないか? 
お互いに毒を食わせあってるゆえではないか?
HSは正しいという視点からのみではなく、それ以外のさまざまな視点から反省してみることも大切と思う。

……と、今回は、説教くさいことを書いてみました。



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