上の記事に関連したことについて、ヘルマン・ヘッセが、ツァラツストラが若者たちに語ったという設定で書いているので下に貼っておきます。
ツァラツストラは多くのものを見、多くのことを悩み、多くのクルミを割り、多くのヘビにかまれた。だが、ただ一つのことを彼は学んだ。ただ一つのことが彼の智恵であり、誇りである。彼はツァラツストラであることを学んだ。それこそ、君たちもまた彼から学ばんと欲することだ。それこそ、君たちがつねにそうなろうとして、勇気を欠いている点なのだ。君たちは、私がツァラツストラであることを学んだように、君たち自身であることを学ばなければならない。他のものであること、全く無であること、他人の声をまねること、他人の顔を自分の顔だと思うことを忘れなければならない。
(ヘルマン・ヘッセ「ツァラツストラの再来」高橋健二訳)
友だちよ、世界がよいか悪いかについての判断をわれわれはさし控えるようにすべきであろう。世界を改良しようというような奇妙な要求は断念すべきであろう。
しばしばこの世界は悪いと非難された。それは、世界を非難するものが眠れなかったとか、食いすぎたとかいうためであった。しばしば世界は幸福だとたたえられた。それは世界をたたえるものがたまたまある娘にキスしたためであった。
世界は改良されるために存在しているのではない。君たちもまた改良されるために存在しているのではない。君たちは、自分自身であるために存在しているのだ。世界が君たちの存在の響きと音と影とだけ豊かさを増すために、君たちは存在しているのだ。君自身であれ! そうすれば世界は豊かで美しい! 君が自分自身ではなく、うそつきであり、卑きょう者であれば、世界は貧しく、改良を必要とするように思われる。
(同上)
君たちは神を自分自身のうちに求めることを学んでほしい! 隠れたあるものに対し、君たちのうちなるこの未来に対し、君たちがかつて王侯や旗に対して感じたと同じ程度の畏敬を、いつかかんじるようになってほしい! いつか君たちの信仰のあつさが、もはやひざまずくのではなく、強い男らしい鍛えられた足でまっすぐに立つように!
(同上)
*下線は筆者による。
思うに、これらのことは、精神世界ものとしては非常に基本的なことであり、基礎の中の基礎と言えるでしょう。
幸福の科学でも、初期の頃は、この基本は取り入れられていました。たとえば、それぞれ自分の個性を輝かせること、内なる神を尊重すること、他に依存することなくまず自分の足で立つべきことなどが説かれていました。
けれどもどういうわけか、この基本は忘れ去られ、教祖の前に、皆一様に従順になるべきことや、他力信仰やご利益信仰ばかりが説かれるようになってきています。残念なことです。
今、幸福の科学は不安定な状態が続いていますが、その原因は案外、この辺りにあるのかもしれません。基礎が崩れているのでは、その上の建物が安定しないのは当たり前です。幸福の科学は創設から二十年以上経っているわけであるし、そろそろ基礎を点検、修復するべきときがきているのかもしれません。