高橋信次~大川隆法という流れの中で、「個人崇拝が多く生まれているのはなぜか?」という問いがある。
自分としては、この流れの中での個人崇拝は、「神の子」という思想と無関係ではないように思える。
高橋信次~大川隆法が説いた「神の子」思想は、要約すれば次のようなものだろう。
〝人は皆、神の子であり、本来、善である〟
〝人は心の修業の度合いに応じて、神の如き智慧や超能力を持つことができる〟
上であれば、人の善性を信じるという理想主義的な人間観でもあり、さほどの害はないだろうけれども、下であれば、霊能好きや、自己顕示欲の強い輩を多く引きつけ、その中から、「我こそは心の修業を完成し、神と同通し、般若の智慧と観自在力を得た!」などと言い出す者が出てくるだろうことは容易に推測できる。
高橋信次も、大川隆法も、霊能力信仰を戒めてはいる。けれども実際には、どちらも自身の霊能力を誇り、一方は悪霊払いを、もう一方は霊言を看板にしているのだから、その言に説得力はない。
結局、〝人は神の如くなることができる〟という意味での神の子思想がある限り、神になりたい自己顕示欲の強い輩を引きつけ、その中から生き神様が生まれてくることを防ぐことはできないのだろうと思う。