自燈明・法燈明の考察

法華経は平等の法なのか

 法華経は差別なき平等の法である。

 これは何と耳障りの良い言葉なんでしょう。若き日の私も、この言葉を信じて創価学会の活動に邁進をしていました。若き日の私は、この日蓮仏法、そして創価学会の語るこの思想を弘める事により、平等な社会を構築できると信じていたのです。

 しかし最近、少し法華経に触れ、また日蓮の御書を自分なりに目を通し、また仏教以外の書籍にも目を通した時、ふと「法華経は差別なき平等の法」という表現が適切なのか、自分なりに考える様になりました。



 法華経の如来寿量品では「久遠実成の釈迦」という事が説かれ、そこから万人に仏性(仏の心)が具わっている。だから一人ひとりは尊極な存在であり、軽んじられる存在ではない。これは池田氏の述べた平等という事で、簡単に言えば、今の創価学会の中にある「平等」という観点は、そういった池田氏の言葉に基づいた平等論です。(ちなみに牧口・戸田両氏の語った事から、この様な「平等な法」という話を私は読み取れていません)

 そもそも今の人間社会、平等という事がありえるのでしょうか。

 現在の世界の枢軸は資本主義社会です。ある処によると、人類の八割の富は2%の人が占有していると言います。そしてその持てる資本によって格差が存在します。また民族による差別もあれば、性差別も存在します。要は人間とは抜き差しならぬ差別の世界の中で生きているという事と言えるでしょう。

 この差別のうち、経済的な格差や身分の格差を無くそう。その理想を掲げたのが「共産主義」でした。しかしこの共産主義社会は「人類最大の実験」と呼ばれながら、結果として大失敗に終わったのは、記憶に新しい事ではありませんか?

 労働者は資本家に搾取されている。だから資本は皆で共有し、平等な立場で平等に収入が得られる社会を目指そう。そうした結果、共産主義国家で起きたのは、階級による格差社会であり、頑張っても収入があがらない事から、人々が努力を放棄する事が当たり前となった社会でした。

 当時、ソ連邦の首都、モスクワのデパートの無味乾燥さは大きな話題にもなりましたよね。

 私は法華経で説かれた思想は「平等思想」等ではなく、「同質思想」というものではないかと思うのです。久遠実成の釈迦が解き明かしたのは、「万人に仏性が具わる、一人ひとりが尊極な存在」という事ではなく、「万人は同じ仏性を心に持ち、存在する同質な存在」という事ではないかと思うのです。

 久遠実成を明かした後、釈迦は語りました。
 「諸の善男子、是の中間に於て我燃燈仏等と説き、又復其れ涅槃に入ると言いき。」
 これは五百塵点劫の昔に成仏してから、現在に至る間に、私自身を燃燈仏等であると説き、また涅槃に入ると言った事もあると言いました。

 燃燈仏とは、釈迦が前世に修行をした時に教化を受けた仏の名前です。つまり前世の釈迦も、時の師匠である燃燈仏も、共に久遠実成の釈迦であったというのです。これは「平等」という事ではなく「同質」と言うべき関係です。

 また久遠実成の釈迦は語ります。
「諸の衆生、種々の性・種々の欲・種々の行・種々の憶想分別あるを以ての故に、諸の善根を生ぜしめんと欲して、若干の因縁・譬喩・言辞を以て種々に法を説く。」
 ここで久遠実成の釈迦は、人々の間には様々な性質があり、様々な欲を持ち、様々な行いをし、様々な事を考えていて、それぞれ分別(差分)があるが、善根を生じさせようと若干の因縁・譬喩・言葉を以って、それらの人々に様々に法を説いてきたと言います。

 これは五百塵点劫の昔から久遠実成の釈迦は、様々な人達がいた事を示し、それに合わせて善根を生じさせようとして、釈迦は様々な法を説いてきたと言う事を述べているのです。

 「平等大慧」という言葉があります。これは三乗(声聞・縁覚・菩薩)という、人々の境涯には差別があっても、仏の智慧は一仏乗に導く為に平等な智慧を以って法を説いてきたと言います。つまり仏教で言う「平等」とは、仏は全ての衆生に対して「平等に対応する」という事であって、人々が全て平等であると見る思想では無いのです。

 だから法華経を「差別なき平等の法」というのは、少し観点が違っていて、「法華経は仏が衆生を平等に見て説いた法」というべきなのです。

 世界の中には様々な「差別」が満ち溢れています。そしてこの世界で一般的に言われる「平等」という思想の概念の基本にあるのは、「(唯一絶対)神の下、人々は平等である」という思想であり、そこには「絶対的」な観点を持っての平等観です。そしてその概念が、今の社会一般で捉えている平等観の基本です。

 しかし仏教に於いては「人々は全て同質な存在」であるとし、それらの人々には差別はあれど、その心の持つ可能性は同質な存在の上に成り立つ事から、皆を平等に見る。

 こういう思想であると、私は理解しているのですが、いかがでしょうか。

 単純な口触りの良い「平等」という言葉ではなく、もう一歩、踏み込んだ思想が今の時代には求められている様に、私は感じています。


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