私は寝るときにYouTubeで怪談の話を聞きながら寝ることがあります。まあ語り部にもよるのですが、結構聞いているうちにストんと寝入る事ができる人がいるんですよ。そこでは「地縛霊」とか「浮遊霊」なんて単語も良く出てきたりします。要は亡くなった人の魂なんかを「霊魂」なんて呼んでいるのでしょう。
仏教ではこの「霊魂」というものを否定していると、以前に創価学会の先輩から聞いたことがあります。その根拠は涅槃経にあると言いますが、私自身、涅槃経を読み切った事が無いので、これについては何とも言えません。ただ仏教全般の思想を見て思うのは、恐らく「霊魂」とかよりも、それによる「祟り」とか「呪い」という様な事を否定していると思うんですが、どうでしょうか。
要は人生の幸不幸が、何者か判らない「霊魂」に拠るという思考について否定をしている訳であって、人が見る不可思議な存在(これについて、ここでは一応、霊と呼ぶことにします)や現象そのモノを否定している訳では無いのではありませんかね。
かく言う私は姿を見たとか声を聞いたというのはありませんが、気配とか、あとは実際に玄関の引戸が「ガラガラがら」と開く音がしたので玄関に行くと、閉じていたり、またある人(既に故人となっている親族)の香りが、部屋の中でして、一瞬身近に居るのかと思ったりという経験はありました。
また私の父が亡くなった時、その通夜前後の事ですか、子供が夜中に泣き出してしまい、理由を聞くと父の遺体を置いていた部屋から、夜中に見知らぬ女の人が出てきたのを見たと言うのです。まあこれは子供の夢だったのかもしれません。
あと学生時代に「霊感がある」と言う友人から、突然話しかけられ「お前、お腹大丈夫か?」と言われた事もあって、この時、実はお腹を下していたのですが、理由を友人に聞くと「いや、お前のお腹に人の顔が浮かび上がっててさ、、」と言われ、ぞっとした事もありました。
心理学者のカール・グスタフ・ユングは、「不可思議な事は否定しない」として、例えばポルターガイスト現象について研究し、原因は解らないが、この現象は統計的に思春期の女の子の周辺で起きる可能性が高いと語り、心の思念が物質化するという事も否定せずに研究テーマにしていたと、聞いたことがあります。
ここで一つ、聞いた話ですが、ある大学生が面白半分にやったという実験の話を紹介します。これはある怪談師が語っていたのですが、田舎道のカーブの場所に、大学生が牛乳瓶に花を挿して置いておいた事があるそうです。すると日が立つごとに、そこにジュースや花が飾られだし、一年を待たずにそこは「心霊スポット」になってしまったそうです。何でも女性が交通事故で非業の死を遂げた現場という事で、地元の人の間でも語られ始めたと言うのです。そしてそればかりではなく、実際に白い服を着た長髪の女性の幽霊の目撃談まで出始めてしまい、まさかその段階に来て「実はイタズラ実験でした」とは言えない状況にまで、なってしまったと言うのです。
この話の真偽は解りませんが、これに近い話は心霊話にも偶にあったりする話なんですね。要は人の意識が心霊スポットを作り出すという話です。
さて、ここで霊魂とか幽霊というのは、一体何なのでしょうか。私はこれを「残留思念」だと考えています。これは科学的に説明しろと言われても出来ませんが、要はその場所に染み付いていたら、特定の場所に現れる地縛霊、人に絡みついたら憑依霊、また生霊という形で語られるものになるのでは無いでしょうか。そしてそれに感応する事で、人には様々な事が起きるのではないかと思うのです。
残留思念とは飽くまでも思念なので、感じる人は感じ、見える人は見えますが、見えない人には全くみえません。またよく言う「人の自我」とは別なもので、例えて言うなら、私達の心(自分の生命と言わせてもらいますが)が活動する際に、常に周囲に染み付かせる「シミ」の様なものかもしれません。
だからよく言う「心霊現象」とか「呪い」「祟り」の類なんかも、実はその思念に影響された人の「心」が起こす現象なのではないかと考えていますし、その観点からすれば、よくいう「人格を持った」と言う様な「霊魂」でもないし、それに関している様に見える「個人の魂(心)」とは異なるモノにも思えます。
「幽霊の正体見たり枯れおばな」
そういうものではありませんかね?
まあ怪談話は面白いんですけどね。