自燈明・法燈明の考察

サーカスの象

 ここ最近、このブログでは日蓮関係の事を書いていますが、少し趣旨の異なる事を書いてみたいと思います。

 みなさんの中で「サーカスの象」の話を知っている人は居ますか?

 象というのはとても大きくもの凄い力を持っています。しかしサーカスの中では自分(象)よりも小さな人間に従順で、命令を聞くように躾けられています。


 これは何故かと言えば、小さい頃からサーカスで飼育され、足には小象にとっては重い錘(おもり)を点けられ、調教師から厳しく躾けられているからです。その事により、大きな象となった時でも、足につけられた錘はとても重いと信じ込み、厳しく躾けられた人間には叶わないと思い続けている事から、従順に芸を行っているからだと言われています。

 要は象は大きくなって、とても大きな力を付けていても、それを自分自身で封印して人に従順となっているという事なんですね。簡単に言えば、これが「サーカスの象」という話です。

 私達には「想いを形にする(具現化)力」を持っています。よく言う信仰体験もそうですが呪術や現代でいう超能力といった類の能力。この様な力を人間は誰しも心の中に持ち合わせていると思うのです。

 しかし一方で、私たちは現代の義務教育や家庭の中で、こういった心の中に秘めている大きな力を、どちらかというと「封印」する事を教えられて来ます。それは「社会的な常識」であったり、既成の社会の中にある通念という中で教えられ、封印されてしまいます。そして「自分自身を信じる」という事についても、肯定的な事を教育される事はありません。

 また社会に出て成人となっても、日常生活の中で触れるテレビを始めとした媒体などで報じられる内容や、新聞等のメディアの情報の中でも、実は自分の心の中にある「大きな可能性」についても封印される様な情報ばかりを与えられ続けます。

 また偶に宗教などで、その自分自身の中にあるこの「大きな可能性」の一端を体験したとしても、宗教の指導者からは「それは宗教の力」である事を徹底して刷り込まれ、じつはその「大きな可能性」が自分自身に本来持ち合わせている能力だと気づく事はありません。

 結果、人間は「サーカスの象」の如く、人類社会の中の「1つのピース」として動く事を習慣付けられ、その生涯を閉じて行っているのでは無いでしょうか。

 ただサーカスの象が「自分の可能性、大きな力」に気付く事は、幸せとは限りません。何故ならサーカスの象が、自分の持つ大きな力に気付き暴れた場合、大抵は「殺処分」という憂き目にあってしまいます。
 人類社会の中でも、人間の持つ「心の中の大きな可能性」を理解し、社会にある様々な抑圧する仕組みを理解した人間というのは、大抵、異端視され排除され、社会的に潰されてしまいます。

 最近、様々な報道が為されています。「ワクチン接種3回目」「オミクロン株の感染拡大」で垣間見えるインフォデミック。またリバタリアリズムによる社会の貧困格差の拡大等々。どれもが人間の心の中にある「大きな可能性」から目を背けてさせてしまう内容だらけだと、私は感じています。

 私たちは果たしてそんな「マトリクス」の中で、安易に生きているだけで良いのか。でもその「マトリクス」を否定する事は、社会生活の中で大きな問題を生む事にもなっていきます。人類社会の中で生きて行くには、根本的にこの様な問題が根っこにあるのでは無いかと、最近、ふと考えてしまうのです。

 答えはなにもありませんけどね。



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