自燈明・法燈明の考察

空即是色・色即是空(空観)

 最近、ブログ記事を更新していませんでした。仕事も忙しかったり、あと本を読んだり動画を見たりと、何かとやっていたら時間というのは、とにかく過ぎ去ってしまうものなんですよね。

 さて、今の世界はといえば、ウクライナ紛争が泥沼化し始めている様に見えています。一部の界隈では「DSの戦いだ」とか「ウクライナはDS拠点で危険だ」とか様々な話題もあり、そこにはプーチン大統領をDSを解体する正義の味方の様に支持する言動も有るようですが、それよりもウクライナ国民が戦火で苦しんでいる姿を見て、とにかくこの戦争状態は早く終結して欲しいと個人的には考えています。
 この世界には「正義の味方」もなければ「悪の権化」もありません。それらは全て相対的な立ち位置の問題というだけで、戦争とは利権のぶつかり合いでもあるのですが、現代はそんな利権で人同士が殺し合いしている時では無いと思います。

 いまの人類文明は、たかだか数千年程度の歴史しか無いのに、このままではこの文明が崩壊する方向に進むのかもしれませんね。

 さて今回ですが、般若心経にある「空観」という事について少し書いてみます。

 「色即是空・空即是色」とは有名な経文で、恐らく仏教を知らない人でも、この言葉について聞いたことがある人は多く居るのではないでしょうか。
 難しい解釈は置いといて、空という考え方を簡単にいうと、「空(くう)」とは何も無いという意味ではありません。それでは「無」になってしまいます。空とは無いように観えても、実は存在しているもので、それでは何かあるのかというと、実はそこには無いという、なんとも曖昧な表現しかしようのない概念です。

 先の般若心経では観自在菩薩が修行をして五蘊(色受想行識という自身の心から見たこの世界)は皆空なんだと理解してこの世界の苦悩を乗り越えたとあり、実体を持つ物も空と同じであり、空とは実体のある物だと言うのです。空とは即ち物質(色)であり、物質(色)とは即ち空だと言うのです。またこれは五蘊の他の四つの要素(受想行識)もまた同様に空であると説いているのです。

 この言葉の解釈としては、要は実体の本質は空なんで、そんな事に執着してどうすんのよ、という事で良く語られています。仏教では執着から離れる事を解脱とも呼んでますから、その執着する心の実態の姿を示すことで、人々を執着から離れる事の意義を説いているのかもしれません。

 さてここで少し話を変えて、物理学的な話題です。今の科学では、私達の体や周囲のモノは、周期表によれば約100前後の原子により構成されていると言われています。
 この原子は陽子(+)と電子(−)により構成されていて、陽子の周りを電子が回っていると言います。そして簡単に言えばこの電子の数により原子の性質が異なると言われています。(科学オンチなので微に入り細に入りの話はご勘弁下さい)
 陽子の周りを電子が回っていると言いますが、陽子も電子も極微の存在であり、実は原子とは言っても中身はスッカラカンの隙間だらけと言われています。だから原子の陽子と電子の隙間をギュッと詰めると、実は人間の体もとても小さくなってしまうそうです。
 また物理学ではこの物質の構成要素の最小単位を突き止めようとしているのですが、実は未だに確定されていないとの事なのです。電子や陽子を構成している極微の要素も有るようですが、その先には更に極微の物もあるようで、最近では空間の揺らぎが実は物質なのではないかという話もあるようなのです。

 これは当に「色即是空」の言葉と同様ですね。

 また話を変えて今度は重力という事について。私達は日常生活の中、常に重力は受け続けていて、地球上では1Gという力で地面に引っ張られています。この力は加速度で示されますが、1Gとは9.8m/s(毎秒9.8m移動する加速度)だと言われています。
 今の科学ではこの重力というのは、完全に解明されておらず、なぜ発生しているのか、そのメカニズムすら解っていません。
 古代ギリシャから言われているのは、この空間は「エーテル」に満たされており、このエーテルが高密度の物質(重力の場合にはこの地球)により押しのけていて、そのエーテルが戻ろうとする反作用で重力が発生しているという学説も以前にはあった様ですが、いまだ確定はしていません。
 近年では一部のオカルトマニアの間には、この空間は何も無いように人は捉えていますが、実はこの何も無い空間には膨大なエネルギーが内在していて、そこからエネルギーを取り出せたら、無限のエネルギーを人類は手にすることが出来るという話もあったりしています。これはフリーエネルギーという話です。

 これなんかは「空即是色」にも通じる概念なのかもしれません。

 詰まるところ、この世界でいま私達が解っていることは、実は何も無いと言っても良い状況という事でしょう。これらの問題は、これから先の科学で解明されてくる事も多くあるかと思いますので、それを待ったほうが良いという事なのでしょう。

 最後ですが、ここで少し興味深い話があったので紹介します。これはニール・ドナルド・ウォルシュ氏の「神との対話」にあった内容です。この書籍については、いま私も暇がある時に読んでいて、このブログでも幾度か紹介していますが、そこではとても興味深い話がありました。
 この本ではこの世界は私達が創り出していると言うのですが、その原動力とは「人の感情」だという話が書かれていました。
 人がこの世界を創り出していると言うのですが、それの原動力は人の心のなかにある「感情」であり、この感情とは私達が認識している以上に大きなエネルギーを持っていると言うのです。そしてこの感情のエネルギーが何も無い空間から物質を創り出しているといい、私達が生きている世界とは、人々の感情からこうして創り上げられたものだと言うのです。

 これはとても興味深い話だと私は思いましたが、皆さんは如何思いますか?

 確かにものの成り立ちについて、今の科学では完全に解明されていません。この世界とは本来は「空」であり、そこにモノを創り出しているのは人の心という説も強ち否定できるものではありません。
 今の人類社会とは、70億以上の人々の意識(心)が創り出しているとしたら、やはり心の在り方について、私達は考え直さなければいけないのではないでしょうか。

 そんな事を最近では良く考えるようになりました。


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