自燈明・法燈明の考察

【私の近代史観】日本国憲法について考える➂

 前の記事からの続き。

 ◆日本国憲法の完成
 4月10日、衆議院議員総選挙が行われた。総司令部はこの選挙をもって「3月6日案」に対する国民投票の役割を果たさせようと考えた。しかし、国民の第一の関心は当面の生活の安定にあり、憲法問題に対する関心は第二義的なものであった。選挙を終えた4月17日、政府は、正式に条文化した「憲法改正草案」を公表し、枢密院に諮詢した。

 4月22日、枢密院で憲法改正草案第1回審査委員会が開催された(5月15日まで、8回開催)。同日に幣原内閣が総辞職し、5月22日に第1次吉田内閣が発足したため、枢密院への諮詢は一旦撤回され、若干修正の上、5月27日に再諮詢された。5月29日、枢密院は草案審査委員会を再開(6月3日まで、3回開催)。この席上、吉田首相は議会での修正は可能と言明した。6月8日、枢密院の本会議は天皇臨席の下、第二読会以下を省略して直ちに憲法改正案の採決に入り、美濃部達吉・顧問官を除く起立者多数で可決した。

 これを受けて政府は、6月20日、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、憲法改正案を衆議院に提出した。衆議院は6月25日から審議を開始し、8月24日、若干の修正を加えて圧倒的多数(投票総数429票、賛成421票、反対8票)で可決した。
 続いて、貴族院は8月26日に審議を開始し、10月6日、若干の修正を加えて可決した。翌7日、衆議院は貴族院回付案を可決し、帝国議会における憲法改正手続は全て終了したのである。



 以上が日本国憲法の成立までの流れである。

 こういった憲法成立までの歴史について、果たして私達は学校教育の中でどれだけ学んだ事があったであろうか。恐らく学んだ人はいないと思う。

 「憲法」とは何か、それは国や国家の成立に至る、統治者や為政者による統治の根本的な規範となる定め(原理原則的な法)と言われている。しかし今の日本国憲法は1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。日本の敗戦が1945年(昭和20年)9月2日なので、その憲法を検討する期間は1年も無かったのである。これはあまりにも性急すぎる動きと感じるがどうなのか。

 太平洋戦争により日本は歴史上、近代国家となってから初めて敗戦し、国は滅んだのである。明治維新により建国された大日本帝国はなくなったのだ。

 よく太平洋戦争とは「侵略戦争であった」とか「愚行であった」と言われ、私が子供の事には当時の大人たちから「間違った戦争でアジア各国に多大な迷惑をかけた」と教えられ、中国(日本の相手国は正確には中華民国であったが、その後、中国共産党が建国した中華人民共和国となった)や朝鮮(韓国や北朝鮮)は、日本に対して常に「謝罪カード」を政治的に利用、歴代の日本政府はそれに従ってきたのである。

 ではあの戦争とは、どの様に間違えた戦争であったのか。全ての物事には必ず「良い面・悪い面」の両面が存在する。太平洋戦争についても同様な事があるはずで、日本人としてそういった自分達が以前に行ってしまった「愚行」と言われる行動を理解する事で、初めて自分達の未来に、よりよい対応が出来る事になるのではないだろうか。

 しかし戦後の日本には、その時間すら与えられていなかった。

 まず極東軍事裁判は、日本が新たな憲法を検討している最中の1946年(昭和21年)5月3日に開かれ、1948年(昭和23年)11月12日にかけて、連合国軍を中心にして開催され、「戦争犯罪人」という事で日本の太平洋戦争遂行の責任者達が裁かれたのである。つまり日本という国は、自分達が行った「愚行」を振り返る事すらせず、その総括も日本ではなく連合国により行われ、その罪も自分達の手ではなく、連合国の手で裁かれたのである。

 つまるところ、太平洋戦争という自分達の起こした戦争の本質すら認識・理解する時間すら与えられず、今の「日本国」として再建されたという事ではないだろうか。

 これは私的な想いでもあるが、恐らく第二次世界大戦の終盤に、世界の舞台はその先にある「冷戦」を見据えた事で動き始めていた。そしてそれを察していた連合国内のアメリカの思惑があって、日本の国の形というものを早急に立て直しが図られ、日本は大戦後にアメリカの思惑のもと、世界の枠組みに組み入れる事を目的として、今の日本国憲法というものが成立したのではないかと思っている。

 そしてこの憲法には、連合国軍最高司令官であったダグラス・マッカーサーが持っていた理想も組み入れられる形で「九条」が組み込まれた。皮肉な事だが、ダグラス・マッカーサーが後に朝鮮半島の戦争で日本を利用しようと考えた時、この理想を組み入れた日本国憲法が足かせとなり、日本人は朝鮮の戦争に深入りせずに済んだという事になっている。

 私は今の日本国憲法を考える際、単に「平和憲法」「人類にとって規範となる憲法」という美辞麗句で見る事は出来ない。先に紹介した左系のフリー・ジャーナリストが「不磨の大典」の様に日本国憲法を扱う事にも、大きな違和感を覚えた事も、こういった歴史の上から考えての事であり、やはり戦後七十五年以上経過したのであれば、そろそろ日本人としても、日本国憲法や戦後の日本について見直しを図るべきではないか。

 過去を知らない国が、未来に目を向ける事は出来ない。今の日本の政治的な問題の根っこにも、こういった事があると私は考えている。

(続く)


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