次世代総合研究所・政治経済局

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変質する「教育」現場

2007年03月22日 02時48分49秒 | Weblog
 3月20日放送第255回日経スペシャル「ガイアの夜明け」を見た。 
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview070320.html

 「 「公立」vs「私立」~教育再生の最前線では~」と題し、教育の現場で今何が行われているか、①居酒屋チェーン「ワタミ」創業者の渡邉美樹氏が再建している「郁文館夢学園の再建の様子、②公立でありながら他校の10倍の予算で土曜日の補習授業で早稲田アカデミーの講師を利用する千代田区立九段中等教育学校など、③公立中学教師の苦悶などを扱う。

 ①では旧来の年功序列制度を廃止し「360度評価」という、校長、同僚の教師、保護者、生徒による評価結果を教師の賞与に反映するという成果主義を導入していた。

  しかし、どうも私はこうしたやり方には違和感を覚えた。①では50%プロジェクトとして予算の50%が人件費と予め決められている。評価を賞与に反映するのは当然にしても、ある教師の評価が上がることと別の教師の評価が下がることがイコールなのは現実的にはおかしい。もともとパイが変わらぬからそうなる。私なら合格やリピート数(教師の評判がいいので兄弟が入学した等)、教師全体の質の向上に応じた弾力査定分として10~20%をとっておき、残り30%でパイの取り合いをさせる。渡邉の発想は昨日より今日、今日より明日の売上げが上がっていくという居酒屋の「日銭商売」の発想から出ていない。

 教師全体の質を向上させるという発想がなく、「(相対的に)劣る者は去れ。代わりはいくらでもいる。」という使い捨ての発想のようだ。マニュアル通りにバイトを使う居酒屋と学校教育の人材開発を同列に扱っているのは、渡邉が「教育再生会議」の委員でもあるだけに看過できない問題だと感じた。

 解剖学者の養老猛司も言っているが、要するに教育とはどこかで「オレのような人間になれ」といっているわけで通常のモノを売るのとは質的に異なる。だからよく小中(高)生が「先生が嫌いだからこの科目がきらいになった」といっているのは実はある意味正しい判断なのである。その科目を勉強しているとこういうイヤなヤツになるという実例が目の前にいたら勉強する気がおこらないのも当然だからだ。

 ②にしてもカネで予備校教師を引っ張ってくるというのでは「予備校に行かなくても予備校の授業が受けられる学校」という以外に何か特色があるのか。これで進学率が上がって校長の「業績」になるというのはなんとも安直だ。

  実は、わが研究所の教育部門にもあるマンモス私立一貫校の生徒たちが在籍している。英語の場合、同校で成績トップのA君は研究所教師の熱心な指導もあって、トップクラスに入っており、中学3年で英検2級合格、すでに学校の教材は大学入試問題を使っているが、中の下クラスのB君は高校1年でも学校ではそれ以下の教材を使っている。

 更に問題なのはB君の場合、労働意欲が湧かない理由があるのか学校の教師が休みがちな上、試験問題は既習の英文物語のストーリーを日本語で書かせるというものが半分もあり、実際、英語の試験にはまったくなっていない。だから生徒も「こんな難しいもの試験に出ないよ」とまともに勉強しようとしない。それがますます学力低下に拍車をかけるという悪循環だ。

 思うにこのマンモス校では上澄みの少数精鋭の生徒だけが「金の卵」であって、あとの生徒は集金マシンとしかみなされていない。

 こうした「集金術」は「イヤなヤツは去れ」という態度で対象が教師と生徒の違いがあるだけで本質は①のワタミ商法と全く同じだ。教育が教育に名を借りた集金法になるとともに「再生会議」で商人が持論を声高にのべる。

 そういえば中曽根内閣でも「臨教審(臨時教育審議会)」というのがあって、後にリクルート事件で逮捕された江副(浩正=リクルート代表取締役会長=当時)という人物が「暴れ馬」として投入されていたっけ。


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