そうです私がセ ッ ク ス ボ ラ ン テ ィ ア (SV) で す

セックスボランティアとは、障害者に同情して、タダでセックスしてあげる人のことではありません。

もしも自分が・・・

2005-10-14 10:50:09 | 我思う
相手の立場になって考えろっていいますよね。

相手の身にもなってみろって・・・。


本当に、相手の身になって考えられるのだろうか。



私には、障害もなく、本当のところ、皆さんの半分も、生きることについては、
苦労していないのかもしれない。


心の中の、ふかーいところで、本当の共感をすることはできてはいないと思う。


かといって、無関心でもないし、上っ面だけのつきあいもしたいとは思わない。




私に何ができるのだろう。



特別なことは、何にもできてないね。



もしも自分が、重度の障害をもつ身であれば、それほど、広い心で批判や差別を
受け入れられたり、戦ったりはできないかもしれない。

そして、もしも、自分の子供が重度の障害をもっていたら、差別されることを恐れ
て、隠れたり逃げたりするかもしれない。


今の私は、「理解のある人を装う、詐欺師」なのではないだろうか・・・。





でも、ひとつだけ、私は、わりといろいろなこと経験してると思うから、その人の
やってることとか、感じてることとか、想像するときに必要な材料は持ってると
思うんですよ。


学校、いじめ、合格、退学、仕事、失業、恋愛、失恋、別れ、親しい人の死、
家族のいざこざ、病気、入院、手術・・・。

今でこそ、生きることに肯定的になったけど、つらくてつらくて、心の中の、一番
下のほうに座り込んで、出て行けなかった事だってあります。

この、わたしの、気持ちを、完全に共感できる人はいない。

けど、たくさんの優しさ、たくさんの真剣さをもらって、私も、こんな情けない私
でも、生きてていいんだって思えるようになったから。



私がそうされて、生き返ることができたように、私も、静かに寄り添っていたい。







秋だからかな。


ちょっとばかし、内観しすぎたようです。



んじゃね




障害者差別の社会学―ジェンダー・家族・国家

岩波書店

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