そうです私がセ ッ ク ス ボ ラ ン テ ィ ア (SV) で す

セックスボランティアとは、障害者に同情して、タダでセックスしてあげる人のことではありません。

私を抱いてそしてキスして

2007-09-29 20:28:19 | 我思う
もう17年も前の本なんですね。

いつかちゃんと読もうと思っていて、読めなかった本でした。

読んでよかった。

HIVの陽性者に対する「考え方」「付き合い方」

うつらないことも、相手が傷つくことも、全部わかっているけど、怖い。どうしていいかわからなくなる・・・。

それを、自分の中できちんと消化したら、「当たり前」にできるはずです。

自分がそうなったときに、今までとかわらずに付き合って欲しいなら、なおさら。


エイズ問題は、いつまでも他人事じゃないな、と、改めて思いました。

でも、これ読んで、今とどう変わったんだろうと思いました。



HIV陽性の方、発症した方が、素手で氷をつかんでコップに入れて、用意してくれた飲み物を、躊躇せずに飲めますか?

大丈夫なんです。
うつらないんです。

でも、何かが、過剰に、反応するんです。


ものすごい、リアルに、自分の本当の姿に気づかされます。


でも、でもね・・・

やせ我慢なんかじゃない。

相手を傷つけたいのでもない。

少しだけ、自分が納得するのに時間がかかってしまうだけ。
そこは、許してほしい。


相手が、私の気持ちのタイムラグを受け入れてくれるならば、HIV陽性でも、発症したとしても、これからも今までどおりに、付き合っていけると思いました。


そして、私が、感染したときにも、やはり、今まで通りに接して欲しいと願います。

時間がほしい

2007-06-11 21:34:41 | 我思う
時間というものについて考えています。

私、こう見えても(知らないって?)、相手が忙しかったりすると、用件を言えずにもじもじしてるだけの人なんです。

回転寿司でも、ひたすら回ってるやつで選べたら幸せなんです。
でも、どーしても食べたいものが回ってこないときには、一大決心をして、板さんに声をかけるのです。

そのもじもじしていた時間って、無駄なのかなぁ。


人の時間に割り込むのって、得してるのかなぁ。


私は、自分の時間は死守するタイプです。

だからこそ、人に介入されたくないのでは?とか考えちゃうんですよね。


今、あらためて法令をいくつか読んでいるのでそう思うのかもしれませんが、時間は盗んでも、浪費しても、犯罪にならないんですよね。

できれば効率よく、有意義に、時間を使いたいものですね。

性感染症の話

2007-05-21 21:43:24 | 我思う
しばらくAVも見る暇がなかったんですが、ようやくまとめて見ることができました。

相変わらず「男性目線」の作品が多くて、これを、このとおりにしたら、まず間違いなく次はないな・・・と思いましたよ。

最近、中出しモノが流行ってるんですね~?
ますます性感染症に拍車をかけ、妊娠中絶にも拍車がかかる気がします。

たとえ中出しをしても、ピルを正しく飲んでいれば避妊できます。

ところが、当たり前のことですが、性感染症に対してはノーガードです。

いまだに、女性(女の子)のほうから、「コンドームつけてね」とは言い出しにくいらしいし、自分で買って持ってる人もやっぱり少ないと思う。

さらに、性感染症の検査を受けてる人が、とても少ない。

無料でHIV抗体検査を受けられるとテレビでCMやってても、受けに行った人は果たして何人いるだろうか・・・。

もっとがんばれ!ウシ君!(の本体?)

HIVは無料でも、性感染症(STD)は、病院もしくは、検査機関で有料の検査をやってもらうしかないようですね。

そこで、先日、自宅でできるSTD検査キットなるものを色々調べておりました。

ここならいいかも!と、とある研究所に電話をしましたところ、直接、気さくなドクターが電話口に出られました。

検査自体が簡単だし、ドクターに色々質問しても丁寧に教えてくださいましたよ。

検査キットは、なんと!普通の茶封筒に入って郵送されてまいりました。

これなら、ぜんぜん外からは、わからないですよ。

男性も女性も、検査はちゃんとしましょうね。

ちなみに、ここで購入しました。
アイラボ
http://www.ilabo-cyto-std.com/

助けられ上手

2007-04-18 00:38:48 | 我思う
助け上手な人は、助けられ上手な人でもあるらしい。

私が前からこだわってきた「同じ目線」の実際の姿なのでしょう。

ややもすると「ボランティアしてあげる」と言う人に限って、自分が困ったときにそれをひた隠しにして、誰にも頼らず、弱みを見せずにいることって多いのでは?

それじゃあ、本当の意味で、助け上手には、なれないと思う。

今の私は、本当に人に恵まれているので、いつでも「助けて」が言えるのですが、以前一人で頑張ってたときは、言えなかったなぁ・・・。

私だって、そのうち関節がやられるか、失明するか、どうなるかはわからない。

そうなったときにも、おしゃれして、一緒に外出して、美味しいもの一緒に食べたり、大好きな人とイチャイチャしたい。

なんとなく、うまく伝わらないかもしれないけど、私は、何かを変えようとしてがんばっているわけでもなく、戦っているわけでもない。


私は、幸せに生きるために必要な手になることと、自分が手を貸してもらうことを、当たり前だと思っているだけ。

私たちのやってることは、誰でも、どこでも、みんなでやってもらいたいこと。

何でもかんでも人にやってもらおうと思っていたり、自分が全部なんでもやってあげようと思っていたりしたら、しんどいし、長くは続かない。

だからね、お互いに、助けられ上手になりましょうね。


余談ですが、助けてっ言えるようになるまでは、助けてもらうたびに「すみません」と言っていたと思います。
でも、最近ホントに、ほぼ毎日というか、しゃべるごとに「ありがとう」って言ってますね。

それから、何か下さると言われたら・・・
「ありがとう。遠慮なくいただきます!助かります。うれしいなぁ。」
と、言えるようになりました。
あ、単にずうずうしくなっただけ?

以前は結構、もじもじしてるだけだったんですけどね。
自分としては「進歩」だと思ってるんですよ。

好きな人とのセックスについて

2007-04-01 22:50:50 | 我思う
セックスという行為自体が快感を伴うことは自然なことです。

ですが、強制されたセックスや義務的なセックスなどでは、その快感すら「不快」になるときがあります。

反対に、好きな人とのセックスは、挿入が伴わなくても、ただそばにいて、ゴロゴロ一緒に寝転がっているだけでも、「この人が大好き。自分はこの人に愛されている」と実感できるとき、精神的にも「快感」を与えてくれます。

なんとも満たされた気持ちで「幸せ~」になります。

これは、何にもかえがたいものです。

こういうこともあって、やはり、セックスは、誰とでもしていいものではないと実感しています。
大好きな人だから、信頼できる人だから、無防備な状態にもなれるし、体を任せることができるのですよね?
そこを見誤ると、精神的な疲弊や、事件や事故にもつながっていくのだと思います。

それを業務として風俗店で提供されるサービスは、その瞬間は相手を心底信頼していようがいまいが、なんかあればお金で解決できるとか、助けてもらえるとか思えるからできるんだと思います。

受ける側もする側もちゃんと「擬似恋愛」として、認識してないと、しんどいことになりますよね。

そこらへんをわかった上で、風俗業のサービスでコミュニケーションや実際に相手を思いやる行為(チカラ加減ややってはいけないことなどね)を習得して「リアル恋愛」に進んでいってほしいと思います。

セックスを、単純な「排泄行為」としては欲しくないし、相手の気持ちを無視した「性欲解消の押し付け」もして欲しくはないので、セックスの前に自慰をするということとか、自分をいつくしむ事と相手を思いやることを踏まえてセックスがあることをちゃんと考えて欲しいと思います。

どうすれば伝わるんだろうか

2007-03-28 21:49:26 | 我思う
私たちの目指すものは、当たり前を当たり前にするということ。


だから、性の問題も引き算なしで活動に組み込んできた。

でも、結局、そこばかり注目されてしまう。

どう言えば、うまく伝わるんだろう。



好きな人が障害者になって・・・

2007-02-20 23:36:45 | 我思う
好きな人(お付き合いしてる人)が障害者になったとします。

障害をもった方が、相手を想って別れ話を切り出しても、相手は別れる気は無いと答えるとしたら。

きっと、美談なんでしょうね。


出会う前から障害がある人とお付き合いすることになると、これまた美談なんでしょうか?
障害をもつ方が女性の場合と男性の場合では、違うのかな・・・と考えていました。

いわば障害をもった方とのお付き合いは、介助者として期待されているという部分が大きいのかもしれませんね。

介助とか介護とかは嫁の仕事と思われがちですので、世帯主として、生活費を稼ぎつつ、もちろんパートナーの介助をすることが求められたら、そりゃ、難しいですよね・・・。

障害をもたない人間が、介助者として必要とされることにも喜びを感じることは間違いないでしょう。

でも、親の気持ちとしては、(介助者としての)自分の後継者ができたことを喜ぶか、そういったことをさせたくない(もしくは誰にも任せることができない)と考えるのではないかと思います。

逆に、障害のない人の側の家族は何でわざわざそんな苦労をする必要があるのか(苦労させられるに決まっている)と考えるのもまた当然なのかもしれません。

念のため申し上げますが、障害をお持ちの方、もしくは家族、障害をお持ちの方とのお付き合い(婚姻関係)をしておられる方の家族のみなさまに、全員こういった考えであるとは考えておりません。

もう亡くなりましたが、私の大好きだったおばあちゃんは、若いうちに倒れて半身麻痺になりました。
杖をついての歩行は可能だったけど、排泄、食事、入浴に介助が必要で、言語障害は無いということだったのに、声が弱々しくなってしまい、発話が明瞭でなくなって、だんだんと会話も減ってしまいました。

たまに会えば介助するのは全く苦にならなかったし、日ごろ会えない分、なんでもかんでも手を貸したいと考えてました。

でも、毎日はできなかったです。

今、あなたに障害が無いとしても、今、お付き合いしてる人に障害が無いとしても、将来どちらかもしくは両者が障害をもつということはあり得るんですよね。

だからこそ、自分ごととして、一緒に考えてみませんか?

犯罪

2007-01-24 17:22:45 | 我思う
身近な人が犯罪を犯したことを知ったとき、皆さんはどういった対応を取るでしょうか?

自分が被害者では無いから、我関せずを貫くでしょうか。


身近な人から突然被害をうけたとき、皆さんはどういった対応を取るでしょうか?

知らずに、もしくは強要されたりしたときに、自分が犯罪に巻き込まれて前科者になることを恐れて犯罪そのものをなかったことにするでしょうか。
自分の意思でやったことだから、自分も悪いから言いたくないのでしょうか。


ここから先は、自分ひとりで動くのではなく、多くの人と連携をもって解決しなければならないことでしょう。


一番の敵は「無知」と「思い込み」だと思います。

12年前の今日

2007-01-17 09:48:54 | 我思う
早朝、なにかしら気配を感じて目が覚めた。

そのとたん、自分が横になっているパイプベッドがガクンと跳ね上がった。

平成7年1月17日(火) 5時46分

6,434名の命が失われ、43,792名の方が負傷したこの地震。
正直な話、私はあまり深刻に考えていなかった。

福井でもかなりの揺れを感じたのだけど、震源地は遠い場所だった。

その後、しばらく余震を警戒しながら横になっていて、起床時間になったのでとりあえず会社に行く準備を始めた。

ニュースをチェックしながら、食事をとって、着替えて、事務所へ行った。

事務所にはテレビがなかったので、午後だいぶたってから「今日の地震で大変なことになったらしい」ことを聞いた。

次々に報道されて明らかになっていく実情。

私にはこれが現実に起きているという感覚がなかった。


困っている人々のことを見聞きして、できることならば現地で何かできることをしたいとも思ったが、交通手段も絶たれ、私ができることはないな、と考えた。

義援金として、いくらかどこかに寄付をしたと思う。

それっきり忘れてしまったようなものだった・・・。


だのに今、生活の中に性を認めるという当たり前の生活を当たり前にするサポート活動をしている私がいる。

当時、もっとできることがあったかもしれない。

今になって、自分の幼かった意識に腹が立つ。

人は、学び、成長していく。

今ならきっと、手を貸して欲しい人がいたら、ジャンルに関係なく手を貸すことができるんじゃないかと思う。

新年最初の日記です。

2007-01-08 23:53:20 | 我思う
少し、バタバタしてました。
そんでもって、鬱々してました。


というわけで、しばらくお休みさせていただいていました。



元気もりもりというわけにもいかないですが、ようやく活動開始です。

今年もまた、動き続けます。
もがきながら、悩みながら。


さて、新年ということで、せっかくですから、新年に思うことを述べさせていただきます。



できないことは、助けてもらう。
それはちっとも恥じゃない。

どんどん行こう。さあ行こう。
自分にできることがある。
想いを形にするために。

行動しなけりゃただの夢。

どんどん行こう。やってみよう。
失敗すれば巻き戻し。
チャンスは自分で作るもの。



さて。今年もがんばりますか。

出生前診断

2006-12-27 18:01:09 | 我思う
出生前診断は、妊娠中絶を勧めるために行うのが目的ではないです。

堕胎は犯罪です。(この法律が女性にとって与える影響については、また別の機会に話しましょう)


ではなぜ、16~49歳の日本人の女性の6人に1人の割合で中絶を経験しているのかというと、母体保護法(旧 優生保護法)があるからなのです。
ちなみに、ほとんどの場合、経済的理由ということになるらしいです。


出生前診断は、今まで自分ごととして考えてこなかった人にもいろんな意味で前もって知っておいて欲しいから、事前に知らせましょうということだと思います。
その上で「中絶する」となると、倫理面の問題・・・となるわけですが。


私は、どちらがいいとか悪いとかは、言いません。

ただ、中絶したら会えなかった人たちがいるということ。

生きてたからこそ、出会える幸せがあるということ。



産まれてきたから悲しいことがたくさんあると言う人もいます。

でもそれは、障害があるとかないとか本当のところでは関係ないんだろうけど、どうしても、考えてしまうことではあると思います。


もしも大人の判断で命を奪っていたとしたら、この子にも会えなかった。

この子に注がれた愛も存在しなかった。


自分ごととして考えてみませんか。


明治安田生命の「たったひとつのたからもの」
http://www.youtube.com/watch?v=5a3ahoLXTuM




<参考>

刑法

第二十九章 堕胎の罪

(堕胎)
第二百十二条  妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、一年以下の懲役に処する。

(同意堕胎及び同致死傷)
第二百十三条  女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させた者は、二年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させた者は、三月以上五年以下の懲役に処する。

(業務上堕胎及び同致死傷)
第二百十四条  医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、三月以上五年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、六月以上七年以下の懲役に処する。

(不同意堕胎)
第二百十五条  女子の嘱託を受けないで、又はその承諾を得ないで堕胎させた者は、六月以上七年以下の懲役に処する。
2  前項の罪の未遂は、罰する。

(不同意堕胎致死傷)
第二百十六条  前条の罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。



母体保護法(旧 優生保護法)

第三章 母性保護

(医師の認定による人工妊娠中絶)
第十四条

 都道府県の区域を単位として認定された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの

 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。

排泄の話

2006-12-05 12:00:17 | 我思う
レッグバッグってご存知ですか?

導尿される方でも、まだあまりご存じないかも。
導尿って医師の許可なしではできないものですよね。
女性は特に難しい。

このブログにもリンク張らせていただきました「車椅子日和」を書いておられるtomocofさんのオススメが
【間欠式バルーンカテーテル】 と【レッグバッグ】 です。
http://tomocof.blog32.fc2.com/blog-entry-44.html


間欠式バルーンカテーテル
http://www.dib-cs.co.jp/goods09.htm

コンビーン レッグバッグ http://www.coloplast.co.jp/ECompany/JPMed/product.nsf/viewProdList/DA01BF696BE43FEE49256737000B5CD6


男性限定ですが、こういうタイプもありました。
http://uric30.com/
頻尿、尿失禁に簡単装着 男性用導尿カテーテル
カテーテルを入れるんじゃなくて、かぶせる感じのようです。
女性にはムリ・・・と。


こういうの使えると、トイレのことばっかり考えてなくてもすむと思うんですよね。
tomocofさんいわく、これがあればガードしたの屋台でも気兼ねなく飲みに行けるとのことで、なるほど~って思いました。
オムツでもなく、我慢するでもなく、自分の意思で排泄する。

いろんな意味で、医療・介護・使用者それぞれに情報の公開と分かち合いとサポートが必要だなぁと思いました。

リアル友との会話の中で・・・。

2006-11-28 16:48:45 | 我思う
リアル友が福井に来るって言うんで、彼女とお子さんと一緒にご飯食べに行きました。

彼女とは、今はマイミクにしてないですけど、仲良しです。

わりと、大雑把なところとか、そのくせ妙なところに気を使うところとか、似てるところが多くて、話はつきません。

彼女が言った言葉の中で、気になるフレーズがあったのでちょっと紹介します。

「結局、知らないまま、知らない同士で仲良くしてるのって、実は、すごく幸せなことなんじゃないかな?」

という言葉。


彼女が言うには、ある子供の活動を主体とした集まりのHPをつくろうという事になって、友人も話し合いに参加したんだそうです。話は盛り上がり、ブログでみんなのコメントを書き込んでもらおう、とか、方向性を決めようとしていたところ・・・

ある人は「子供たちのかわいい写真をいっぱいアップして、みんなに見てもらいたい」と言いました。

でも、ある人は「今は、写真とか悪用されるから、顔がはっきり写るのはちょっと問題あるんじゃない?」と言いました。

周りの人たちも「そうよね、何かあってからじゃ困るし・・・」という感じだったそうなんですが・・・。

「何でそこまで人を信じないのかがわからないです。」とおっしゃる。

極めつけの一言

「私、ほとんどパソコン触らないし、HP作るのやめればいいんじゃないですか。」

とおっしゃる方出現。
何のための集まりなんだかわからなくなった・・・とのこと。

いまだこの話はうやむやなままだそうです。



この話をしてから、さっきの台詞。

「結局、知らないまま、知らない同士で仲良くしてるのって、実は、すごく幸せなことなんじゃないかな?」

つまり、HPの怖さを知らないまま、HPがどういうものかも知らないままでいるってことは、トラブルもストレスも無く幸せなんじゃないか?って。



その話を聞いて、私としては、複雑な心境でした。

確かに、誰かわかんない人も見に来るかもしれないし、サイトを荒らされちゃうかもしれない。
もしかしたら子供の誘拐の材料に使われちゃうかもしれない。

でも、いろいろなことに気を配って、その都度対応していれば、とてもよいツールになると思うんですよね。
お母さん同士の交流にもなるだろうし、遠くにお住まいの方とも仲良くなれるかもしれない。

私にとって、ネットは今や、あって当たり前、無いと困るもの。

しゃべることが難しい人とも、字が書けない人とも、ちゃんと話ができるのですから。


やはり、私は、リスクも確かに増えるけど・・・

「知らないまま、知らない同士で仲良くしてるだけでは、もったいない」

と思いました。