新古今和歌集の部屋

鴨長明方丈記之抄 養和の飢饉5 仁和寺に隆暁といふ人

なども有けり仁和寺に隆曉法印

といふ人、かくしつゝ数しらず。しぬることを

かなしみて聖をあまたかたらひつゝ、其死者

の見ゆるごとに、阿字を書て縁をむす

ばしむるわざをなむせられける。其数を

しらんとて四五両月がほど、かぞへたりけ

れは京の中一条より南九条より北

京極より西朱雀より東、道の邊に

ある頭すべて四万二千三百餘なん有

ける。いはんや其前後に死ぬるものも

おほく、河原白川西の京、もろ/\の

 
 
なども有けり。仁和寺に隆曉法印と
いふ人、かくしつつ知らず。死ぬる
事を悲しみて、聖をあまたかたらひつ
、其死首の見ゆるごとに、阿字を書
て縁をむすばしむるわざをなむせられ
ける。其数を知らんとて、四五両月が
、数へたりけれは、京の中、一条
南、九条より北、京極より西、朱雀
より東、道の辺にある頭すべて四万二
千三百余(よ)なん有ける。いはんや其前後
に死ぬるものも多く、河原白川西の京、
もろもろの
 

(参考)前田家本
などもありけり。仁和寺に隆曉法印と
云ひける人、斯くしつゝ、数も知らず死ぬ
事を悲しみて、、数多語らひ
そのの見ゆる毎に額に阿字を書き
て、縁を結ばしむる業をなむせられ
ける。人数を知らむとて、四五両月を
数へたりければ、京のうち、一条よ
り南、九条より北、京極より西、朱雀
より東の路の辺なる頭、全て四万二
千三百余りなむありけり況や、その前後
に死ぬる者多く、又、河原、白河、西の京、
もろもろの
 

(参考)大福光寺本
ナトモアリケリ仁和寺ニ隆暁法印ト
イフ人カクシツゝ数モ不知死ル
事ヲカナシミテ
ソノカウヘノミユルコトニヒタイニ阿字ヲカキ
テ縁ヲ結ハシムルワサヲナンセラレ
ケル人カスヲシラムトテ四五両月ヲ
カソヘタリケレハ京ノウチ一条
リハ南九条ヨリハ北京極ヨリハニシ朱雀
ヨリハ東ノ路ノホトリナルカシラスヘテ四万二
千三百アマリナンアリケルイハムヤソノ前後
ニシヌルオホク又河原白河西ノ京
モロモロノ

 
 剪
煙のともしきを見て かの
 のぼりてみれば煙たつの
 御製の事なるべし。
養和 安徳天皇年号也。
京の習何はにつけてもみな
りとは田舎をたのむ 米
 穀材木薪等の類も皆
 田舎よりにてをたのむ也。
さのみやはみさほもつくりあ
へず 節義之事也。曲礼
 云君子雖貧不粥祭
 器雖寒不衣祭服
聲耳にみてり 論語子
 曰師摯之始關雎之
 乱洋洋乎盈耳哉
 
 
※のぼりてみれば煙たつの御製の事
新古今和歌集巻第七 賀歌
 貢物許されて国富めるを御覧じて
          仁徳天皇御歌
高き屋にのぼりて見れば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり
 
※曲礼 【きょくらい】「礼記」の巻頭の編名。
 
 
 
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