新古今和歌集の部屋

タブーの行方

こんな話が有る。この話は、遠い昔話では無い。事実は全て検証出来る。

或年の1月、その年の7月に開催される千年も続く勇壮な神事の日程を、観光客を呼び込む為に、土日を含む樣に変更した。

そして、その年にその行事は行われ無かった。
それどころか、住民も全て避難して無人となった。



相馬野馬追は、平将門の軍事訓練を起源として、平将門の霊を慰撫する為に、行われて来た神事である。
平成23年の1月、野馬追の日程を観光客を呼び込む為に、変更する事に決定した。

平将門は、天慶三年(940年)二月十四日、平貞盛・藤原秀郷軍と、北山(坂東市 旧岩井付近)で合戦に及び、敵の流れ矢に当たって、討ち取られた。


平成23年3月11日、東日本一帯を、貞観以来の巨大津波が襲い、女川原発、福島第一、第二原発の冷却システムを破壊していった。女川と福島第二原発は何とか持ちこたえたが、福島第一原発は、高温になった燃料棒容器と水が反応して、水素が発生、3月14日水素爆発した。
問題となったのは、15日。それまでの西風が朝から北風になり、放射性プルームが関東一円を巡り、夕方になって、東南の風となり、降雪に付着して、フォールアウトして、有名な地図となった。相馬、中通り福島市、宮城南部に高放射能地帯を生み、避難指示地区となって、相馬地区から人はいなくなった。

将門は、旧暦の二月十四日(グレゴリオ暦3月中旬)に討ち取られ、京都に首をさらされた。今の京都神田明神である。そして、その首は、突然飛び出し、武蔵国豊島郡に落ちた。
これが有名な東京都千代田区大手町に有る将門の首塚である。

大手町に勤めていた時に、三井生命に用事が有り、行ってみるとその異様さに気が付いた。首塚に誰も尻を向けない配置になっていた。そこで用も無いのに、当時の長銀に入ると、これも反対側の首塚には尻を向けていない。タブーだから。
この話を大手町に詳しい兄に話すと、御茶ノ水駅は、神田明神と首塚を結んだ線には遮らない樣に建物は建てていないとの事。
ジョギングランナーには有名な、竹橋の和気清麻呂公像。皇居を向かず、首塚を向いている。

成田山は、平将門を調伏する為に建てられた。ここに寄進するのは、反将門となるとの事。氏によっては、参拝する事を憚る。

これだけ、平将門のタブーには、気を遣っている。

相馬野馬追は、今年も日程変更のまま開催された。

自分達がタブーを犯し、結果どうなったかの意識は無い。

貴方は、この話を信じますか?

※今日、目の前を、濃厚接触者が歩いていた。
この記事に不快となる者もいるだろう?でも、私も神罰が怖い。大袈裟だろうか?
厳しい暑さでサムライも大変…?伝統の「相馬野馬追」最終日 福島(テレビユー福島) - Yahoo!ニュース

厳しい暑さでサムライも大変…?伝統の「相馬野馬追」最終日 福島(テレビユー福島) - Yahoo!ニュース

福島の夏を彩る伝統の祭り「相馬野馬追」。厳しい暑さの中、3日にわたって繰り広げられた祭りは31日、最終日を迎えました。

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