新古今和歌集の部屋

建礼門院右京大夫集 平家都落

寿永【1182~4年】元暦【1184~5年】などの頃の世の中の騒動は、夢だとも幻とも、とても悲しい事だとも何とも、すべてすべて言葉に言い表すこともできませんでしたから、周りの様々な事がどうであったとか判別もできず、いっその事思い出すまいと今でも思っております。
平家の存じ上げております方々の都を離れるとのお噂をお聞きした秋の頃【寿永2年7月】の事は、とかく言い表そうとしても、心も言葉も尽くせません。
本当に都落ちの際には、私めも資盛樣も、あらかじめそれがいつと誰も知っておりませんでしたので、ただ言いようのない悲しい夢だと、平家に身近な方も縁の無い方も、見聞きする人は、皆迷わずにはいられなかったのでございます。
世間一般が落ち着かず、平家の将来が頼りなく、不安との噂が流れた頃などは、資盛様は蔵人頭をなさって、特に心の余裕がなさそうであった上、周囲の人も「こんな状況で二人が逢っていることは良くない事だ」と言う事もあって、さらにまたいっそう人目を忍んでお逢いして、自然と何かと遠慮がちに言葉を交わしました時も、また普段の口癖にも資盛樣は、
「この樣な世間の騒乱になったのだから、自分も戦死する中に入ることは疑いないことだ。そうなったら、貴女は少しくらい不憫に思ってくださいますでしょうか。例え何とも思わなくても、この樣に親しくお付き合いし、何年にもなった情けの事をお考えになり、後生を願って必ず弔うよう取り計らって下さい。また、もし命がもうしばらくあるとしても、一切今は昔のままの自分とは思うまいと、心に固く決めているのですよ。その訳は、物事に心を動かされ、名残惜しいとか、あの人の事が気になるなど考え始めたら、思うだけでもきりがなくなってしまうでしょうから。心の弱さもどの樣なことであろうかと自分ながら分からないので、何も考えない樣に思いを捨てて、都の人々に『その後如何でしょうか?』などと書いて手紙を出したりする事などは、どこの海岸でもするまいと決心しているので、『私の事をおろそかに思って便りもくれない』とか思わないで下さいね。私は万事、たった今から死んだものと同樣になったと心を決めているはずなのですが、やはり、ともすれば元の気持ちになってしまって、とても悔しいです。」
と言っていたことの、本当にそのとおりだとお聞きしましたが、何と言えば良いのでしょうか。ただ涙の他、言葉も無かったもので、ございますが、ついに秋の初めの頃、平家の皆様が都落ちした事を、夢の中で、夢を見ている樣な心地がしました事は、何に例えたら良いのでしょうか。
さすがに、情けを知る者は誰も、この悲運を話し、思わない人はいなかったけれど、一方では身近な人々でもわたくしの悲しみを解ってくれる人は誰もいないと思っておりましたので、人にも言わず、つくづくと独りで思い続けて、我慢しきれないと、仏様に向かって、一日中泣いてばかりでございました。けれども、実際頂いた命は定められた寿命があるという事ですから勝手には死ぬこともできず、出家することでさえも自分の思うままにはならなくて、一人で家を飛び出して寺に入る事もできないままに、ついそのままでいる事が、厭ましく思って、

また他に前例の無く、同じ樣な事も知らない生き別れという辛い経験をしたのに、まだこうしてそのままに生きている自分がうとましい…
【夢のうちの夢:後撰集 哀傷 大輔 悲しさの慰むべくもあらざりつ夢のうちにも夢とみゆれば】

壽永元暦などのころの世のさわぎは、夢ともまぼろしとも、あはれともなにとも、すべて/\いふべききはにもなかりしかば、よろづいかなりしとだに思ひわかれず、なか/\思ひも出でじとのみぞ今までもおぼゆる。見し人/"\の都別ると聞きし秋ざまのこと、とかくいひても思ひても、心も言葉も及ばれず。まことの際は、我も人も、かねていつともしる人なかりしかば、ただいはむ方なき夢とのみぞ、近くも遠くも、見聞く人みなまよはれし。
おほかたの世騒がしく、心細きやうに聞こえしころなどは、蔵人頭にて、ことに心のひまなげなりしうへ、あたりなりし人も、
「あいなきことなり。」など言ふこともありて、さらにまた、ありしよりけに忍びなどして、おのづからとかくためらひてぞ、もの言ひなどせし折々も、ただおほかたの言ぐさも、
「かかる世の騒ぎになりぬれば、はかなき数にならんことは、疑ひなきことなり。さらば、さすがにつゆばかりのあはれはかけてんや。たとひ何とも思はずとも、かやうに聞こえ慣れても、年月といふばかりになりぬる情けに、道の光も必ず思ひやれ。また、もし命たとひ今しばしなどありとも、すべて今は、心を、昔の身とは思はじと、思ひしたためてなんある。そのゆゑは、ものをあはれとも、何の名残、その人のことなど思ひ立ちなば、思ふ限りも及ぶまじ。心弱さもいかなるべしとも、身ながらおぼえねば、何事も思ひ捨てて、人のもとへ、
さてもなど言ひて文やることなども、いづくの浦よりもせじと思ひとりたるを、なほざりにて聞こえぬなど、なおぼしそ。よろづ、ただ今より、身を変へたる身と思ひなりぬるを、なほともすれば、もとの心になりぬべきなん、いとくちをしき。」
と言ひしことの、げにさることと聞きしも、何とか言はれん。
涙のほかは、言の葉もなかりしを、つひに、秋の初めつ方の、夢のうちの夢を聞きし心地、何にかはたとへん。

さすが心ある限り、このあはれを言ひ思はぬ人はなけれど、かつ見る人々も、わが心の友はたれかはあらんとおぼえしかば、人にもものも言はれず。つくづくと思ひ続けて、胸にも余れば、仏に向かひ奉りて、泣き暮らすほかのことなし。されど、げに、命は限りあるのみにあらず、さま変ふることだにも心任せで、一人走り出でなんどは、えせぬままに、さてあらるるが心憂くて、
またためしたぐひも知らぬ憂きことを見てもさてある身ぞうとましき


参考図書
現代語訳日本の古典 11 和泉式部・西行・定家他 辻邦生/訳 河出書房新社 
新編日本古典文学全集 47 建礼門院右京大夫集・とはずがたり 久保田淳/校注・訳 小学館 
新潮日本古典集成 建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江/校注 新潮社 
和歌文学大系 23 式子内親王集/建礼門院右京大夫集/俊成卿女集/艶詞 久保田淳/監修 明治書院
日本詩人選 13 建礼門院右京大夫 中村真一郎著 筑摩書房
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