しあざりにも、忍びやかにけしやくこと
細声
をさせ給ふ。打はへてあつかふほどに、四
によむ也。卯月さ月也
五月も過ぬ。いとわびしうかひなきこと
いもうとの尼の僧都
を思わびて、僧都の御もとに、なをおり給
へいひやる文詞也。
て、この人たすけ給へ。さすがにけふまで
もあるは、しぬまじかりける人を、つきしみ
りやうじたるものゝさらぬにこそあめ
れ。あがほとけ京にいで給はゞこそはあ
くるしからじとの心也
らめ。こゝまではあへなんなど、いみじき
抄僧都の詞也
ことをかきつゞけて、奉れ給へば、いとあ
やしきことかな。かくまでもありける人
の命を、やがてうちすてゝましかば、さるべ
頭注
けしやくこと 細護摩
也。邪気には芥子を護摩
の煙に燒也。師護
摩には必五穀芥子など
燒也。邪気にかぎら
ず。
あがほとけ 細僧都をいへ
り。こゝまでとは此坂本
迄はと也。孟尼公の僧都
を我仏と也。山籠りの
ちかひありとも、京へ出
給はんこそあらめ。坂
本までは何かくるしか
るべきと也。花
かくまでもありける人のい
のちやがてうちすてゝましかば
頭注
句をきるべし。おしく
あへなきわざなるべし。
きちぎり有てこそは我しもみつけゝめ。
こゝろみにたすけはてんかし。それにとま
らずは、ごうつきにけりと思はんとて
尼君のさま也
おり給けり。よろこびおがみて、月ごろの有
さまをかたる。かく久しうわづらふ人はむ
つかしきことをのづからあるべきをいさゝ
かおとろへず、いときよげにねぢけたる
所なくのみ物し給。さてかぎりとみえなが
らも、かくていきたるわざなりけりなど、
細念比に也 孟僧都の詞也
おほな/\、なく/\の給へば、みつけしよりめ
づらかなる人の御ありさまかな。いでとてさ
しのぞきてみ給て、げにいときやうざく
頭注
ごうつきにけりと思はん
河命葉盡經文。孟僧都
の詞ごうつきたらば
是非に及ばず、只まづ
いのらんと也。
むつかしき事をのづから
抄ものむさき不浄なる
氣のなきと也。
いときやうざくなりける人の
御ようないかな 師𨗈迹はほ
頭注
めたる詞也と云々。よう
めいは御よそほひ也と
云々。細容面歟。戒行の
功徳なるべしとなり。
孟容面と書也。戒行の深
き人は美人に生る也。明
恵上人の美人は見度と
の給ふと也。
容面也
なりける人の御ようめいかな。くどくのむ
くひにこそ、かゝるかたちにもおひいで給けめ。
いかなるたがひめにて、かくそこなはれ給け
細思ひより給事のあるかと也。三誰と聞る事もなきかと也
ん。もしさにやと聞あはせらるゝこともなし
細尼の詞也
やとゝひ給。さらにきこゆることもなし。なに
かははつせの観音の給へるひとなりとの給
僧都の詞也
へば、なにかそれえんにしたがひてこそ道びき
給らめ。たねなきことはいかでかなどの給ひ
三公講にも
あやしがり給て、すほうはじめたり。おほや
應せず隠遁したる人也
けのめしにだにしたがはずふかくこもり
たる山を出給てすゞろにかゝるひとのため
になんをこなひさわぎ給と、ものゝ聞えあ
頭注
くどくのむくひにこそ 河端正ノ
者ハ忍辱ノ中ヨリ来ル大集經。花面目
悉ク端厳為人所喜見。
法華随喜
功徳品
なにかそれ 細仏も種な
きことはあたへ給まじ
きと也。花法華經云、佛
種從縁起云々。たとへば
草木等の種の土地雨露
の縁をかりて生長せるが
ごとし。種あれども縁なけ
れば現行せず。菩薩の
慈悲ましますといへども
その人の宿縁なければ
是をみちびき給ふ縁と
なり侍るべからず。はつせの
観音も小野の尼公に
やしなはるべき因あるに
よりて、浮舟の君をみち
びき給ふ。增上縁と成り
給ふといへる也。中畧
し阿闍梨にも、忍びやかに芥子焼くことをさせ給ふ。
打はへて扱ふ程に、四五月も過ぬ。いと侘しう甲斐無き事を思ひ侘
びて、僧都の御許に、
猶下り給ひて、この人助け給へ。流石に今日までもあるは、死
ぬまじかりける人を、憑きしみ領じたる物の、去らぬにこそあ
ンめれ。あが仏、京に出で給はばこそはあらめ、ここまではあ
へなん。
など、いみじき事を書き続けて、奉れ給へば、
「いとあやしき事かな。かくまでも有りける人の命を、やがて打捨
ててましかば、然るべき契り有てこそは、我しも見付けめ。試みに
助け果てんかし。それに止まらずは、業尽きにけりと思はん」とて
下り給ひけり。
下り給ひけり。
悦び拝みて、月比の有樣を語る。かく久しう煩ふ人はむつかしき事
自づから有るべきを聊か衰へず、いと清げにねぢけたる所無くのみ
物し給ふ。さて限りと見えながらも、かくて生きたるわざなりけり
など、おほなおほな、泣く泣く宣へば、
「見つけしより珍かなる人の御有樣かな。いで」とて、さし覗きて
見給ひて、
「げに、いと驚策(きやうざく)なりける人の御容面(ようめい)
かな。功徳くの報ひにこそ、かかる形姿(かたち)にも、生ひ出で
給ひけめ。如何なる違ひ目にて、かく損なはれ給ひけん。もし然
(さ)にやと聞きあはせらるる事も無しや」と問ひ給ふ。
「更に聞こゆる事も無し。何かは、長谷の観音の賜へる人なり」と
宣へば、
「何かそれ縁に従ひてこそ導き給ふらめ。種無き事は如何でか」な
ど宣ひ、あやしがり給ふて、修法始めたり。公の召しにだに随はず
深く籠りたる山を出で給ひて、すずろにかかる人の為に、なん行ひ
騒ぎ給ふと、物の聞えあ
※大集経 (だいじっきょう、だいしゅうきょう、梵: Mahāsaṃnipāta-sūtra, マハーサンニパータ・スートラ)は、詳しくは『大方等大集経』(だいほうどうだいじっきょう)とは、中期大乗仏教経典の1つ。チベット語では「'dus pa chen po」と呼ばれている。釈迦が、十方の仏菩薩を集めて大乗の法を説いたもので、空思想に加えて密教的要素が濃厚である。
※法華随喜功徳品
妙法蓮華経随喜功徳品第十八
面目悉端厳 為人所憙見(面目悉く端厳にして、人に見んと憙わるることを為ん)
※法華經云、佛種從縁起
妙法蓮華経方便品第二 偈
佛種從縁起 是故説一乘
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄 九条禅閣植通
※河 河海抄 四辻左大臣善成
※細 細流抄 西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄 牡丹花肖柏
※和 和秘抄 一条禅閣兼良
※明 明星抄 西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺