つれづれ日記(仮)

今年から入所施設で働いています。

偏食

2006-09-14 23:54:52 | 私の支援の考え方
私は好き嫌いが多いほうだと思います。

嫌いなものが食事に出てきたら「ぎくっ」として
どうやったら目立たずに残せるか考えます。


私は基本的には、嫌いなものは無理して食べなくてよい
という考えです。

嫌いなものがないに越したことはありませんが。



自閉症の人たちには偏食の人が多いといわれています。

特に幼児期には、すべての食品のなかで数品しか食べられるものがないなど
生活に差しさわりがあるほどの偏食が多く見られます。

自閉症の人も大人になるにつれ、食べられるものが多くなるそうです。
私達と一緒です。



母は、小学校時代に給食を残すことが許されなくて全部食べたらお昼休み、
残していたらみんなが校庭に遊びに行っても教室に残って
がんばって食べきらなければならないという担任のクラスになったことがあるそうです。


食べるということが嫌いになるし、
嫌いな食べ物が嫌な思い出と一緒に記憶されると思います。



障害がある人と食事をすることがあるヘルパーや施設職員の中には、
出されたものをすべて食べさせようとする人がいます。

私が辞めた施設では施設全体ですべて食べさせることに取り組んでいました。

その指導を張り切ってやっている職員は、嫌いなものを残していました。


私は自分も残すことがあるし、
すべて食べなくても栄養的に問題がなければいいと思っているので全部食べることを強要しません。

それよりも
食べ方がわからない
食べたことがないもので不安
ということではないかをよく観察して
食べ方だったり、食べ物であることを伝えます。

知的障害は情報処理の障害だとも言われています。

生活のあらゆることを分かりやすく伝えていくことが「支援」であって、
ただ、
「食べなさい。」
「ぜんぶ食べられてえらいね。」
と言うことが支援ではないと思っています。


すべて食べてもらうことよりも、楽しいおしゃべりや、よりおいしい食べ方を提示することのほうが大切です。


自閉症のお子さん(成人男性)を持つあるお母さんが言っていた言葉です。





「障害がある人はなんで好き嫌いあっちゃいけないのかしら。」



今日の内容は、当たり前すぎるほど当たり前のことを言っています。
しかしながら、「福祉の現場」はときに世間の常識に外れたことを行っていることがあるのです。


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手をつなぐということ

2006-06-09 20:56:17 | 私の支援の考え方
最近、手をつなぐという行為について考えています。


街を歩いていると、いろんな人たちが手をつないでいるのを見かけます。

①子どもとお母さん・お父さん・じいちゃん・ばあちゃん

②きょうだい同士

③小さい子ども同士

④若いカップル

⑤中年のカップル

⑥高齢のカップル

たまに
⑦女性同士
も見かけます。

もっと珍しいけど
⑧男性同士
も見かけます。


なぜ人は手をつなぐのか。
①~②は、はぐれないようにとか安全を考えてということが理由になると思います。それから愛おしく思うから手を握っていたいということもあるでしょう。

③は仲が良い、大好きな友達だ、一緒に遊ぶのが楽しくてしょうがないという感情が手を握るという行為につながっているのではないかと思います。

④~⑥は年齢が上がるにつれて減少傾向が見られますが、愛おしく思う感情、一緒にいるのが楽しくてしょうがないという感情からでしょうか。
人によっては自分の所有物、売約済みということを社会にアピールしている場合もあるかもしれません。ちょっと嫌味な言い方ですね


⑦は、韓国では女性同士で手をつなぐことはよくあることみたいですね。
③と似たような理由でしょうか。



さて、⑧です。
⑧の人たちは共通点があります。
一方の男性には知的障害が疑われます。
もう一方の男性は施設職員、ヘルパー、年をとった父親のどれかの雰囲気たっぷりです。
このような光景を見るにつけ、ぼんやりといろいろ考えてしまいます。

私は、その方達の背景は何も知りません。
だから強くいろいろ言う権利はないかもしれません。

でもあえて言わせてください。
やはり⑧の光景は疑問を持ってしまいます。
手をつなぐことは必要なのか。

知的障害が疑われる男性は、超他動でロースト(失踪)の可能性が高いことが考えられます。人ごみであればあるほど、その危険性は高くなります。
だから手をつないでいなければならないということが考えられます。

でも、手をつながなくてもローストを防止することはできるはずだと考えます。
目線を切らないことは基本ですが、やはりそれに限ると思います。
人ごみでは、本人のリュックを支援者がつかませてもらうという応用も必要です。

手をつなぐことはひとつの拘束だと考えます。
手をつながずに自由な気持ちで外出を楽しめるよう支援することが求められます。
厳密に言えば、支援者と外出していること自体が拘束なのですから。

それに、手をつないでいることによって支援者は安心してしまって当事者を把握していないこともあるかもしれません。
これは本当にあってはならないことですが。


確かに、支援者の立場としては常に当事者を意識して歩くのは首が疲れるし、どこかに行ってしまわないように気を張ることは精神的にも大変負担があります。

これが支援者の専門性でしょうか。