私は好き嫌いが多いほうだと思います。
嫌いなものが食事に出てきたら「ぎくっ」として
どうやったら目立たずに残せるか考えます。
私は基本的には、嫌いなものは無理して食べなくてよい
という考えです。
嫌いなものがないに越したことはありませんが。
自閉症の人たちには偏食の人が多いといわれています。
特に幼児期には、すべての食品のなかで数品しか食べられるものがないなど
生活に差しさわりがあるほどの偏食が多く見られます。
自閉症の人も大人になるにつれ、食べられるものが多くなるそうです。
私達と一緒です。
母は、小学校時代に給食を残すことが許されなくて全部食べたらお昼休み、
残していたらみんなが校庭に遊びに行っても教室に残って
がんばって食べきらなければならないという担任のクラスになったことがあるそうです。
食べるということが嫌いになるし、
嫌いな食べ物が嫌な思い出と一緒に記憶されると思います。
障害がある人と食事をすることがあるヘルパーや施設職員の中には、
出されたものをすべて食べさせようとする人がいます。
私が辞めた施設では施設全体ですべて食べさせることに取り組んでいました。
その指導を張り切ってやっている職員は、嫌いなものを残していました。
私は自分も残すことがあるし、
すべて食べなくても栄養的に問題がなければいいと思っているので全部食べることを強要しません。
それよりも
食べ方がわからない
食べたことがないもので不安
ということではないかをよく観察して
食べ方だったり、食べ物であることを伝えます。
知的障害は情報処理の障害だとも言われています。
生活のあらゆることを分かりやすく伝えていくことが「支援」であって、
ただ、
「食べなさい。」
「ぜんぶ食べられてえらいね。」
と言うことが支援ではないと思っています。
すべて食べてもらうことよりも、楽しいおしゃべりや、よりおいしい食べ方を提示することのほうが大切です。
自閉症のお子さん(成人男性)を持つあるお母さんが言っていた言葉です。
「障害がある人はなんで好き嫌いあっちゃいけないのかしら。」
今日の内容は、当たり前すぎるほど当たり前のことを言っています。
しかしながら、「福祉の現場」はときに世間の常識に外れたことを行っていることがあるのです。
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どうやったら目立たずに残せるか考えます。
私は基本的には、嫌いなものは無理して食べなくてよい
という考えです。
嫌いなものがないに越したことはありませんが。
自閉症の人たちには偏食の人が多いといわれています。
特に幼児期には、すべての食品のなかで数品しか食べられるものがないなど
生活に差しさわりがあるほどの偏食が多く見られます。
自閉症の人も大人になるにつれ、食べられるものが多くなるそうです。
私達と一緒です。
母は、小学校時代に給食を残すことが許されなくて全部食べたらお昼休み、
残していたらみんなが校庭に遊びに行っても教室に残って
がんばって食べきらなければならないという担任のクラスになったことがあるそうです。
食べるということが嫌いになるし、
嫌いな食べ物が嫌な思い出と一緒に記憶されると思います。
障害がある人と食事をすることがあるヘルパーや施設職員の中には、
出されたものをすべて食べさせようとする人がいます。
私が辞めた施設では施設全体ですべて食べさせることに取り組んでいました。
その指導を張り切ってやっている職員は、嫌いなものを残していました。
私は自分も残すことがあるし、
すべて食べなくても栄養的に問題がなければいいと思っているので全部食べることを強要しません。
それよりも
食べ方がわからない
食べたことがないもので不安
ということではないかをよく観察して
食べ方だったり、食べ物であることを伝えます。
知的障害は情報処理の障害だとも言われています。
生活のあらゆることを分かりやすく伝えていくことが「支援」であって、
ただ、
「食べなさい。」
「ぜんぶ食べられてえらいね。」
と言うことが支援ではないと思っています。
すべて食べてもらうことよりも、楽しいおしゃべりや、よりおいしい食べ方を提示することのほうが大切です。
自閉症のお子さん(成人男性)を持つあるお母さんが言っていた言葉です。
「障害がある人はなんで好き嫌いあっちゃいけないのかしら。」
今日の内容は、当たり前すぎるほど当たり前のことを言っています。
しかしながら、「福祉の現場」はときに世間の常識に外れたことを行っていることがあるのです。
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