らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

昭和の町☆昔の風景

2009年04月25日 20時31分54秒 | 昭和への旅
親父の子供の頃、家に水道はありましたが

まだ、井戸の家もありました。

井戸水も何度も飲んでいるので、親父にはピロリ菌がいるかも?



  


たばこ屋は、写真みたいで看板娘かばあさんがいましたね。

小学生の時、東海道五十三次が流行り

永谷園のお茶付けのりのおまけだけでは気が済まず

たばこやをまわって、東海道五十三次のマッチを集めた思い出があります。







ゴミ箱・ガソリンスタンド・食堂のサンプル

全部ほんまに懐かしいです。いい時代でした。

昭和の町☆おもちゃ

2009年04月25日 19時59分11秒 | 昭和への旅
親父は子供の頃、おもちゃで遊んだ覚えがないです。

毎日、遊んでばっかりいましたが、外でずっと遊んでました。

おもちゃと言ったら、レーシングカーが流行った時の8の字のサーキットセットぐらい。

親父は近所の兄ちゃんなんかと野球をしたり、競走をしたり、外遊びばっかりでした。

めんこもよくやりました。ビー玉・銀玉鉄砲・ゴムちゅう、駄菓子やに売っている

おもちゃばかりで、それらを見ると懐かしかったです。


昭和の町には、懐かしいおもちゃの館があります。

すごい数のおもちゃ・グリコのおまけ・色々な小物があります。

親父が一番懐かしかったのは、ダッコちゃんかな。





    




昭和の町☆生活風景

2009年04月25日 18時49分01秒 | 昭和への旅
親父、ゆっくり一日ゴロゴロしていました。

この頃、取引先からもあまり電話が無いが

今日に限って、見積もり依頼や来週の工事の打ち合わせなど。

そろそろ、仕事が動き出したかな?

月曜日は朝5時半から宇佐へ工事に行きます。

開店前のショッピングモールのライン引きです。

明日も休みなので、何をしようかなぁ。


昭和の町の生活風景の写真です。

トイレの名前は忘れましたが、手洗いが懐かしかったです。










昭和の町☆電化製品

2009年04月25日 06時54分42秒 | 昭和への旅
おはようございます。

親父、昨日はうれしい事があったので、二日酔いです。

うまい焼酎をグビグビ、いきすぎました。

草なぎくんやないけど、いつ寝たか覚えていません。(いつもの事です。)


大分の朝は、春の嵐です。コンビニへ行きたいけど外出不可能です。


昨日の【昭和の町】は感激でした。

電気屋さんの店頭の電化製品が懐かしかったです。

親父のお父ちゃんは、新し物好きでしたので電化製品は何でもありました。




白黒テレビです。昔は緞帳が付いていましたね。

真空管が切れて、写らんようにになったら、夜でも電気屋さんが来てくれました。

親父の家の最初のカラーテレビは、東芝の「名門」でした。

日立のキドカラーの飛行船が思い出されます。

「ピタリコンの付いた、日立キドカラー」思わず、口ずさみました。




初めて、テープレコーダーが家に来た時、びっくりしたのを思い出します。

たしか、はじめて録音した声は「あーあー、本日は晴天なり」やったと思います。




初めてのビデオは、このソニーのベータでした。

ガシャッと、上に上がって括弧よかったのですが、親父は今もですが、録画はしません。

3つ上の兄(現在、中学の校長先生)が、ビデオカメラも持っていたので、使っていました。

何でも小さいほうが、良かったのにVHSに負けましたね。




カセットテープレコーダーは、小学校3年ぐらいの時に家に来たと思います。

小学館の英語の教材と一緒に、親が買ったのを覚えています。

親父、中学で英語が一番苦手と言うか、勝手に日本人が

何で外国の言葉を勉強せなあかんのやとか、言ってまったく英語はダメでした。

親の言うことを聞いて、カセットで勉強したら良かった。今、思います。




あの時代の電化製品といったら、洗濯機、三種の神器のひとつです。

横にかごを付けて、ハンドルを回すのが親父のお手伝いでした。

おだちんがほしいので、よくやりました。

おだちんをもらうと、すぐに、当てもん屋(当時の駄菓子屋)へ行ったものです。

それと、誰でも一度は、手を入れて回した事があると思います。


子供の頃の電化製品は、日本の高度成長の証でした。

懐かしく、そして一つ一つの電化製品が家に来る日、ワクワクしたのを思い出します。

今の時代と違って、電化製品一つで家族の連帯感・親父の威厳などが感じられた昭和

素晴しい時代でした。親父も後31時間あまりで52歳です。

昭和を31年・平成を21年、何とか生きてきたけど、

あんまり大した人生や無かったです。

夢は当の昔に破れ、夢・生きがいは無く、笑いも無くさびしい人生です。


52歳からは、笑って笑って、人生をおくりたいですね。