Anaheim Cell Church

Cell Church(家の教会)の様子をお伝えしています。

流浪の教会・・・・全部失ったのに、教会は消えなかった・・・・

2011年07月14日 | Celebration
こんにちはAkoです
今晩は福島原発から一番近くにある教会:福島第一聖書バプテスマ教会の佐藤彰牧師をお迎えして集会を行いました。
淡々と語られる佐藤先生のお話に一同釘付け、あっという間の2時間。
夫のデービットなんて、私のへたくそ通訳だったにもかかわらず、今までのどのメッセージよりも感動とチャレンジをもらったと言っています。
これは聖霊様の助けもあるけれど、相当のだと思う、だってくどいけど私の通訳だからね。

誰もこんなことになるなんて思っていなかったのに、ちょっと避難するだけだと思ったのに、もう帰れないふるさととなってしまった。
お金なし、着替えなし、食べ物なし、車があってもガソリンがなし、家がない、寝る場所がない、すべてを失って、自分の力ではどうしようもない考えられない事態に陥ったのです。
一夜にして7万人の方がいなくなり、一夜にして2万軒の家屋がなくなったのです。信じがたいことが自分たちにおきて、教会が全部なくなってしまった。建物は残っているところも、もうそこには危険で立ち入ることが出来ません。

どうしてこんなことが、私達が何をしたのか?と文句を言ってもいいくらいの状況の中、教会員の誰からも文句が出ずに、感謝の言葉だけが返ってきました。3月11日以降ガラリと私達の人生が変わったのです。
何でもあった3/11と何もなくなった3/11。

佐藤先生は教会を失ったと思ったそうです。だって、教会の建物だけではなく、その地域事態がなくなってしまって、もうそこに戻ることは不可能なのですから。教会員たちの再就職探し、学校の転向先、副牧師の働ける新しい教会を探しました。東北地方に住む方々それぞれが転々ばらばらに日本中に散らされ住まなくてはならないのです。

でも神様は教会を守られました。
次々に10人、20人、30人と、教会員の無事の確認と再会によって、60人が共に過ごし、一緒に非難し、移動して行きました。
山形へ新潟へと移住しながら佐藤先生と教会員は毎日礼拝をし、伝道をし、神様を賛美しました。教会はなくならなかったのです。

全部失って、本当に大切なことがわかりました。
全部失って、聖書の世界が私達とぐっと近くなりました。
全部失って、イエス様を信じる人が沢山起こされました。
全部失って、クリスチャン・教会とノンクリスチャンの壁がなくなりました。

ペテロは言いました。
「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかるような火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。Ⅰペテロ4:12,13」


佐藤先生が福島へ戻る途中に娘さんから電話があったそうです。
「私も愛する福島へ帰って人々を励ましたいけれど、今は妊娠中でそれが出来ません。どうぞお父さん、多くの人々の為に福島へ行ってきてくださいね。神様はきっと、今日の為にお父さんを牧師にしたんだと思うよ。」

どうして、こんなことが???と何度も何度も自分に問われたと佐藤先生は言います。
しかし、それがどうしてなのかは、誰にも答えられません。
すべてがわかるときが来るのですが、私達にはまだわからないのです。
でも、一つはっきりしていることは、何もなくなったからこそ、大きな悲しみが大半を占めるのに、神への感謝の心、神から来る希望、そしてキリストにある兄弟姉妹の愛の絆に誰もが励まされ、小さな喜びを涙を流して喜ぶのです。


福島第一聖書バプテスマ教会ウェブサイト
f1church.com
メディアからは聞こえてこない、現場の声、生活の声が聞こえます。
どうぞウェブサイトを御覧下さい。
そして、お祈りください。