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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

「水がめを運んでいる男」(マルコ14:13)

2008-08-01 | マルコによる福音書
 弟子たちは、習慣に従い、過越の準備のことをイエスに尋ねました。「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」(マルコ14:12)
 なにげない質問ですが、重要な点が日本語訳で味わえなくなってしまっています。それは、過越の食事をする主語が、「あなた」であることです。弟子たちは、イエスに向かって、「私たちが」過越の食事をするとは言っておらず、「あなたが」する、と口にしているのです。私は、そこに冷たさを感じます。イエスと弟子たちの心が一つになっていないことを露骨に表しているように感じます。先生が好きなように独りですればいい、という角度からも聞こえてくるような気がします。
 ユダが去りました。しかし、すでに弟子たちの心も、イエスの許を離れていたのではないか、と推測するに足る言明です。
 
 イエスは、エルサレムで、「水がめを運んでいる男」(マルコ14:13)のことを指摘します。神の子ならではの預言として受け取ることもできますが、他方、すでにイエスが話をしていた、と理解することも十分可能です。男は皮袋で水を運ぶのが通例で、女だけが水がめを運んでいた社会ですから、この男はよく目立ったことでしょう。名も残っていない男ですが、どんな事情で水を運んでいたのか、いささか興味深く思います。
 イエスは、食事に相応しい場所を弟子たちに提供することになりました。そこで弟子たちは食事の準備をすることになります。
 日付が変わる夕刻、この食事が始まります。イエス一行は、人目に付かぬ時刻を移動に選んだのかもしれません。一同が席に着きます。中世の絵画にあるように、テーブルと椅子とがあるという姿ではなく、当時は床に寝ころぶような姿勢で食事をしました。また、体を横たえた恰好で食事をするのが一般的だったといいます。が、はっきりしたことは分かりません。ローマの金持ちがしていたことを、ユダヤの貧しい彼らが同じようにしていたとは思えませんから。
 ここでイエスは、裏切り者の告知をします。
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