エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

一見中途半端な終わり方

2008-10-07 | マルコによる福音書
 それにしても、この一見中途半端な終わり方に、古来多くの人が困難を覚えてきました。この箇所は、写本に決定的に欠けているものがあることや、他の福音書ができた後にその要点をまとめたと見られること、また、旧い時代の他の著作の中にこの箇所が全く触れられていないこと、さらに文体的にもそれまでのマルコ伝とは著しい相違があることなどから、元来マルコによる福音書にあったとは到底考えられないとされています。そこで、現在の新約聖書でも、そのことを断った上で、この補遺を掲載しているのが普通です。
 ひとつには、復活したイエスが現れた記事が見られないことにより、補われたのではないかと考えられますし、何よりもここでぷっつり終わるのがいかにも唐突であるというのが、その理由でしょう。この部分は元来あったのに、失われた、とする説もあるようです。また、ここで終わってしかるべきなのだ、とする解釈もあるといいます。そのどちらが優れているのかは、決定できないからこそ、今のような状態になっているのでしょう。付加された部分がまた、ひとつの神の摂理として遺されていることを覚え、私たちもそれを参考に致しましょう。
 ここでも、その付け加えた部分にも、少し触れておく価値があろうかと思い、以下でそれを検討してみることにします。
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