女性はそういう具合でしたが、その母のそばには「愛する弟子」(ヨハネ19:26)がいました。
十字架の上にいるイエスは、もはや息絶え絶えであったはずで、その姿は想像を絶するものであったはずですが、そこから見下ろした眼差しというものを、私たちはどう表現していよいのか分かりません。しかも、それを母が見上げているというのです。なんという図式でしょう。
この状況で、「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て」(ヨハネ19:26)、その母に告げます。「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」(ヨハネ19:26)
母に対して「婦人よ」という言葉を使うのは、カナの婚礼のときと同様です。そういう告げ方が一般的であったという理解もありますし、「御覧なさい」も「見なさい」という語です。女性一般に呼びかけるための語であったので、この際母だからという意味で特別扱いをしていないと理解されることもあります。
イエスはさらにこの愛する弟子に向かって、「見なさい。あなたの母です」(ヨハネ19:27)と告げます。「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」(ヨハネ19:27)と、やや後日談的なものが説明されます。
ここで、この愛する弟子について考えてみます。それは誰か。謎の人物であり、それでもなおこれ見よがしでもあります。それとも、ヨハネのクリスチャン共同体の読者にとっては、それは自明のことだったのでしょうか。ヨハネ自身なのでしょうか。あるいは、もしかして、架空の人物あるいは何か象徴的な存在を示すためのキャラクターなのでしょうか。
そもそも、他の弟子たちは捕まることを恐れて逃げまどっているのに、どうしてこの愛する弟子は、十字架のそばまで行くことができたのでしょうか。
一般的には、若すぎて弟子だと認識されていなかった、と言われています。大祭司の知り合いでもあったということで、身分も相応だったためだとも言われています。イエスの弟子であることが、知られていなかったのかもしれません。
このイエスの、殆ど最後の言葉によって、この愛する弟子を母の子とし、母を弟子の母としました。ここに、ヨハネが知らせたかった何かのメッセージがあるはずです。こうして母は弟子のもとに迎え入れられます。
当時息子を失った母親は社会的立場をなくすという事情がありました。すでにヨセフは世にいなかったことが想定されていますので、イエスを失った後母の生活を守る者として、おそらくは裕福な立場にあったであろう、この愛弟子に任せた、というふうにも考えられます。
また、母が、ヨハネのクリスチャン共同体に招き入れられたことを表す、とも受けとめられます。あるいは、この愛弟子が母の子となることで、いわばイエスの兄弟扱いになるということで、一種の権威を与えられるということになるため、もしそれが福音書記者のヨハネであるとされる場合は、この福音書自体に大いなる権威が備わることになるでしょう。
イエスの母は、使徒言行録の中でも、弟子たちと共に祈っていることが記録されています。「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(使徒1:14)
十字架の上にいるイエスは、もはや息絶え絶えであったはずで、その姿は想像を絶するものであったはずですが、そこから見下ろした眼差しというものを、私たちはどう表現していよいのか分かりません。しかも、それを母が見上げているというのです。なんという図式でしょう。
この状況で、「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て」(ヨハネ19:26)、その母に告げます。「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」(ヨハネ19:26)
母に対して「婦人よ」という言葉を使うのは、カナの婚礼のときと同様です。そういう告げ方が一般的であったという理解もありますし、「御覧なさい」も「見なさい」という語です。女性一般に呼びかけるための語であったので、この際母だからという意味で特別扱いをしていないと理解されることもあります。
イエスはさらにこの愛する弟子に向かって、「見なさい。あなたの母です」(ヨハネ19:27)と告げます。「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」(ヨハネ19:27)と、やや後日談的なものが説明されます。
ここで、この愛する弟子について考えてみます。それは誰か。謎の人物であり、それでもなおこれ見よがしでもあります。それとも、ヨハネのクリスチャン共同体の読者にとっては、それは自明のことだったのでしょうか。ヨハネ自身なのでしょうか。あるいは、もしかして、架空の人物あるいは何か象徴的な存在を示すためのキャラクターなのでしょうか。
そもそも、他の弟子たちは捕まることを恐れて逃げまどっているのに、どうしてこの愛する弟子は、十字架のそばまで行くことができたのでしょうか。
一般的には、若すぎて弟子だと認識されていなかった、と言われています。大祭司の知り合いでもあったということで、身分も相応だったためだとも言われています。イエスの弟子であることが、知られていなかったのかもしれません。
このイエスの、殆ど最後の言葉によって、この愛する弟子を母の子とし、母を弟子の母としました。ここに、ヨハネが知らせたかった何かのメッセージがあるはずです。こうして母は弟子のもとに迎え入れられます。
当時息子を失った母親は社会的立場をなくすという事情がありました。すでにヨセフは世にいなかったことが想定されていますので、イエスを失った後母の生活を守る者として、おそらくは裕福な立場にあったであろう、この愛弟子に任せた、というふうにも考えられます。
また、母が、ヨハネのクリスチャン共同体に招き入れられたことを表す、とも受けとめられます。あるいは、この愛弟子が母の子となることで、いわばイエスの兄弟扱いになるということで、一種の権威を与えられるということになるため、もしそれが福音書記者のヨハネであるとされる場合は、この福音書自体に大いなる権威が備わることになるでしょう。
イエスの母は、使徒言行録の中でも、弟子たちと共に祈っていることが記録されています。「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(使徒1:14)