エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

マタイとマルコのガリラヤの差

2010-12-17 | マタイによる福音書
 弟子たちに知らせるように、と命じられるのも、実はマルコにもある言葉でした。ペトロを重視するマタイとしては、マルコにあったペトロの名をわざわざ削っている点が不思議に思われます。たんに弟子たちに知らせよ、と変更しているのです。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』(マタイ28:7)というのがそのメッセージです。マルコと比べ、復活したことが再び強調されています。かねて言っていたのかどうか疑問であるので、マルコにあった「かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」(マルコ16:7)は表現を変えているのでしょうか。「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(マルコ14:28)とマルコで触れていた点を、マルコは復活の場面で強く表に出して来ているのですが、それは実はマルコの主張の中心にあるものと見なされうるものでした。マルコのイエスは、ガリラヤが舞台なのです。しかし、マタイにとり、ガリラヤのイエスが救い主の中心ではありませんでした。たしかに、マタイも「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(マタイ26:32)と、マルコと同じシーンでこのフレーズを用いています。しかし、マタイはガリラヤから外へ広がっていく宣教を想定しています。マルコのように、ガリラヤにおいてこそイエスに会えるのだ、というメッセージ性は全くありません。ですから、ガリラヤに「先に行く」という言葉も、マルコが、弟子たちの歩みの前をつねに先立ち導くという意味をこめているのに対して、マタイはたんに、今先に着いているよ、という程度の意味しかこめられていないようになっているように感じます。
 マタイの天使はこれに付け加えて「確かに、あなたがたに伝えました」(マタイ28:7)と締めくくっています。なかなか律儀な天使です。「見よ、わたしはあなたがたに言った」という文です。
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