そうして女性たちの説明は弟子たちに伝わり、弟子たちは言われたとおりに、ガリラヤに出向きました。いえ、ある意味で、帰りました。「十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った」(マタイ28:16)とあります。どこで指示をしたのか、それは福音書には説明されていません。自然な流れで、実は女性たちにも示されていたのだ、と考えることもできますが、これほどまでに大切な情報を削除する理由もあまり考えられません。たしかにガリラヤに多大な関心を寄せるマルコと異なるマタイではありますが、どの山であるのか、教えてくれてもよさそうなものです。もはやイエスの直接の弟子たちから情報を得ることができなかったのでしょうか。それとも、マタイにとり、「山」というのが、神が何かを語るときに相応しい「座」として用いられていることからすると、これはあの山上の説教のように、実際の山であるかどうかは別として、たとえば小高い丘であるとしてもよいという背景で、ただ神が威厳を以て人間に大切なことを下すために用いている表現であるのかもしれません。