エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
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マグダラのマリア

2008-10-08 | マルコによる福音書
 ここから、主語がイエスになっています。イエスの側からの記述であるという視点に変わります。
 そしてここに繰り返されるのが、「信じなかった」の言葉。ここからも、それまでの文体からの変化と、統一感のなさとが、古来ここから先の箇所の信用性に疑問がなされていました。内容的にも、そうです。妥当な解釈であろうと理解されます。
 
 あれほど女性の名前を幾人も幾度も連ねていたのに、ここから先で登場するのは、女性たちの中でもマグダラのマリアのみとなりました。
 マグダラのマリアは、ともかく初代教会において、重要な人物であったことは確実です。「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた」(マルコ16:9)という記述もあり、イエスを最後まで見届け、そしてイエスの復活に最初に出くわしました。
 しかし、ペトロが最初に復活の主に出会った、というようにだんだん伝えられるようになります。女性には証人としての資格がなかったことと関係しているのでしょうか。だとすれば、それはもはやイエスの教えとは決定的にずれがある、と見るべきではないでしょうか。イエスが命を賭けて教えたことが、こんなにも早く崩れていくのは、見るに忍びない思いすらします。
 この件について、マリアがグノーシス派に用いられるようになっていくことに原因がある、とする研究もあります。だとすれば、女性だから云々というよりも、似て非なる思想を弾くための手段だということで、いくらかは理解しやすくなりますけれども、それにしても、そのようにして福音書が改変されていくものとすれば、福音書そのものの信憑性にも影響しかねません。どちらにしても、この箇所はやはりカノンとしての聖典からは削られてしかるべきだったのでしょう。
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