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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

これは私たちの今である

2025-05-01 | メッセージ
ルカ10:13-16 
 
コラジン、ベトサイダ、そこには災いがあるに違いないのです。ティルスやシドンも、相当に酷い町だったようですが、それにも増して災いとなるのだ、と指摘しています。カファルナウムもそこに加えられて、イエスが当時見ている町々への厳しい裁きが言い渡される形になっています。これらの町を、歴史学の対象として研究している方もいるでしょう。
 
しかし、ただ研究して歴史が分かればそれでいいというものではないとも思います。私たちがそれを他人事として見て、イエスの言葉を遠ざけてしまうことにならないか、懸念するのです。ティルスやシドンも、旧約の預言の中できつく扱われている北の外れの町ですが、それと同じように、ここに挙げられた町も私からは遠いのです。
 
だが、イエスはこうした地を、ユダヤ人にとり他人事とは思えないものとして名を並べました。私たちならば、日本の大都市の名が裁きの対象として挙げられたと見るがよいのです。これは私たち自身のことなのです。切迫感を以て、イエスの言葉を聞きたくないならば、その言葉は我が身へ及ぶものとして突き刺さってくることでしょう。
 
「粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めた」でしょうか。ルカのイエスは、これが必要であることを度々告げます。自惚れて自分は天に上げられるなどと考えているならば、「陰府にまで落とされる」のです。イエスはこのメッセージを、72人向けて語っています。2人ずつ、36組の弟子たちを、イスラエルの各地へ遣わすのです。
 
「神の国はあなたがたに近づいた」(9)と伝えても、それを受け容れないならば、裁きはソドムとゴモラ以上のものとなるでしょう。この弟子たちの警告に耳を傾けるということは、イエスに聴く者です。拒むということは、イエスを拒み、神を拒んでいることになります。それだけの権威ある言葉として、ルカ伝はここにあるのだと示しているのです。




災いあれ、コラジンよ。
災いあれ、ベトサイダよ。
お前たちのところでなされた奇跡が、
ティルスやシドンで行われていれば、
これらの町はとうの昔に粗布をまとい、
灰の中に座って悔い改めたことだろう。(ルカ10:13)

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