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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

互いに愛し合うこと

2025-05-05 | メッセージ
ヨハネ一3:11-24 
 
「互いに愛し合うこと、これが神の戒めです」というところへ向けて、水が流れてゆきます。筆者の思いはそこへひたすら注がれ、言葉が綴られてゆきます。罪を犯す者はきょうだいを愛さない、というところから「互いに愛し合うこと、これがあなたがたが初めから聞いている教え」であることを伝えます。これは教会にちゃんとあるでしょうか。
 
「私たちは、自分が死から命へと移ったことを知ってい」るのだ。それが教会だ。そう励ましています。これと反対にあるのが「人殺し」です。そこに「永遠の命」はありません。互いのこの愛は、「命を捨ててくださ」った御子に基づきます。「それによって、私たちは愛を知」りました。だから「貧しく困っている」きょうだいたちを助けるのです。
 
「きょうだいのために命を捨てるべき」などと聞くと、大変なことのように思えますが、そんなに死なねばならないのか。でも、自分を少し犠牲にして施しをすることを、ここで指しているような気もします。それでもなお「言葉や口先だけではなく、行いと真実をもって愛」することだと言ってよいように思われるのです。
 
何をするにしても、私たちは自分のしていることで十分だとは思えないでしょう。「心に責められること」はきっとあります。もしなかったら、「神の前で確信を持つことができ」るでしょう。しかしそうでなくても、「神の前に心を安らかにされる」のです。そのためには「神の戒めを守り、御心に適うことを行」う必要があります。
 
このとき「神の御子イエス・キリストの名を信じ、この方が私たちに命じられたように、互いに愛し合う」ということになるのです。それは「神の内にとどま」ることであり、それはまた、「神もその人の内にとどまってくだ」さっているということの証拠になります。そして、この確かなことは「神が私たちに与えてくださった霊によって分か」ります。
 
ヨハネの手紙の言葉は、こうしてただつなぐだけでも、十分そこから愛と力が流れ入ってくるような気がします。このような教会でありたいものです。「愛することのない者は、死の内にとどまってい」ます。それは「人殺し」でした。「きょうだいを憎む者」でした。私たちの教会には、常に「互いに愛し合うこと」という声を響かせていたいと思います。




神の御子イエス・キリストの名を信じ、
この方が私たちに命じられたように、
互いに愛し合うこと、これが神の戒めです。(ヨハネ一3:23)

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