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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

教会には問題があって当然

2025-05-15 | メッセージ
テサロニケ一5:14-22 
 
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」ここは、たいそう人口に膾炙しています。多くのキリスト者を支え、勇気を与えてもきました。信じる者の心にきっと納められており、ことある毎に思い起こされました。上を向いて立ち上がる力を与えてきました。ありがたいことです。
 
しかし、これに続いて「これこそ」とあることを顧みたいものだと思います。「これこそ、キリスト・イエスにおいて/神があなたがたに望んでおられることです」というのです。一方、このポイントは、一つの脈絡の中で現れた表現であることも、押さえておきたいものです。それは、「秩序を乱す者を戒めなさい」から読み始めるべきだ、ということです。
 
すると、少し印象が変わるような気がするのです。確かに、「気落ちしている者」「弱い者」を助けるようにと促すのですが、「寛大」であれと告げた後、「誰も、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい」と、悪への警戒を怠ることがないのです。これは、教会の内に悪が及んでいることを意味するのではないでしょうか。
 
「秩序を乱す」と挙げられている者は、社会一般にいる人ではないはずです。教会の中にいて、教会の秩序を乱す者に決まっています。パウロにとり、テサロニケの教会は、「主に倣う者」(1:6)となるところであり、「模範となった」(1:7)ところです。でも、悪があります。その悪に対して、悪を返してはならない、とアドバイスしています。
 
「いつも善を行うように努めなさい」と述べたときに、「いつも喜んで……」が始まるのです。そして、霊と預言を大切にせよ、と触れ、良いものを重んじよと加えておき、あらゆる悪から遠ざかりなさい」と結ぶのです。その後は、祈りの言葉が並びますから、内容として迫ってくるのは、この悪から遠ざかれというのが最後となっています。
 
ここで最初にあったのが、教会の中にある悪のことでした。パウロはこの手紙で、世の終わりに備える心得を熱く伝えていました。そういう最中、「きょうだいを踏みつけたり、欺いたりしてはなりません」(4:6)と戒め、「これらの命令を拒む者」(4:8)にも言及しました。いずれも教会内部のことです。いま教会に問題があっても、当然だと言えましょう。





きょうだいたち、あなたがたに勧めます。
秩序を乱す者を戒めなさい。
気落ちしている者を励ましなさい。
弱い者を助けなさい。
すべての人に対して寛大でありなさい。(テサロニケ一5:14)

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