エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

ニネベの人々は救われた

2024-06-29 | メッセージ

ヨナ3:1-10 
 
ヨナは観念しました。神の目を逃れたつもりが、人間の手を通じて、神の前に連れ戻されることとなりました。魚までがそれに加担します。再び主の言葉がヨナに臨みます。なぜヨナがその役割を担わねばならないのか、そんなことはどうでもよいのです。突如神が介入してくるのです。さあ立て、行動を起こせ。ニネベの都に行け。主の言葉を語れ。
 
四十日後に、ニネベは滅びることになると、主が告げる言葉を告げるのだ。さあ、それを実行すると、結果、ニネベの人々はすんなりとこの宣告を受け止めて、悔い改めたのでした。悪の道をすっかり離れてしまいます。これで滅亡がなくなりました。ヨナはふてくされてゆくのですが、私たちの目はいつもそこにばかり向いてしまいます。何故でしょう。
 
クリスチャンの心理の中に、それに通ずる心があるからかもしれません。神の裁きを宣言したのに、当てが外れた、と。他方、ヨナの振る舞いを、滑稽な、あるいは愚かなことだと軽く見る気持ちもあるような気もします。ヨナの警告は、ニネベの人々を結局救います。私たちの心理は、ニネベの人々のことをまるで顧みていないのではないでしょうか。
 
ニネベの人々の救いのことを、全く忘れている。ヨナ書は、その辺りのことを実に詳しく描いています。都は、一回りするのに三日を要するとしています。あまり注目されませんが、ヨナはそのうちたった一日歩いただけで、「ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、大きな者から小さな者に至るまで粗布をまとった」のでした。
 
そしてこのことが、王の耳にすぐに届き、王自ら悔い改め、国民に緊急指令を出しています。これがすぐさま行き渡ったことは、人々が「悪の道を離れた」と書かれていることから分かります。3分の1の人々の反応がたった一日でなされ、ニネベを変えました。これを救わない神ではないことは、私たちの知るところです。
 
私はこのニネベの人々と同じではなかったでしょうか。誰が伝えたか、それは知らずとも、神の赦しをまともに受け、その恵みに与ったのではなかったでしょうか。災いを思い直されたのは、この私に対してだと気づかされます。「ひたすら神に向かって叫び求め」たあの私があってこそ、救いの中に入れてくださったのではなかったのでしょうか。


神は、人々が悪の道を離れたことを御覧になり、
彼らに下すと告げていた災いを思い直され、
そうされなかった。(ヨナ3:10)

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