エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

目は笑っていたかもしれない

2013-05-11 | ルカによる福音書
 思えばイエスは、復活してあちこちで姿を現しているのかもしれません。しかし無数に、というわけでもないでしょう。マグダラのマリアに現れたとか、ペトロに現れたとか、そういうのはそれなりによく理解できます。しかし、このエマオの記事における二人に現れたのは、どうしてでしょうか。それがまさにエウセビオスの聞き知っていたように、イエスの親族であるから、という説の真実性のひとつの理由になっているようにさえ思われます。しかしあまり詮索せず、今はこの説明に対するイエスの反応を急ぎましょう。そして、という語でつながって、「そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」」(ルカ24:25-26)と、ここからたくさんのことを語るイエスの言葉の最初の部分が紹介されます。実に愚かなことだ、とイエスは嘆いています。かなりきつい言葉です。信じられない者たちを、心が鈍いとまで言い放っています。さて、このときのイエスの表情や口ぶりはどうだったでしょうか。もちろん想像です。厳しい言い方だったでしょうか。私ははっきりした口調で、厳しさがあったと思います。しかし、目は笑っていたかもしれない、と想像します。博多で言うなら、「ばかたれ」とか「ばかちん」とか言うのは、相手に対する親しさをこめての言葉です。愛を以て忠告するようなときに使います。そのようにイエスのこの言葉も、「ばかたれが!」と私には聞こえるのです。キリストは、苦しみから栄光へという道筋を、何度これまで説明してきたか、お前の耳は何のためにあるのか、と告げているかのように聞こえます。
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三日目

2013-05-10 | ルカによる福音書
 そして三日目になっていることが説明されます。ルカらしい配慮です。続いて、そうではなくて、という強い語で結ばれて、彼らにとってはとんでもないことが起こったことを示しつつ、「ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました」(ルカ24:22)と話が続けられるのです。女たちの証言は、当時信頼性に欠けるものでした。証人の価値すらない者でした。しかし、神はそのような立場の人を敢えて証人に選んだのでした。男の弟子たちは、これを信用しないでいたのです。「婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです」(ルカ24:22-23)という言い方は、明らかに信用していません。しかしながら、完全にそれはありえないのだ、とまで断定できるような確信もありません。信仰に至らない段階のような理解の仕方です。主は生きている、いのちというものがある、という天使の言葉が文の最後にきて強調されます。「遺体」は普通に「からだ」という語です。分かりやすくなるのかもしれませんが、目に見える形での「からだ」がなかったという様子をそのまま伝えてもらえればと思います。そして「仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした」(ルカ24:24)という言葉で、二人の話は終わります。信用できなくて、男たちが出向きましたが、女たちの言ったことが嘘でないらしいことが分かったということを伝えました。これは三日目のことですから、まさに今その事態に出合って間もなく、エマオへ下る道を歩いていたという時でした。
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贖う

2013-05-09 | ルカによる福音書
 しかし、「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります」(ルカ24:21)ということになりました。「解放する」というのも意図的な訳語であるように見えます。というのは、これは基本的に「贖う」という語だからです。確かに、奴隷状態から解放するという用法はあります。しかしイスラエルがローマ帝国の許で奴隷状態にありそこから解放する、というのでは、非常に政治的な文脈で捉えていることになるでしょう。身代金を支払って自由にすることを指しますから、神学的には「贖う」で十分です。ただし、このときの弟子はそのことを理解していなかったではないか、と言われるかもしれません。確かに弟子たちがイエスの十字架を罪のための贖いであると理解していたとすべき場面ではありません。しかし、弟子たちがそのつもりで口走っていても、それはちゃんと真実を指し示していた、という形での台詞であったはずです。たんに弟子たちが無理解であるだけで使われた語ではなく、その後の深い意味にたとえ気づいていないにしても、ここに証しされた、という見方が必要なのです。それが福音書です。それで日本語としては非常に訳しにくいことは承知の上で、イエスの真実を口にしながら本人はまだ気づかないという言葉で表すのがベストです。解放する、としては、たんに誤解しているだけで終わってしまいます。
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2013-05-08 | ルカによる福音書
 エルサレムではすべての人が知っている事件であったかのように書かれていましたが、そもそも十字架刑というものは、それくらい、見せしめであったわけでしょう。人々に知られなかったら、見せしめにはなりません。「イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った」(ルカ24:19)と会話が進みます。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです」(ルカ24:20)と二人は話し始めました。一人でなく、二人が、ということですから、それぞれが口々にこのことを語ったのでしょう。ナザレのイエス、という言い方が普通であったものと思われます。弟子たちの間でも、そのように呼んでいたのでしょう。他人だからと呼び方を変えた可能性もありますが、一般にはそのような呼称であったものと思われます。それはとある預言者であったと告げます。それが一般的な弟子たちの間での理解であったと推測されます。それは神の前にも、人々の前にもそうであったといいます。「力」という言葉が認められます。これは預言者の評価として重要です。預言者が神からのものであるということは、力を備えていなければなりません。神の力がそこに現れていなければならなかったのです。「それなのに」というのは意図的な意訳で、原語には、「そして」よりやや弱い感覚の語が添えられています。新約聖書でも珍しい語で、ここからルカが使徒言行録でどんどん使い始めるようになる語です。この前後の結びつきをむしろ強く感じさせる語ですから、イエスが預言者であったことと、そのことで十字架につけられたこととは、強い関係性をもっているような印象を与えます。また、こういう個所の表現は、一定の価値観に基づいた言い回しが使われていると思われますので、ここにもある「引き渡す」という語が目につきます。イエスは、引き渡されたのです。
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クレオパ

2013-05-07 | ルカによる福音書
 それに対して「イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった」(ルカ24:17)のでした。何をそんなに議論しているのか、とイエスは口をはさみました。その歩みを止めよ、ということなのかもしれません。二人は暗い表情をしていました。そして、自分たちの中でばかり議論し合うのをストップしました。人間の知恵だけで夢中になって議論していたのでは、物事は解決しないものです。そのようなときには、イエスをイエスとして認めることもできていないのです。この辺りは盛んに話題転換しながら、「その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか」」(ルカ24:18)と記されています。この人物については情報はありません。エウセビオスは、これをイエスの父ヨセフの兄弟だと記録しており、もう一人はその息子であるとしているそうです。しかも、この息子のほうは、エルサレム教会の監督に後になった人物であるとか。どこまで信じてよいのか分かりませんが、いろいろ教会の基盤を強固なものにしようと努力しているのかもしれません。聖書には謎がたくさんあります。人にはすべては分からないということなのでしょう。なお、ヨハネの福音書に、十字架を見守る女性の一人の名として、「クロパの妻マリア」(ヨハネ19:25)が挙げられており、クレオパと似ていることから、そのような伝説が語られたという可能性もあるようです。しかしわざわざ名前が記されたということは、この人物が後の教会に何らかの影響をもった人物であったということは、想像できるかもしれません。なおマルコ16:10-11に、このエマオの二人のことが記されていますが、こちらはマルコが当初から書いていたとは今では考えられておりません。明らかにルカの福音書の内容をそこに転載したものである、と。
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私たちと共に歩んでくださる

2013-05-06 | ルカによる福音書
 そしてこういうことがあった、というふうにして、場面が展開します。「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた」(ルカ24:15)のでした。あれこれと議論が進んでいるそのとき、実はイエス、二人にとっては誰か一人の人物が近づいてきました。共に歩いていたのだといいます。豊かな想像を育む表現です。イエスは私たちに伴います。時に私たちを背負い、苦難の時を超えさせてくれます。私たちの先を、模範を示しつつ歩くこともあるでしょう。手話でボランティアということを、共に歩く様子で表しますが、イエスはまことに私たちと共に歩んでくださるのです。「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(ルカ24:16)のでした。その目は遮られていた、というのは、力強く捕まえ、ひきとめて離さない様子を表します。目がイエスだと認識するように向かわなかったのです。そんなことがあるだろうか、と思われるかもしれません。しかし信仰に入る前の私はどうだったでしょう。福音を聞いても、心がそこに向かうことがありませんでした。キリスト教なんて、という思いに包まれて、イエスの招きなど眼中になかったではありませんか。訳しにくい語ではあります。何か目がそちらに向かわないのです。イエスをイエスとして認識することができないようになっていたのです。これは、私たちにとり、普通にあることだと思うのです。
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エマオへの道

2013-05-05 | ルカによる福音書
 新たな記事はルカのほかにはありません。「そして見よ」と注目させる表現により始まるのは、エマオへの道の記事です。「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた」(ルカ24:13-14)と始まります。弟子たちは誰なのか。18節にクレオパという名が一人紹介されていますが、もう一人は分かりません。また、名前が一人分かったところで、どういう人物であるのかについての情報はありません。単に弟子であるに過ぎません。距離がわざわざ記されています。10kmかそこらエルサレムから離れていると言われていますが、ルカの地理には絶対的信頼を寄せることはできません。この記事を頼りに、エマオとはどこか、考古学的な研究も進められていますが、確実な情報はまだありません。古くからも調べられており、現地をも歩いたというエウセビオスの記録から、ニコポリスという街ではないかとも伝えられています。ただし、距離がかなり遠くなります。歩いていた記事からしても若干苦しいかもしれませんが、ルカよりは信頼性があるのかもしれません。その名の発音はギリシア語からすると「エンマウース」のような名前です。イエスの十字架について話していたのは、この日、つまり復活の日です。安息日には歩けませんでしたから、一日をエルサレムでおとなしく過ごしたのでしょうか。二晩明けても、なおこの話題は尽きません。
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亜麻布

2013-05-04 | ルカによる福音書
 ところがここで一人、思い立った者がいます。「しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った」(ルカ24:12)のでした。こちらは、先の23:53のところで「亜麻布」と訳されていた何か高級な布地とは異なり、はっきりと間違いなく「亜麻布」の語が使われています。前章のほうはマルコを写したとして理解されますが、ルカはここで言葉を換えました。ひとつには、この12節自体に疑問が付せられているという事情もあります。ヨハネ20章の記事を基に、ここにこの内容を挟んだと理解する方法があるのです。一部の写本にこの12節が欠けているからです。福音書間には、時折このようなことが起こります。同様の内容の記事において、ここにこの説明があったほうがよかろうと判断した人が、他の福音書の文を勝手に挿入するのです。これで本人はつながりがよくなったように思うのでしょうが、著者以外の手によるつぎはぎですから、また別の人が見たら、不自然であったり、問題が起こったりする場合があるのです。もしヨハネを参考に挟んだとするならば、それはペトロを擁護するためです。ルカ本人も、使徒たちに恥を掻かせまいとはしていますが、それでもルカが記さなかった点を、ルカだったらきっとするはずだ、などという考えで、別人が補って、ペトロを立てているのかもしれません。あるいは、当時はもっと気楽に、整合的に理解するために書き込むようなことがあったのかもしれません。ユダヤ人は一点一画をもおろそかにしない精神が叩き込まれていますが、異邦人だとそうでもなかった可能性が強いと思われます。
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証言能力

2013-05-03 | ルカによる福音書
 そして「婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」(ルカ24:10-11)といいます。マルコのように黙っていたというのはどうしても認めにくかったのでしょう。ルカは弟子たちに伝えたことを強調します。しかし弟子たちは、それを直ちに信じはしませんでした。イエスが何度も、このことは宣言しておいたはずです。きれいに忘れ去っていたのでしょうか。若干ギリシア語としては乱れており、読み方に議論があるようですが、写本家が直感的におかしいと思い修正したことが後にまた受け継がれて行く場合があります。案外、それが勘違いであって、実はおかしくないという場合もあるでしょうし、思いこみでついい書き換えてしまったという場合もありうることでしょう。なにぶん歴史が重なっています。あまりに長い年月です。その間、よくぞここまで殆ど違わずに伝えられてきたのだ、というほうにむしろ感動すべきなのですが、細かなところでこのように聖書は様々な違う語になっているものや、違う読み方で伝わっているものなどがあります。それにしても、女たちの証言は、いくら何人いたところで、信用されないというのも悲しいものです。当時の律法で証言能力がないとされていた女たちです。何人いても信用されなかったのです。信用しなかったのは、ルカが描くには「使徒」です。もう弟子などではありません。
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女たち

2013-05-02 | ルカによる福音書
 次々と「そして」でつながれて、「そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた」(ルカ24:9)としています。マルコが、「だれにも何も言わなかった」(マルコ16:8)と衝撃的な終わり方をしているのと対照的です。というより、ルカがこのマルコのやり方に納得できなかったと思われます。マルコの意図は何だったのか。あるいはマルコの福音書のこの終わり方には何か事故があったのか。古来様々に想像されています。今はそれに深入りしません。とにかくルカは、マルコをここまで筋書きの上で踏襲しながら、この点にだけは断じて同意できなかったわけです。しかも、マルコやマタイでは、弟子たちに知らせよという命令が備わっていますが、ルカは天使のその命令すら省いています。女たちは、いわば率先して伝えているのです。福音は、そのように自らどんどん広めるべきである、という意図が隠れているのだろうか、とも思えるほどです。ところで、というようにして、「それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった」(ルカ24:10)と女たちの名が明かされます。ルカだと、この名の紹介が一歩遅れます。一行に奉仕してついてきた女たちの名前として、8章の初めにもその名があります。ただ、ヤコブの母マリアはそこには登場していません。マルコの復活の場面にありましたので、ここで追加したのかもしれません。小ヤコブであろうと思われますが、なにしろよくある名前でもあるので、はっきりしたことは分かりません。女たちはイエスに多く従っていたであろうことが8章から窺えますが、書きぶりからすると、こうした女たちが悉く復活の墓を見ていたように見えます。そんなにおおぜい行ったのでしょうか。そうかもしれません。ただ、他の福音書に比べると、多いようです。
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罪・悔い改め・祈り

2013-05-01 | ルカによる福音書
 イエスはこの復活についてどう言っていたか。「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」(ルカ24:7)と天使たちは理解を促します。マルコに従い、ルカもこの予告を三度記録していました。それを正確に同一文で繰り返したのではありません。だからこそなお、ここからルカが描く世界宣教の素地がこっそり現れているようにも窺えます。イエスは「罪人どもの手に引き渡される」のです。ルカは、罪・悔い改め・祈りに強い関心を示します。異邦人がこの神を信じるために必須の条件です。イスラエルの歴史の背景そのものを忠実にたどらないといけないとは考えていません。マタイのように律法を守るとか完成するとかいう考えは表に出しません。ただ人には罪があるということ、そこから悔い改めて、つまり方向転換して、神に帰らなければならないこと、そして神に祈り神とつながりをもたなければならないこと、そこにルカはひとつの救いのストーリーを感じています。そしてイエスこそ、その罪のまったくないただ一人の方であったのです。その罪のないイエスを十字架にまで架けたのが、ただならぬ人の罪の最大の現れでありました。特に、ここではユダヤ人たち、その指導者も、また賛同した群衆が、そのターゲットとされています。そして、殺されるというばかりでなく、杭につけられると訳したにしてもまあその意味であるわけですが、はっきりと「十字架」というイメージが置かれますから、教会における救いの一つの図式のようなものがここに反映されていると言えるかもしれません。どうすれば救われるか、という問いの答えについて、ここに一つの答えがあると見ることもできそうです。この復活の場面でまとめられた表現を、これから後の教会は、救いの道筋のために用いていけばよいとしているように思われます。この説明で、「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した」(ルカ24:8)のでした。これでルカ特有の表現も、イエスの言葉である、と認定されたことになりました。
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エルサレムに留まって

2013-04-30 | ルカによる福音書
そのためには、ガリラヤにイエスが戻ってはならないのです。そのため弟子たちもまたガリラヤに戻ることはなく、エルサレムに留まってそこでいわば教会を形成します。ガリラヤに戻り、このイエスにもう一度従い直してごらんなさい、と言いたげなマルコは、弟子たちがガリラヤに戻った、とも描かず、読者自身をガリラヤに導きます。マタイは物語として完成したいので、きちんとガリラヤに弟子たちを動かします。そしてルカは、もはやガリラヤは過去のものであるからこそ、ガリラヤを思い出話の一つに片づけてしまうのです。
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復活の姿で

2013-04-29 | ルカによる福音書
 ルカにとっては、イエスは復活して生きているという点が大きな意味をもっていたのかもしれません。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(ルカ24:5-6)と語り始めました。主は生きておられる。そしてここから生ける主のはたらく時代が始まると言いたげです。使徒言行録に続くルカの第2章が、間もなく始まろうとしています。マルコにもここにあるような内容はありますが、マタイに類似しています。もしかすると、写本に一部ここの欠けたものがありますから、ルカになかったけれどもマタイにあるからルカにも誰かが補った、という、ありがちなことが起こっていたのかもしれません。ところで、「ここ」とはどこでしょう。目に見える場所、地上、人の絶望しかないようなところ、悪や罪のはびこる世界、なんとでも言えることでしょう。悲しみや苦しみばかり風景を超えて、主は復活の姿で待っているといいます。そこに私たちの希望があります。福音は、暗い雲の上の光へ心を誘い、導きます。次の「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」(ルカ24:6)というなにげない言葉にも、ルカの巧みな意図が隠れています。マルコやマタイに反して、イエスはガリラヤに行こうとしないのです。ルカにとり、ガリラヤはもう過去のものなのです。ガリラヤから一直線に、長い過程を経て、このエルサレムまで来ました。また戻るようなことはルカは考えません。ここからまた一直線に、世界へ拡がる福音を見てほしいという計画です。
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二人というのはルカに特有

2013-04-28 | ルカによる福音書
 そこでこういうことがありました、というような書き出しで、「そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた」(ルカ24:4)と描写されています。立ち尽くすような女たちの前に、現れたといいますから、どこからともなくでしょうか、二人の男が登場します。マタイの場合は大きな地震により現れています。マルコの場合は、墓の中に入ったときに見えたといいます。ルカでは、現れたと新共同訳が書いています。原文では、「すると見よ」でフレーズが始まり、二人の男が立っていたというような書き方がしてあります。他の邦訳でもそのようなものです。どうして新共同訳がこのように脚色してしまったかは不明ですが、フランシスコ会訳に倣った以外は考えにくい結果となっています。日本語で読んだときのイメージがずいぶん変わってきてしまいます。確実に言葉の上だけの慣用句であるなどしなければ、できるだけ原文の表現を尊重してもらいたいと願います。ところが、という展開の中で、「婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った」(ルカ24:5)のでした。驚き惑い逃げるという反応をしないようです。ところで、この男たち、二人というのはルカに特有です。マルコもマタイも、二人という記述はありません。証言者は二人が必要だという点が気になったのでしょうか。ただし、ヨハネでも天使は二人登場します。こちらは、情景が異なります。まず女たちとペトロとヨハネが、空の墓を見いだします。その後、泣き崩れるマグダラのマリアの目の前に現れたのが、二人の天使でした。ルカはそれと関係しているとは思えませんが、何か二人にしなければならない気持ちは、私たちにとっては想像の中というところでしょうか。
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身体

2013-04-27 | ルカによる福音書
 そしていきなり、「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった」(ルカ24:2-3)と記しています。女たちがそれを見た、という書きぶりですが、訳出はありません。しなくても差し支えない構文ではあります。それにしても、この石がどのような意味があるか、ルカは描きません。あまりにも常識的なことだった故でしょうか。それとも、まさか、ルカが当地の墓について知識が不足していたのでしょうか。人が簡単に転がせるような石ではないことを、マタイは天使を引き合いに説明しています。マルコは、石をどうしようかと案じているところへ、それが動かされていたので驚いています。あるいはルカは、そもそも石が閉じられているはずのところへ、女たちがのこのこと香料を携えて行くというのが奇妙な行為である、と理解して、そのような一連のマルコの説明をナンセンスだとして触れなかったのでしょうか。だとしても、女たちが石を動かすつもりだったということになるだけで、不自然さは残ります。しかも女たちは、マルコもそうですが、墓の中にひょいと入っています。怪しんだり、警戒したりしたかと思うのですが、少なくともそのような描写はありません。そしてイエスの肉体がないことを発見します。「遺体」はやりすぎでしょう。ギリシア語は「身体」です。
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