前章の最後の安息日の説明も、この24章の頭につなげて読むと自然です。「そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った」(ルカ24:1)と書かれています。23:56の後半が、区切りの上でこの復活記事のほうに結びつけられているのは、ギリシア語において対応の語があり、つながりが強いと思われるためです。マルコを下敷きにしているとはいえ、復活の記事は福音書の間でかなり差異があるように見えます。ルカが独自に採用した資料があるものと思われます。それはマタイとも異なります。ルカの教会に伝わっていたものなのか、またその由来はどうなのか、一切は不明です。結果としてこのルカの福音書が、イエスに関する記事を、弟子たちを通じて集めて記録している、ということです。どこか慌ただしく処刑が行われ、急いで墓に葬られたイエスの遺体は、安息日が開けるまでは誰も手を伸ばすことができませんでした。この安息が何の意味であるのか、神学的にあるいは霊的に受け止めることも可能ですが、それは読者一人一人に委ねることにします。ルカは何と書いているかというと、その間の経過にはマタイのように全く関心を示さず、いきなり朝を迎えます。安息日が開けるのは土曜日の日暮れですから、安息日が開けたばかりの暗いうちではなく、私たちで言うところの日曜日の朝です。訪れたのは女たちでした。そのほうが怪しまれないというのもあるでしょう。また、香料を塗るなどの役割は、女の仕事であったのかもしれません。そして証言能力がないとされた女たちにより最初に見いだされたことにより、この復活の記事の意味も考えさせるものとなっていると言えるでしょうか。しかし、遺体に香料を塗るなどについては、異邦人に対しても説明が要らなかったのでしょうか。少なくともマルコは、墓の入口の石をどうするか相談するシーンを置いているのですが、ルカはそれすら省いているのです。
これに対して、という感じで、「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した」(ルカ23:55-56)という事情が説明されて、この場面は終わります。女性たちの名前については、ルカは省きます。個人としての積極的な女性の役割を、むしろマルコは重視しているのに対して、ルカはここでは女性の一人一人に対してはあまり関心を示しません。ただ、ヨセフについて行かなければ墓のことは知るまいということで説明が加えられ、さらに、復活の朝に出かけていくための背景を準備しています。マルコは、そしてそれに従ったマタイにしても、女性たちは、思い深く墓をじっと見つめています。その視線に余韻が感じられて味わい深いのですが、ルカは先の復活にしかもう関心がありません。次の下準備に忙しい感じです。ルカにとり、十字架というひとつの過程が今実現し、次は復活が成し遂げられることが非常に大切なのでしょう。マルコでは、弟子たちはイエスを見捨てましたが、女性たちは一人一人が人格をもってイエスを愛し、いつまでもそれを見つめている情景が強く描かれています。私はそのように受け取ります。ルカの頭の中には、さらに次の使徒言行録の筋書きが迫っているのかもしれません。いえ、それは意地悪な言い方なのですが、とにかく女性は次の章でマルコに従って幾人か名前を挙げるにとどまり、この埋葬のシーンは次のシーンの序曲に過ぎないかのように通りすぎようとしているように見えます。そして説明はさらに「婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ」(ルカ23:56)というところまで進み、終わります。安息日は休まなければならない、と異邦人に説明しているかのようです。
このあたりは「そして」が続き、事がスムーズに流れていく様子がうかがえます。「その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた」(ルカ23:54)のでした。日没とともに、ユダヤ人の一日は始まります。安息日は日没と共に開始されますから、そこから先は仕事をしてはならないきまりになっています。墓に収めるというのは立派な仕事ですから、この作業は極めて急がれなければなりません。ルカのように、裁判を遅らせて十字架の始まりが遅れてしまったとあっては、その死はよりいっそう早まらなければなりませんでした。逆に言えば、通常十字架の上での苦しみはこのイエスのように早くは終わりはしなかったわけですから、気になるのが、あの二人の死刑囚です。彼らはイエスほどには絶命しなかったはずですから、安息日に入ってからも苦しみもがいていたであろうことになります。あるいは、その死期を早めるための操作もあったかもしれませんが、とても埋葬までにはいかなかったことでしょう。いえ、実のところ死刑囚は埋葬などされませんでした。共同墓地と言えば名の通りがよいのですが、正味ごみ捨て場であるところに捨てられたのです。かのモーツァルトの遺体も、それに近い場所に捨てられ、後に遺体が探されたとも聞いています。その意味では、イエスの遺体はそのごみ捨て場に入れられたのでは復活劇が現れませんから、ヨセフの役割は非常に大きかったことになります。そこに神の摂理を見いだしたとしても不思議ではありません。
接続なく、代名詞として続けて、「この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた」(ルカ23:52-53)と説明されます。いともあっさりと埋葬されますが、ヨセフの手厚い所業が分かります。これはマルコもマタイも伝えている内容です。ピラトに出向くだけの地位があったということが分かります。相当に発言力のあった人なのでしょうが、ユダヤ人を介さないが故に、むしろ親ローマの側にいたであろうことが想像されます。ローマの高官にも、もしかすると知れわたっていた人物なのかもしれません。亜麻布というのは、おそらく推定ではあるでしょうが、とにかく遺体を包んだ布は高級品であった、ということです。およそ金持ちでなければ手に入れられない性質のものだったことでしょう。次の章で復活の場面において出てくる「亜麻布」(ルカ24:12)とは、言葉が違います。そして新しい墓に葬ったと記されています。この地域の墓は、岩場に掘った穴に格納するというものでした。そして大きな石で蓋をするのです。この「岩に掘った」とある語は、ギリシア語としては珍しい語だそうです。七十人訳に多用されはするものの、通常の古典ギリシア語にはないのだそうです。一説には、ヨセフが自分のためにこしらえていた墓ではないか、とも言われています。穴の構造は必ずしも単純ではなく、遺体を、より掘り下げたところに安置して時期がたつとその骨をまた移動させるようなこともあったとか。当時の習慣ですから、それはそれとして受け止めなければなりませんが、イエスはこのようにして葬られました。それは、弟子たちの手によらないものでした。ここのところは注意しておかなければなりません。復活の信仰もなにもなかったのです。また、弟子たちは近づけなかったのです。ただ、ルカの筆致は、そのような弟子たちのお粗末な件は感じさせないように、ヨセフの英雄的行動を讃えているかのようにも見えます。
次の始まりはギリシア語では、「そして見よ」です。これは日本語にしてもちょっと勢いのよい言葉でしたが、意味だけにされました。「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである」(ルカ23:50-51)と紹介されます。マルコと描く順序が変わっています。そして、このヨセフについての描写が色濃くなります。もしかするとヨセフについての情報が教会に伝わっていたのかもしれません。たとえば想像に過ぎませんが、ヨセフが関係した教会がこのルカの所属する教会であった、というような。それとも、ローマの高官に対して、この埋葬にはユダヤの信頼のおける人が関わっていたことを丁寧に示すことで、マタイにあるような妙な疑いの可能性を払っているのかもしれません。善かつ正、という申し分のない書き方です。ここまで一人の人のことを良く描くということは、イエスのほかにはなかなかありません。安易に他のユダヤ人の意見についていくようなことはなかった、とも書かれてあります。だからこそ、一人イエスの役に立つような単独行動に出たのだ、という説明になっているものと思われます。ルカは、異邦人にとり分かりにくい事情については、一言説明を加えようと努力します。それは随所に見られます。このように長くなっていく説明もまた、その角度から捉えることもできそうです。またこのヨセフは、れっきとしたユダヤ人ではあるのですが、神の国を求めていたためにこういう行動がとれたのだ、というわけでしょう。
これに対して、という語をはさんでいますから、群衆とは区別された、イエスにこれまですでに従っていた人々の視点が、それとはまた少し違うことが記されます。「イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた」(ルカ23:49)のでした。わずかな女性たちしか、この目撃に耐えた者はしなかった、として、弟子たちに悉く見捨てられたことを暴くマルコに対して、ルカはずいぶんとたくさんの人、しかも男がむしろ主役になるかのようにして描いています。女性の立場を比較的重んじる傾向のあるルカですが、殊十字架となると、女性だけが残ったということにすると、異邦人男性に少しまずいと判断したのでしょうか。そういう傾向が教会にあったのでしょうか。あるいは、マルコのように、弟子たちの不甲斐なさが目立たないように配慮したかったのでしょうか。女性たちだけであることを強調したマルコは、そのことにより、女性を持ち上げたのではなくて、男性を引き下げたのです。つまり弟子たちは皆主に従えなかった、と。だからガリラヤに戻り、そこからまた従い直さないといけない、としたのです。弟子たちに悉く見放されたという描き方をすることにより、マルコは弟子たちを批判しているわけですが、ルカは弟子たちを批判する眼差しを基本的に持ちません。その影響が大きいかもしれません。そして、このようにあらゆる人々が十字架に関係していたことを記録することによって、すべての人が罪の中にあることを悟らせようとしているかのようにも見えます。ルカの福音書は、異邦人にも分かりやすいような、罪と十字架の福音書なのです。
そこでさすがの烏合の衆たちも、何かしら心に感ずるところがあったと書かれています。「見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った」(ルカ23:48)というわけです。これは群衆を助けていることにはならないと思われます。ここまで、イエスを「十字架につけろ」と叫んでいた者たちが、このひどいありさまに、間違いに気づいたか、あるいはこれは大変なことになったと悲しむべき事態を感じたか、そんな状況が示されます。自らを責めたかどうかは想像するしかないのですが、胸を打つというのは、ひどい悲しみを表すと共に、場合によっては悔い改めをも示します。どちらであるかは流動的です。読者がこの群衆に身を重ねることを想定しているのではないかと思います。そして、このイエスの十字架が自分の罪の故であると気づいたとしたならば、これは悔改めの涙になるでしょう。しかしそうでなければ、ただの悲しい感情で終わってしまうでしょう。
マルコもマタイも、そしてルカもここにあるように、百人隊長の言葉を掲載します。「百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した」(ルカ23:47)というのです。しかしルカ以外は、「神の子だった」と述べているのに対して、ルカは義人だったと告げるまとめ方をします。異邦人にとり、神の子の概念よりは、義人の概念のほうがよほど適切に理解できるという配慮が現れたのかもしれません。正義であったとのその呟きは、「あった」が文末に強調されています。これはなくても通じそうなものですが、わざわざ明示しました。「ある」は神の本性でもあります。通常なくても通じるこの語を入れたということにも、神への信仰姿勢が現れていると言えるでしょう。というのは、この百人隊長については様々な憶測もあって、「神の子」としたとき、これを疑問文に読むことにより、百人隊長はイエスを批判していることになってしまうのです。「まったくこいつは神の子だったのか?」と。普通そうは読まないのでしょうが、ギリシア語は疑問文は恣意的ですので、そう読まれると、ローマ側に反感を持つ内容となりかねません。下っ端の兵士たちがイエスを嘲笑したのはもはや事実として仕方がないにしても、百人隊長という中間管理職がイエスを愚弄していく種は摘みたいものです。これが義人となると、「こいつは義人だったのか?」の疑問文はこの状況でありえません。ルカは慎重に、誤解の原因を取り除いたと言えるのではないでしょうか。
いよいよその時が来ました。「イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた」(ルカ23:46)と場面が描かれています。マルコに続いてマタイも、「わが神、わが神……」の言葉を貫いているのに対して、ルカはそれを省きました。その代わりに入れたのがこの言葉です。もしかすると、マルコとマタイが「大声」として最期に叫んだとする内容が、このルカの記事に結びつくのかもしれません。その意味では補うものとなっていますが、他方、まるで神がイエスを見捨てたかのようにも受け取れる、いわば問題の言葉を、ルカは載せたくなかった、と言えるかもしれません。できるなら、このように誤解を招くようなものは福音書の、しかも十字架の極みのシーンでは触れたくないと思ったのではないでしょうか。弟子たちの不手際も極力省かれます。また、ローマの役人の責任もできるだけ感じさせないようにします。そのルカの姿勢が、この十字架刑のクラスマックスでももちろん現れるのは当然でありましょう。先のゲッセマネの祈りにあったように、ただ自らの運命を神に委ねる模範がここに示されました。息を引き取ったというのは、まことにギリシア語もそのような言葉で、息を吐き尽くすというような構成の語です。日本語も文句なしにぴったりした訳語だと言えますが、この「息」に「霊」の意味が見え隠れすることも、押さえておきたいところです。つまりイエスが霊を神に委ねると告白した後、その霊が離れたのです。これが神の手にあることを、誰が疑い得るでしょうか。
さらに「そして」とあり、ルカの中ではここで話が途切れることなくつながっている感覚があるのではないかと思われます。「既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた」(ルカ23:44)と描写されています。それは第六時でした。そして第九時まで、と記されています。これは現代人に通じるように訳して構わないと思われますが、原語の指す数字も参照できればよいだろうと思います。時は昼。ルカの時計では、ペテロへの鶏が早すぎたので、イエスの裁判がどんどん後に押されてしまいました。イエスの十字架のタイムスケジュールが、他の福音書と同じように進むわけにはゆかなくなりました。しかし、マルコの時計に合わせなければなりません。なんといっても、安息日の始まる夕刻までに、イエスの遺体が墓に収められなければならないからです。そこで、ここで時計を合わせます。ルカは十字架についてから絶命までの時間をあまりに短く設定せざるをえませんでした。つまりこの時計は、マルコと一致しています。マタイも踏襲していました。このとき「太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」(ルカ23:45)と、現象の説明が先になりました。マルコは、マタイもそうですが、イエスが息を引き取ってから、その後に幕が裂けます。この犠牲が決定したその瞬間、神と人との間を隔てる幕が裂かれたことになるのですが、ルカはその前に裂けてしまいます。至聖所が開かれるのが、息を引き取る前だというのは、ルカの教会の見解であったのでしょうか。つまり、まさに至聖所に入り、そこから「ゆだねます」と宣言してからこそ、息は、つまり霊は神のもとに届けられる、という手順が、何か教会の儀式なり教えなりに沿うものだったのでしょうか。
どうかあなたの心の片隅にでも留めておいてもらいたい。男の切なる願いは、その思い以上の返答を呼びました。「そして」の流れで、「するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた」(ルカ23:43)と記され、その後沈黙が流れます。ルカは「アメーン」の語は殆ど使いませんが、ここでも使うことなく、しかしそのに匹敵するくらいの厳粛な響きによって、「まことにあなたに言う」と非常に重い言い方とともにこのように告げました。「楽園」はまさにここから生まれた言葉「パラダイス」です。この語で言葉は終わります。つまり文末において、強調されているわけです。立派な庭園を指すペルシア語由来の語であるとされていますが、そこは一定の囲いがなされており、狩りなどをすることもできたとか。囲いがありますから、安易にそこに出入りすることはできません。神の国は、それに相応しいと認められた者だけが入ることのできる個所なのです。イエスはそこにこの男が「今日」いるだろうと言いました。ところがこの「今日」は、この命題の最初にあります。つまり「はっきり言っておく」と「あなたは私と共に……」との中間に置かれています。それで、「今日あなたに言う」とかける方法すら考えられたことがあるそうです。というのは、終末の審判を思い描く神学、たとえばパウロの主張から考えると、今日その国に入ってしまうことはどういうことなのか、説明がつけられないと思われたからです。こうなると様々な受け取り方が想定されます。神にとり「今日」とは千年でもあり、また千年すら今日の一日であるなどという時間尺度も考慮され得るでしょう。しかしまた、この犯罪人の救いは、私たちに多くの希望をもたらしてくれていることも確かです。死の間際であっても、いわゆる洗礼などの礼典がなくても、イエスの救いはあるのだということです。最後まで希望を棄ててはならないことも学びます。そして、イエスは死の彼方までも、共にいてくださることを知ります。罪の悔い改めと神の救いとは、どこまでも愛に満ちた約束であると理解すべきでしょう。
そこまでは、イエスの批判者への叫びでした。思うに、その言われたほうの男は、群衆と同じことを言っていたのですから、まさにこの羊の男の言葉は、群衆なりユダヤの指導者なりローマ兵なりに、すべてに向けて言われていることになるでしょう。お前は神を恐れないのか、と。「そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った」(ルカ23:42)と、今度はイエスに向けて言葉を発します。いわば信仰告白を、人々に向けて証しした後に、何を神に向けて告げるべきか、を教えてくれます。ところでここはよく見ると少々読みにくい語です。「おいでになる」とは、来るのでしょうか、行くのでしょうか。どちらとも読めます。そもそも国という語も、支配のことなのか、何らかの国を想定しているのか、曖昧です。もちろん、一般には神の支配という概念でよいかと思うのですが、その国へ、と方向性のある前置詞が使われています。しかし、ここがまたややこしくて、方向性のない、その国「において」の語の写本も多々あるといいます。国において来る、とこれならば理解できます。しかし方向性が伴うと、国「へ」と行く、という捉え方になります。この選択は、神学をも左右するほどの影響があり得ることでしょう。簡単には結論が出せないものと考えられます。ただ、次にイエスが「今日」と告げているのを見ると、この男が「いつか、将来」を想定して言っているのは確かです。神の国へ行くのが将来であり今ではない、とするのは難しいかもしれません。それで、「において」の読みが相応しいと受け取られるようになってきたようです。もしかするとルカの原典は「へ」だったかもしれませんが、誤解を招かないために、より相応しいあり方で「において」を正統とするように読まれたのかもしれません。いや、すべては想像に過ぎません。
これに対して、もう一人が、すなわち右の羊の側にいる受刑人が、イエスの代わりに口を出します。「すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」」(ルカ23:40-41)とあります。苦痛の中での言葉です。落ち着いて言っていられる場合ではありません。内蔵が引きちぎられるような痛みの中で、絶句と等しいものとしてこぼれる言葉です。しかもおそらくは私たちのイメージしやすい凶悪犯ではありません。およそ理不尽な量刑がもたらされているのです。義賊のように振る舞い、民族の理想を掲げてリーダーとして立ち上がったが故に、今ローマ当局により見せしめの死を受けている最中の言葉です。そこでイエスにすがる思いは、たしかに信仰の極致です。先の男は山羊とされましたが、苦痛の中で人間がおそらく当然陥るであろうような思考法をそのまま吐露したに過ぎません。かの男が悪人なのではありません。それが普通の人間の姿なのです。それに対して、この自分の罪を悔いる言い方をしている男は、この理不尽な刑を怒り天を呪うことなく、むしろそれを当然ではないかとさえ認め、なおもイエスを弁護すらしようとします。これが待ち望んだユダヤの王であるという考えに、残りの人生を賭けよう、という意気込みで。そう、イエスは罪にはないのだ、という精一杯の証言です。ルカは読者に迫ります。あなたはこのどちらの男であるのか、と。あなただったらどちらの言葉を告白することになるだろうか、と迫ります。
視点を少し変えます。「イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった」(ルカ23:38)とルカは記しています。マルコは「ユダヤ人の王」(マルコ15:26)、マタイは「これはユダヤ人の王イエスである」(マタイ27:37)、ヨハネは「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」(ヨハネ19:19)と記しています。日本語としては、「これがユダヤ人の王だ」というふうに見ると、状況が伝わりやすいでしょうか。何らかの札があったのは事実でしょう。また、ユダヤ人の王という表示は間違いなくあったのでしょう。ヨハネが、その後伝統的に受け継がれる、長いフレーズを伝えています。ルカはここはあっさりと通りすぎます。しかし、この次にルカ独自の記事を用意しています。「十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」」(ルカ23:39)というのです。伝統的にこれは左側の男だとされています。マタイが、羊を右に、山羊を左に分けるように終末において人は神の左右に分けられると記していますが、そのように捉えることは、ユダヤ文化において自然なことだったと思われます。とりあえずルカはそこまで強く描いてはいませんけれども。この男は、悔い改めをしない側の代表です。その口から出る言葉は、群衆たちと同じです。つまりこの男への審きは、群衆そしてユダヤ人指導者たちへも向けられていることになります。そしてローマ兵もその一部に加わっています。ローマ人も同じ罪の中にいることは間違いないのですから、いたずらにローマ人をすべての罪から遠ざける必要はなかったのでしょう。この犯罪人は「十字架にかけられていた」と表現されていますが、先ほどからの十字架にかける意味の言葉とは別の言葉が用いられています。口語訳や新共同訳、それに新共同訳は、一緒くたに十字架としていますが、個人訳の中には区別しているものもあります。磔にする、という程度の言葉が適切かと思われます。ルカが言葉を変えているのです。いや、事実上何の区別もないだろう、というのも正しい見方であるかもしれませんが、キリストの十字架には救いがありますが、この男の磔の木には、救いがないことを思うと、区別すべきではないかとやはり思います。
しかし、ユダヤの民が何をしていたか、の描写はあります。「民衆は立って見つめていた」(ルカ23:35)というのです。傍観者のようなつもりでしょうか。私たちの罪はそのようなものです。自分が加担しておきながら、傍観者として振る舞うのです。いえ、自分は関係がないと決めつけています。風評被害の人は可哀相ねと同情を示していながら、自分が風評加害をしているという可能性など微塵も考えないのです。「議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」」(ルカ23:35)と、ユダヤ人のエリートたちは、つまらない一言を付け加えます。皮肉のひとつでも言ってやらなければ気が治まらないのかもしれません。豚の鼻のような恰好をして見せてからかっている、という様子を言葉は示しています。相手を愚弄するその恰好が、自分自身の姿を現しているということも考えずに。「兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った」(ルカ23:36-37)とあります。酸いぶどう酒は、麻酔の意味もあったと言われています。「突きつけた」のか「差し出した」のか、その辺りは読者の考え一つでしょう。差し出したものが、ひどく皮肉めいたものに思えたか、それとも親切からそうしたものに思えたか、そこは受け止め方次第なのです。麻酔として出したにしても、兵士たちは侮辱をしています。これは否定しようもないことですから、下手に隠しはしません。それでも、ユダヤ人たちの行為の後に付け加えるようにしています。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」(ルカ23:37)も、ユダヤ人の言ったことを繰り返したに過ぎません。侮辱というよりは、ただの同調であるようにルカは伝えます。責任を省くためであろうと思われます。