ハハモドキ

19年前、長男の誕生記念に始まり、途中、乳がん闘病記。次男の不登校をきっかけに再開。

2007/6/29(金)

2007-06-29 23:57:13 | 仕事
そうそう。昨夜は結局、眠ろうと思って電気を消した瞬間、耳元でプ~~~ンという音がして、飛び起きた。蚊がいると知ってしまっては退治せずには寝られないタチ(刺されることより、とにかくあの羽音が駄目)。電気を点けて、買ったばかりの雑誌「Pen」アンリ・カルティエ=ブレッソン特集をめくりながらヤツが現れるのを待った。二度ほど見かけたが、一瞬の仏心が打つ手を躊躇させる。3時近くになってしまったので結局、諦めて頭から布団かぶって寝た。

日中は何をしていたっけな。そうだ、新しく立ち上げるブログの関係で著作権について調べたのだった。本当は今週中にアップするつもりだったが、やっぱりひっかかるみたい。ちぇーっ! どうしよう。

カズお迎えをダーに頼んで、夜「広報達人会」に出席。先日サシでお会いして、いちおう弟子のようなものにしていただいたPRの達人が主催する勉強会である。本当はきょうこの日に初めて会うはずだったのだ。ふたりきりだとあんなによくしゃべる人なのに、講演はかなり緊張されていておかしかった。参加する人たちはみな事前に、いま抱えている課題を達人に提出済み。その回答(PR方法)を今日発表してもらえるのだが、それはさすがにお見事。当事者からは感嘆のため息が漏れていた。その後の懇親会にも参加。自分はもちろん、農場の宣伝も兼ねているので、張り切って全員と名刺交換。企業の広報担当者のほか、無農薬米農家、パジャマ屋、Tシャツ屋、お茶屋、板金屋など、さまざまな“モノを売りたい人"たちが来ていた。ユニークだったのはスピリチュアル書家。

実は達人は先日会ったとき、「僕はアートが好きなんですよ。人生で一番重要なものはアートだと思っているんです」と言っていて。思わず身を乗り出して「私もですよ!」と賛同し、一番好きな画家も一緒だったのにもかかわらず、「僕ほど絵画が好きな人間はいませんよ」と一蹴され。その理由を尋ねたら、なんと彼はこれまで絵画の前で卒倒して何度も救急車で運ばれたことがあるのだという。つまり、少女がロックコンサートなどでコーフンのあまりよく倒れる、それと同じだと言うのだ。参りました。それは確かにすごい。

そんな彼が反応するのに、作家の有名無名は関係ないらしい。四ッ谷の土手を自転車で走っていたとき偶然見かけた書家を気に入り、PRを自ら買って出た。達人の戦略通りに動いた結果、成功を収めているのが、前述のスピリチュアル書家なのであった。さらに今日、「お遊び」と称してアーティスト本人に特別割引価格で実演販売もさせちゃうのだから、面倒見がいいというかなんというか。そういうところが好きなのだ。

懇親会で話して一番おもしろいというか、「この人好き!」と思ったのが外資系PR会社に勤める男性。聞いたら、達人の昔からの友人なんだそうな。「もったいないというかなんというか。彼はね、もっとうまくやればテレビでもなんでもバンバン出て、もっと売れる人のはずですよ。アイデアも豊富で他人の宣伝はうまいけど、自分のPRは下手なんですよ」だって。そうだ、彼は途中で話に割って入ってきた人に、私のことを売り込んでくれたのだ。初めての経験で照れくさかったけど、うれしかったなぁ。懐の広さを感じた。私がオフ会で他人をアピールすると(自分としては当たり前のつもりだったが)、感激される理由がやっとわかった。

22時お開き。実りの多い会だった。カズとダーツバーに行っているはずのダーにメールをしても返事がないので、もう寝ているのだろうと近所のカフェでジントニック。酔って初めて店の人(顔馴染み)に声をかけてしまった。ここで流れる音楽が好きで来ているんです。オーナーがINOさんだって全然知らなくて。今日は彼はいないんですか? ファンが通って来ているって、よろしく言ってくださいとベラベラベラベラ。あーあ。もうしばらく行けないや。

帰ったら父子は二階で折り重なって爆睡していた。ふたりとも汗びっしょり。カズを抱いて降りる。あまりの蒸し暑さに今年初めて寝室に除湿冷房を入れてしまった。

赤ワイン飲みながらネットして寝る。

「広報達人会」

2007/6/27(水)

2007-06-27 15:58:36 | バリアフリー
起きたら8時20分でびっくりした。慌ててゴミを出し、カズを急かしながら登園準備をする。

きのう初めて、私にパソコンサポーターの依頼が入った。たまたまメールチェックをしてなくてすぐに返事をしなかったら、PCにもっと詳しいKさんが派遣されることに決まってしまったらしい。私はWinはまったく自信がないので(視覚障害者用のソフトはほとんどがWin)、勉強を兼ねて同行させてもらうことにした。

向かったのは某障害者系NPO法人。当初の依頼ではウインドウズの初期設定とソフトのインストールのみということだったが、やはり問題は次から次へと出てくるわけで。音声読み上げソフトの音が出なかったり(結局、スピーカーの接続端子を誤って差し込んでいた)、ネットにもまだつなげていないということで無線LANの設定もした。今回の利用者さんは弱視で、ポインタがよく見えないため、サイズを大きくして動きの軌跡をつけるよう変更をした。あとこれは依頼されていないが、Kさんはマイクロソフトアップデートの自動更新設定までをやってあげていた。帰りに、「うーん、やっぱり私には無理かもしれない・・・」と言うと、Kさんは「誰にもわからないことはあるんだから、依頼された以外の問題が出てきたら、私にはわかりませんって言えばいいんですよ」と言ってくれたけど・・・。

ひとり新大久保で遅いランチ。「ホントに営業中?」ってなタイ料理屋で豚トムヤムラーメンを食べた。本格派な味でおいしかった。しかも、セロリやらレバーやらが入っていてとても身体によさそうだったが、先日深酒した胃にこの辛さはきつかった。胃痛はじまる。

暑い。家に帰ってひとやすみ。

18時半にカズ迎え。先日注文したカズの靴が入ったと連絡をもらったので、電車にひと駅乗って、広尾の「タダスポーツ」へ。これでまたカズの靴はアシックスに戻りました。こないだまで履いていた某メーカーの靴に限って、カズは長く歩くと「足が痛い」と訴えた。どうやらクッションが全然違うみたいだ。ついでに歯医者に予約を入れようと思って見上げたら、看板が無い!(実はおととい飲んだときに私はまた歯が欠けたのだ。今年に入って3回目だよ。大丈夫か、オレ?) つぶれてる~。いや~、どうしよう。

夕食時、カズに「ご飯まだ熱い? それとも冷たくなっちゃった?」と何度も聞いていたら(私は本当に口うるさい)、「だいじょうぶ。おいしいだけ~」と軽く返された。

「銭金SP」をだらだら見ながらカズを遊ばせていたら風呂入れが22時近くになってしまった。最近遅すぎ!

明日一日でがしっと書き上げる予定の原稿がクライアントの都合で飛んでしまった。この仕事自体、消える予感。むぅ、なんだかなぁ。

明日も天気がよさそうなので洗濯物を干したりした後、23時過ぎから白ワイン飲みながら日記を書いた。

2007/6/25(月)

2007-06-25 23:51:45 | 
そういえばカズは昨夜、眠る前に「きょうパパといてたのしかったけど~、たのしかったけど・・・。ママがいなくてさみしかったよ」と言っていた。以前の「だって、すきだから」発言もそうだけど、ぐっと捕まえるよねぇ、心を。

昨夜は結局、朝方まで咳でほとんど眠れなかった。誰がって私がだ。ちょっと寝入りそうになると咳き込んで起きてしまう、その繰り返し。

この寝不足状態では危ないので子守の母が来る前に仮眠。なにせ今夜会うマイミクW氏とは、初回飲んだときに大失態をしでかしているので(ご存じない方は今年2/10の日記参照)、絶対に失敗できないのである。

雨上がりの曇天。もう大丈夫だろうと傘を持たずに待ち合わせ場所まで来たが、また雲行きが怪しい。今日行く予定の場所は駅から歩くし、移動中に降ってきたら困るな。彼が傘を持ってたら入れてもらえばいいだけの話だけど(私は長傘を持ち歩くのが大嫌い!)、それを狙ったと思われるのも嫌だしと、結局折りたたみ傘を買ってしまった。事前のこういう考えすぎがとても疲れる。早く会ってしまえば、顔さえ見てしまえば、それでラクになれるのに。

当初行く予定だった「浪漫房」が定休日とかで「池林房」へ。懐かしい! こういうところが同世代のいいところだ。

昔、彼のネタ帳のような日記にウケてせっせとコメントしていた頃のように、会う前にはいつもくだらない話をしてげらげら笑い合いたいなぁと思っているのだが、気づけばいつも真面目な話になってしまう。でも正直、前半はあまり話が噛み合わなかったな。同調して話しているつもりの私の会話が的を得ていないのだ(最近こういうことが多い。完全なるコミュニケーション訓練不足)。途中から、自分のルーツをどこに感じるかという話になったときが一番面白かった。

きっかけは、NYのメトロポリタン美術館でどこに一番興味を持ったかという彼の話から。私が中近東だと言うと、彼は「たぶん、オレはそこすっとばした」と笑った。シンガポール旅行中も、私が一番惹かれたのは、イスラム街のモスクから流れるコーランの響きだった。決定的だったのは、スアドの『生きながら火に焼かれて』を読んだとき(禁じられている婚前交渉の果てに子どもを宿したことが知れ、家族の手で処刑されかかった女性のドキュメント)。これは読後日記にも書かなかったし、もちろん他人に初めて話したのだけれど、私はその本に書かれている風景や空気を「懐かしい」とかではなく確実に「知っている」と感じたのだ。ちなみに彼が一番落ち着くのはジャングルだそう。なかなかいないよね、さすが野生児だ。

もっとこの件について話していたかったけど、次の店へ行く予定時間がすでに過ぎていたので会計を済ませ、店を出る。

ゴールデン街へ。飲み助にもかかわらず、なんと私にとっては初めて足を踏み入れる聖域なのだった。ここで写真展を開催中のTクンと会場のバーで落ち合う。

Tクンは、私が以前働いていた会社の後輩。実は私よりもダーと仲が良い。圧倒的な読書量と映画鑑賞量に加え、頭脳明晰、クールな振る舞いと物言いで、常に私のコンプレックスを刺激する人物である(本人は覚えていないかもしれないが、かなり昔、「サカウチさんみたいにいろいろ敏感だと、生きるの大変そうだよね」とさらっと言われたことがある。全然褒め言葉じゃないのはわかっているけれど、うれしかった)。今日ものっけから、私はダーの前では大人しいと、今まで誰にも言われたことがないことを指摘された。

Tクンは現在ではブックレビューや小説家へのインタビュー、自身の趣味でもあるカメラ関連の仕事を多数手がけるエディター&ライターである。

彼の写真はもともと好きなのだ。普段あまり外に出さない熱い思いとか骨太さとかが、本人が意識しているかどうかは別として写真から見え隠れして伝わってくるから。私にとっては正直、本人より写真のほうが近しい存在として好ましく映る。

いや~、でもおもしろかった。なにがって、私はありとあらゆる表現活動のうちで写真だけがよくわからないのだ。だから今夜は写真の魅力について、ふたりから伺うつもりで来た。そしたらTクンは、「写真は表現じゃないからなぁ」と。そして写真には「どうしてこの写真家はこのように撮ったのか」など、観る側にも一度考える作業が必要とされると(いずれの意見にも、W氏うなずく)。なるほどね! そりゃあ、私、苦手なはずだわ。だって、アートは何を観ても「ただ感じる」だけなんだもの。こういう、目からウロコの瞬間は、いくつになっても快感だ。自身もカメラマンであるというバーのマスターの距離感も心地よかったし(カメラマンには繊細な人が多いよね)、来てよかった。

バーに残ると言ったTクンを置いてW氏と帰る。なぜか、どっちがJRを先に降りたかだけ記憶が無いんだけど、ちゃんと別れの場面まで覚えていますよ。忙しいのに遅くまで付き合ってくれて、ありがとう!!!

そうそう。酔うといけないからと煙草をずっと我慢してた。近所のお気に入りカフェでビール一杯&一服して帰る。カズはババと一緒にすやすやと眠っていた。

PCを開いてネットしながら、白ワインを少し飲んで寝た。

「セカンドサイトサービス」

2007-06-25 12:19:26 | 仕事
ボランティアで書かせていただいたプレスリリースです。なかなかユニークなビジネスなのでご紹介をば。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アメディア、SEO対策に特化した「セカンドサイトサービス」を開始
~集客に効果。立ち上げ費用不要、制作から運営までを年間管理費のみで提供~
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
視覚障害者のための情報機器およびソフトウェアを開発・販売する株式会社アメディア(東京・新宿、望月優代表、http://www.amedia.co.jp/)は、 2007年6月、「セカンドサイト制作・運営サービス」をスタートしました。

本サービスは、既存のウェブサイト(=以下メインサイト)に手を加えることなく、新たにSEO対応力に特化した「セカンドサイト」を設けることで、集客力アップに貢献するものです。

ネットビジネスを展開する企業・団体にとって現在、SEO対策は最重要課題。しかし、メインサイトを構築し直すには大変な労力を要します。検索結果で上位に表示されるための適切なキーワードを盛り込んだセカンドサイトがあれば、手間なく、より多くのお客様をメインサイトへと誘導することが可能になります。

このアイデアは、自身も全盲者である代表・望月優の実体験から生まれました。「ページ数の多いウェブサイトで必要な情報を見つけ出すのがいかに難しいか」。障害者や高齢者に配慮したウェブアクセシビリティの技法を適切に用いて作られるセカンドサイトは、情報弱者にとっても、アクセスしやすいサイトとなります。

セカンドサイトの基本構成は、トップページ+集客用のサブページ群。サーチ対象となるトップページの文章骨子はアメディアが作成するため、開設にあたり顧客の手間をとらせません。また、サイトレンタル方式なので立ち上げ費用は一切必要なし、格安な年間基本料金のみでの利用を実現しました。

ベーシックな「格安集客アッププラン」(年間基本料金:63,000円)のほか、「集客アップ保証プラン」(年間基本料金:189,000円)を用意。後者は、伝達キーワードの Google または Yahoo! いずれかでの検索結果が1ページ目(10位以内)に登場した翌月からサイトレンタル料が発生する効果保証プランになっています。

料金体系や納期、著作権などその他の詳細は、弊社ホームページにてご確認ください。
「セカンドサイト制作・運営サービス」

「視覚障害者のための情報関連機器およびソフトウェアの開発・販売 アメディア」

2007/6/24(日)

2007-06-24 23:13:29 | バリアフリー
カズをダーに預けて午後、アドセンス申請祭へ。

インターネットで障害者の経済的自立を目指す「ネット福祉作業所」が最近始めた事業に「チームアフィリエイト」がある。これは、代表M氏によるメール講義を受けながら、ただ知識を得るのではなく、実際にチームの皆が書いた原稿を集めてホームページを作り、アフィリエイトを一から体験してみようというもの。もちろんM氏が最終的に目指すのは、メンバーが個人でHPなりブログを持ち、そこでアフィリエイトをやって得た収益が少しでも障害者自身の自立に役立つことである。私はこの事業にサポーターとして参加させていただいているのだが、先日、遂にホームページが一応の形を見たので、顔見せも兼ねて皆で集まってアドセンスの申請を行おうじゃないか、という日なのである。

会場は代表M氏宅。目が見えない人がどうやって暮らしているのかを見てみたいという好奇心は正直あった。ある程度、予想はしていたが、まだまだ晴眼者には思い至らない点が多いことに気付かされた。まず、部屋が真っ暗だということ。当たり前だが普段からカーテンは閉め切ったまま。使う必要がないから電気を点けるスイッチの場所がご本人すらわからない。基本的に片付いている。特に足元にモノが落ちていると危険だからだ。そして書籍等の印刷物がない。一番驚いたのは、ディスプレイの無いパソコンをM氏が自在に扱っていたことだ。そうだよね、キーボードさえあればいいんだもの。今日集まったのは全員「視覚障害者のためのパソコンサポーター養成講座」を受講済みの人たちだが、それでもみんなこの光景には驚いていた。

狭い部屋に集まってみんなであーだこーだ言いながらやるのは、学生時代に戻ったようで楽しかった。今日初対面の人もいたのだけど、なんでみんな初めて会ったような気がしないんだろ。目的を同じにする人たちの集まりって、なんて居心地いいのだろう。

チームが今後取り組む課題などを決めた後、近所のインドカレー屋へ。マトンはちょっと固かったけど、ルーの味はよく、ナンもおいしかった。

帰りは高田馬場方面と早稲田方面ふたてに分かれ。私はT氏と大手町まで一緒に帰った。そうそう、今日のメンバーは、養成講座以降、みなマイミクになっているのだが、T氏のmixi日記は新商品や食べ物、デザイン、可愛いモノの情報がいっぱいで私はいつも楽しませてもらっている。私のコメントで、私が好きそうなものはわかっているらしく、電車内では彼のモバイルギアやメガネケース、龍笛など、面白いものをたくさん見せてもらった。彼は私のケータイを「なにそれ!? 触ってもいい? かっこいい~!」と大興奮していた。ほら、いいと思うモノの感覚がいっしょなんだから。

いちおう昼ご飯は用意しておいたのだが、夜はピザをとるなど適当にやって、とダーに頼んでおいた。白金高輪の「クイーンズ伊勢丹」の果物コーナーを見たがいいのが無かったので、近所の「ミニストップ」でダーにパインをお土産に買って帰る。

台所のテーブルの上にはケンタッキーの袋が。カズの説明によると、雨の中カッパと長靴を履いて、パパと一緒に事務所まで歩いて、その後、広尾で買い物して帰ってきたのだという。お疲れ様!

明日は飲み会。よって、本日もノンアルコール。いろいろやりたいことはあったが、体調万全にするため早めに布団に入った。

2007/6/22(金)

2007-06-22 00:48:55 | アート・音楽・本
「マルレーネ・デュマス展」を観に東京都現代美術館へ。ここは交通の便が悪いし、行こうかどうしようか迷っていた展覧会だったが、ネットでたまたま申し込んだら招待券が当たったのだ。来週はまたどうなるかわからないし、会期中で確かなのは今日くらいなので、雨の中、思い切って出かけたというわけ。

南アフリカ出身、いま最も世界で注目を浴びている女性アーティストのひとりである。自身が育ったアパルトヘイト下での経験をベースに、差別や偏見、そして民族やセクシュアリティ、ジェンダーなど、現代社会が抱える複雑で多様な問題を喚起しているのだと言うが、難しいことは私にはわからない。絵画はもちろんのこと、映像作品2点、さらには本人を追ったドキュメントが良かった。子どもを“自ら望んで"持ったというデュマス。なのに出産後、彼女はジレンマに悩み続ける。「自分はいままで通り自由でいられるのか」「これまでのように自分の興味のあることだけに注力していいのか」「自分をすべて脇に追いやるべきなのだろうか、母親がそうして私を育てたように」「子どもの存在は大きい」。まるで私の心の中を見透かされているようだった。というか、同じことを悩むのだな、と思った。自分らしく生きようとすればする人ほど。

私は個人的には、子どものために無私で尽くす母親より、自分を貫く母親のほうが好きだ。だからできるだけ私もそうしようとしている。が、迷いは常にあるのだ。ただひとつ決めているのは、子どもには嘘をつかず、格好付けず、自分のありのままを見せようということ。あとは、私を好こうが嫌おうが、子どもの自由だからだ。私みたいに、親の正体がつかめない(または騙されていると訝る)不安定な関係では、自分の感情すら決めることができない。

地下一階の「東京ワンダーウォール公募展」と特別公開中の岡本太郎の巨大絵画「明日の神話」を見て。

東京駅の「ドンピエールエキスプレス」で和牛カレー。やっぱうまい。で、帰宅したら15時半だった。ほら、この美術館はほとんど一日がかりになっちまう。

夕方、疲れたのですこし眠った。たとえその睡眠が15分でも、起きねばならない時間に私はぱっと起きられる(昼寝に限り)。

カズ迎え。

かなり前、「酒は一日おき」さらに「カズが起きているあいだは飲まない」、守らなければひどい目に遭うからねー、と自分で決めたのだが、本当にひどいことが起きるので怖くなって今週から遵守。だが、金曜夜だけは無礼講。カズは大好物の豚しゃぶにして、まだお腹が減っていない自分はクリームチーズにハチミツかけて(これにシナモン振ると白ワインの最高のつまみ!)、くるみとともにワインちびちび。久しぶりだから本当においしかった。

最後に、忘れたくないデュマスの言葉を記す。
「いま私たちの怒りや悲しみ、
死や愛といった感情をリアルに表現してくれるのは写真や映画になってしまった。
かつては絵画が担っていたそのテーマをもういちど絵画の中に取り戻したい」

「黒と白が人種でなく色であっても
人びとはやはり恋に落ちるだろう
そして恋人同士の間に差別をもちこみ
寂しく思い、後悔するだろう。
そして心を激しくゆさぶり、
苦痛が美となるところへ
誘ってくれる芸術に焦がれるだろう」

「芸術の狙いは
常に変わらず
自らの名さえ
失念させること」

「マルレーネ・デュマス展」

2007/6/21(木)

2007-06-21 23:31:48 | 仕事
カズを送ったあと、事務所へ寄る。ダーのシーツが破れてしまって無いので、寝具激安店「近代」開店までの時間潰し。壁に貼ってある作品集のゲラを立ったまま眺めながらクレジット等の校正。半分やったところで10時をはるかに過ぎていることに気付き、事務所を後にする。

ガクの散歩中、近所の婆さんに会ったので、「こんにちは!」と挨拶すると、にわかに顔が曇った。「ひゃああああ!」という声がいつ出てもおかしくないくらい動揺している。直後、明らかに私を非難する表情で「ぼっちゃんは?」だって。「保育園です!」と言うとやっと納得したようだ。子どもを置いて犬の散歩に出ていると思われたのだろう。こういうところが中途半端な顔見知りは困る。

14時からの打ち合わせのため新宿へ。これで私のmixiによる営業は、2件成立となりました(その他にも、2本が保留中。売上が100万を超えたら報告します)。普段でも時間には余裕をみないと嫌なタチなのだが、この暑さ! 取引先に直接行ったら汗だらだらになるのはわかっていたので途中のサンクスでクールダウン。ビル前でダーと待ち合わせ。

女性経営者と外の喫茶店で打ち合わせ。汗っかきのダーはさぞ助かったことだろう(先日伺ったとき、事務所がかなり暑かったので)。

喫茶店の前でダーと別れ、私は先日ゆっくり見られなかった伊勢丹を探訪。平日なら少しはましかと思ったが食品フロアの混雑はかなりひどい。B2Fへと降りるエスカレーター脇の貼り紙で、BPQCが衣類品の取扱を中止するためセールを行っていると知る。トイレへ直行し、ゆっくり深呼吸。ここの服売場は危険なのだ。つい、「そのディスプレイ、上から下まで全部ください」という大人買いをしそうになるから(実は実際一度やったことがある。冬物7万也!)。ましてセールだなんて。

きょうは自分的にはあまりいいのがなくて助かった。何も買わず。その後、オシャレな曲がかかっていたCDコーナーへ。試聴を次から次へと。わかった、私はクラブミュージックというよりハウスが好きなのだ。あの、トントントントンという規則的なリズムが恍惚へと導いてくれる。なんでだろう。心臓の鼓動に似ているからかしら。

帰路、足取りが軽くなっているのがわかった。ここのところのパワー不足は明らかに音楽を聴いていないせいだ。「I NEED MUSIC!!!」「踊るように、生きよう。」など、どこかで聞いたようなコピーが頭に浮かんできた。ホント、“踊るように" 生きようと思った。私はすぐに淀むから。揺れて、弾んで、回り続けよう。邪なものを振り落とし、常に清らかな魂でいられるように! 

17時半迎え。早めのお迎えでカズ嬉しそう。入浴時、浴槽で洗面器をかぶり、「ぱぱ、このうえからしゃわーかけるのよ」「たまご、やけましたってわたすと、まだはんじゅくですっていうの」「ぱぱ、おかしいよねー」と言っていた。私が同じことをやってもウケてくれないので、カズから洗面器を奪い取り、目深にかぶって「ボク、卵王子!(NHKの人気番組のキャラ」とやったら顔を真っ赤にしてヒーヒー笑っていた。

2007/6/20(水)

2007-06-20 23:29:46 | 仕事
チャリを恵比寿駅駐輪場に預けて、JRで五反田へ。駅前でコーラのサンプリングに遭遇、積極的に1本もらった。「これで駐輪場代100円チャラ!」とセコいことを思ってしまう。目指すはTOCのアカチャンホンポ。今日もハンパなく暑いのに、駅からまた歩くんだ、これが。そして実は、去年骨折した右足首を私は先日ひねってしまい。調子が悪いときには事務所まで歩くのもしんどいほど痛むのだ。特につらいのが階段の下り。日陰を選んで歩いていたら歩道橋を登らねばならなくなり、到着までに疲労困憊。

アカチャンホンポでカズの上履きを購入、ABCのアウトレットではサンダルを探した。

天気がいいので寝具類すべて洗濯して干す。先日の転倒で血だらけになったカズの夏用スニーカーも洗う。

PCをチェックしながら、コンビニで買ったサンドイッチをパクついて急いで事務所へ。

14時から経理打ち合わせ。今日は半期末なのでいつもの担当者女性に加え、税理士もいらっしゃる。農場主と、私よりも長い付き合いの彼をあおって、ダーにハッパをかけてもらう。ダーはいつも私のことを「どうせ言ったって聴きゃしない」とか言うけれど、私だってとっくの昔に自分が意見することなんか、諦めてます。普段ブーブー言うのは、だからただの文句だもの。好きにすればいいと思う。ただ、私は知らないよ。その日暮らしも結構! 慎重なのもわかるけれど、物事には「機」ってものがあるんです。遅すぎたと後悔しないようにね。気付いたら大切なものすべて失うわけだから。

クサクサした気分でいったん帰宅し、昨日書いた原稿をチェックして送信。

自転車で高輪支所へ。今年度の犬の登録票を交付してもらい、区立保育園の申込用紙をもらう。その後、実は当初から入園を考えていたインターナショナル系のプリスクールを外から観察。ここは国籍はもちろん、各種障害のあるなしを問わず受け入れて一緒に学ぶという素晴らしい教育方針の学校で、子どもに教えたいことは「この世にはいろんな人がいるということ」その一点だけの私は結構本気でカズを入れようと思っていたのだが、なにせ2歳当時、ひとつも日本語が出てきていないのに、英語で授業受けさせるなんてとんでもないかなと思ってやめたのだ。うー。最近、移転したとは聞いていたが、やはり庭がないのか・・・。それじゃあ、今の保育園と一緒だし。いまのおしゃべりカズじゃ、「みんなが(英語で)なにはなしてんのかわかんないよ!」とか言って登園拒否しそうだし、やっぱりここも駄目か・・・。

また帰宅。バスでカズお迎えへ(私は目が悪いので夜間の自転車は危ないから)。

ダーと保育園で待ち合わせて、ケーヨーデーツーへ連れて行ってもらう。あまりにも暑いので、事務所用と自宅用にふたつ、広告の品の扇風機を買った。私は折れてしまった物干し竿も買った。ダーは蛍光灯も。

車で送り届けてもらい、カズとふたりで荷物をヒーヒー運んでいたら、はす向かいの家のおばさんが出てきて、「ちょっと・・・」と言う。もちろん会えば挨拶はするけれど、この世の不幸を一身に背負ったかのようなくらーい人なので、なんかのクレームかと思って「は?」と近づくと、「とうもろこしをいっぱいもらって困っているんだけどもらってくれない?」とのこと。「この子だいすきなんですよ」と答えると、「ありがとう!」と逆に御礼を言われ、3本もいただいてしまった。一人だから食べきれないという。じゃ、あの、隣家の水瓶に立ち小便ドボドボ入れていたドラ息子は、出て行ったのか?(彼自身も気付いていないだろうが私は二階から一部始終を見ていたのだ。たぶん彼の隣家、つまりうちの向かいのオバハンが嫌いだったんだと思う。正義感が強すぎるだけなんだけど、近所としょっちゅう摩擦を起こしているから。私は誰を敵に回したらいけないかを常に瞬時に判断するため、彼女とは引っ越し当時から仲良くさせてもらっている)

材料が残っているので、またまたゴーヤチャンプルー。先日は豚肉が無かったので実は砂肝を入れたのだが、今日はちゃんと豚こまを入れてみた。当たり前だが、きょうのほうがうまかった。

夕食時にビールを飲んだら激しい頭痛に襲われ、ダウン。なんとかカズを風呂にだけは入れたが、夕食の後片付けもせず、21時半過ぎに寝る。どうやら鼻の調子が悪いときにアルコールを飲むと、頭痛を引き起こす体質になってしまったらしい。多分いいことなんだろうなぁ、私にとっては。

2007/6/19(火)

2007-06-19 22:59:33 | 
カズ送り後、事務所にて経理書類をファイリングして帰る。昼前、帰宅。

台所に入った途端に、うわっ!とのけぞってしまう。裸の大きなのがむっくりと背中を見せていたから。カズのハイチェアに座ったダーだった。

自分で冷や麦を茹でていたのであった。「ネギ無いよ」というと「なんで?」とむっとした様子。先日、ダーは自分でネギを刻んで残りをタッパに入れておいたのだ。「だってどうせ使わないで残すと思ったから昨日チャンプルーに使っちゃったよ」と言い返したが、ネギ無しの麺じゃあんまりだ。

「ごめん、買ってくるよ」と言い、スギノキヤまで自転車を走らそうと玄関を出たら妹が居た。貸していた本やCDを返しに来たのだ。引っ越しは今週日曜日。いよいよだねぇ。

食後、「包丁がさ、切れないのよ。研いでよ」と言って砥石を渡したら、ダーはせっせと研ぎ始めた。丁寧に、黙々とやる。後ろから見て、パンツの上に乗っている腰の贅肉が哀しい(私も同じようなのが腹に乗ってますが)。ときどきネギを切っては切れ味を確かめている。すごいねぇ、うちの旦那さんは何でもできて。私は彼が家で本当に何もやらないかのように日記に書いているが、そうさせているのは世話好きでいたい私なの(最近、私って実は男を駄目にさせるタイプの女ではないかとやっと気付いた)。ホントは、家事も料理も洗濯もDIYも、ダーは私より数段上手です、すべて。ただし、片付けだけは駄目だけどね。こればかりは本人が気にならないのだったら直しようがない。

途中、夕食の準備もしたが、カズお迎えまで、とにかくずっとアフィリ原稿。カズ就寝後も0時半過ぎまでやった。

その後、そのまま寝るのがつまらないので、HDDに録画した「リンカーン」見る。説教先生ホリケンの回。宮迫はじめ、みんなに「苦手」と言われていたけど、実は私はかなり好き。くだらなさという点でこちらの想像を遙かに超えるから。笑いは、とことんくだらなくなきゃ。やっぱり、何度も笑わせてもらった。ちなみにこの年代の芸人で他に私がうっかり笑ってしまうのは、ビビる大木と土田晃之(松ちゃんと爆笑問題の太田は別格)。あとオヤジ組では、なぎら健壱と高田純次、デーブ・スペクターかな。いやー、ベタだ。

2007/6/18(月)

2007-06-18 00:36:45 | 仕事
カズを送り、いったん帰宅してガク散歩、洗濯物干しを済ませ、またチャリで事務所へ。

経理。近所のデイリーヤマザキでインドカレー2種セットというのを買って昼食を済ませたあとは振替伝票起こし。その後ちょっと仕事の資料など整理してほぼすべて終わった15時頃、ダー出社。あれ? 確か朝起きて一緒にご飯食べたはずだけど、また寝ちゃったのかな。

とにかく事務所は不要物が多すぎ。これじゃ、新しい物が入り込む隙はないと冷酷にも思ってしまう。

帰宅してちょっと休んで。

高校時代の仲間が集まる掲示板を覗いたら、親友Oが夏バテ防止にゴーヤをせっせと食べていると書き込んでいて、豆腐嫌いなのにゴーヤチャンプルーが食べたくなった。お迎えの後、カズを連れてピーコックで買い物をしていたら、カズと同じクラスのママに遭遇。「これからお迎えですか?」と聞いたら「そう。19時に滑り込みセーフ!」と言われた。彼女はいつも朝イチの8時に娘を預けているのだとか。上の子もいるんだよね、確か小学3年生とか。ホント、お疲れ様です。私にはとても真似できない。

試食をカズが美味しいと言ったのをいいことに、砂肝の塩炒めも買ってしまった。ゴーヤチャンプルーに砂肝ときたらビールでしょ。オリオンビールとともに夕食。最近、デブ街道まっしぐらなのでご飯はやめておく(だったらビールも飲むな!)。

夜は、モルツ飲みながら出来事てんこもりだった土日の日記を書く(ロゴ等含め、デザインは好きなのだが、缶の表面のざらざら感は口当たりが悪いと今日気付いた)。「書けるだけかいてください」と言われているアフィリ原稿も書かなければ、という気はあるのだが身体が付いていかない。枕元にある本をぱらぱらめくりながら1時半過ぎに就寝。

2007/6/16(土)

2007-06-16 17:51:06 | 仕事
今日は午後からカズをダーに預けて出かける予定があるため、寝ている彼を起こさないようにして、できる限りの用事を済ませていく。

昨夜、ダーに臭いと文句を言われたガクをシャンプー。私も裸になって風呂場にこもらなければならないので、カズにおとなしく待っているよう言い含めて。水が嫌いなガク、途中から「クゥーンクーン!ヒーン!」と切ない声で鳴く。カズは外から「まま、おしっこ~」と訴えてくるし、しっちゃかめっちゃか、もう汗だくの格闘状態である。

洗濯物をしまうのは、カズに手伝わせた。ピンチから外すのは前からできたのだが、今日は畳み方を教えると、パンツ、靴下、Tシャツそれぞれ違うのにもかかわらず、必ず一回で完璧に覚えて再現する。お見事。

カズと私の食事だけ済ませ、昼頃起きてきて「つるつる~(冷や麦のこと)」というダーには「悪いけど時間ないから自分でやって!」と言って走って出かける。

実はここ数日急展開があり。その著書を読んで感銘を受けてから、ずっと会いたいと言い続けてきたPR業界の大先輩H氏(先日仲介者のチョンボにより会えなかった人)と、個人面談することになったのである。

企業の利益そのものよりも社会的視点に立ったPR発想を信念とする。さらに自分がこれまで培ってきたスキルは惜しみなく公開し、社会に還元する。そんな彼のビジネススタイルを私は弟子入りしたいくらい尊敬していて。会うことができなかったので、そんな想いを熱く綴った手紙を送ったらすぐに返信メールが来て、「ずっとそう自分の意志に賛同してくれる人を待っていた。老い先短い自分の代わりにぜひ後世に伝えて欲しい。一緒に仕事をしましょう」と言われたのだった。

いやー、話したはなした。と言っても、90%くらいは彼が話していたのだけれど。途中から仲介者である化粧品会社経営の女性も合流。彼女の会社が今度立ち上げる新製品のPR戦略についてお話しを伺っただけで、とても勉強になった。

伊勢丹でお寿司を買って帰る。リニューアル後なので売場は大混雑。コンシェルジュ?の男性に場所を尋ねると、まず種類別に3箇所あると答えてくれ、「どちらをご案内いたしましょう?」と聞いてくれる。迅速かつ丁寧的確な応対に感心する。

帰宅後、猛烈な胃痛。胸も張っているし、下腹も重い。まるで生理前みたいだ。まだ早いと思うんだけど・・・

先日アフィリ講座の原稿を送った主催者Mさんからメールあり。「読み手を引き付けることに心を砕いていることが判る文章ですね。それだけに、同じ単語を繰り返すのに苦労の跡が見られます」「文章自体に魅力があるので、これ以上のキーワードつめこみを私から求めたりはしません」と。短い原稿に四苦八苦したのをわかってくれて嬉しかった。さすがだと思う。

食事時のビールに始まり、ワインの残り1杯、日本酒小瓶、缶酎ハイ1本と少量ずつながらちゃんぽんして寝る。ベターホーム協会『大切な食べ物を無駄にしない読本』と、この夏、旅行を計画している山陰・山陽の旅行ガイドを読んで寝る。

2007/6/14(木)

2007-06-14 22:38:44 | 仕事
カズは朝からコンコン咳き込む。あー、やっぱり、昨夜ダーツバーに行かせたのが間違いだったか。今回は完全に私が悪い。ここ数日は、ただ熱が高いだけでとにかく元気だったし、「お迎えにいった様子で大丈夫そうなら夕食がてら連れていっていいよ」とダーに言ったのは私だからだ。

ま、今日も元気はげんきなのだけど。

何度言っても全然着替えようとしないので、「ね、ママさっきからカズになに頼んでる?」と聞くと、「ゆかのそうじ~」とか「いぬをつかまえる~」とか「ごみをすてる~」とか適当なことばかり言う。こういう“はぐらかし"は完全にダー似。私が本気で怒っても最近は「あい~♪」とか軽く答えるし。憎たらしいやら可愛いやら。

頭の片隅でカズを心配しながらも、今週保育園を休んでいたせいでずっと手を付けられなかったアフィリ講座の宿題(原稿書き)に午後とりかかる。

17時、ケータイが鳴る。嫌な予感。案の定、園からだった。咳がひどくなった上にいま38度6分の熱があるので布団で寝ていますとのこと。なんだよ、もっと早く言ってくれれば!

雨。ダーに電話して車を出せないかときくと「忙しいけどいいよ」と言われたので、「忙しいならいいよ!」と答えて切る。急いでお迎え。タクシーで帰らせるつもりだったが、本人は至って元気で先生も「寝ながら鼻歌うたってました」と言うので、安心して合羽きせてバスで帰る。なにしろ子どもは雨の中を歩くのが好きだからねぇ。

夜はアフィリ原稿の続き。たった600字程度に、先日の追悼文にかかったと同じくらいの時間を費やしてしまう。でも、初めてのことを覚えるのは楽しい。というか、仕事は常に、自分の能力の少し上を行くくらいのことじゃないと、やっていてもつまらない。

いちおう仕上げて主催者にメール送信したあと、布団の中で『現代原色しごと図鑑 しごとサンプル1 ムーブメント製造業~時代の空気をつくるしごと』を読む。取材協力はサニーサイドアップ。中田英寿や北島康介といったスポーツ選手のマネジメントで知られるPR会社である。本シリーズは、これまでにない形の“就活本"。著者である現代就職研究会は、幻冬舎メディアコンサルティングが本質的なリクルート書籍をつくることを目標に掲げ設立した、有志からなる研究会らしい。さまざまな「現代」の「しごと」を徹底的に図鑑化することを目指しているのだという。私、こういう原稿、結構得意なんですけど、趣旨にはおおいに賛同したいなぁなどと思いながら寝る。

「幻冬舎メディアコンサルティング 現代原色しごと図鑑」

一周忌によせる追悼文「あるボスの死」

2007-06-13 14:06:37 | 仕事
根岸淳。半年の闘病生活の末、2006年6月12日、食道癌のため永眠。享年59歳。

2006年元旦、根岸さんとセックスする夢を見た。ふだんの言動からして、相当自分勝手な行為をする人なのではと想像していたが、夢の中での彼は思いの外ひたむきで可愛かった。何故こんなことを覚えているかと言うと、目覚めた時、とても驚いたからだ。「そうか、私たちってこんなふうになってもおかしくなかったのか!」。彼の死後、私があまりにもその死を嘆くので、中にはその関係を邪推する人もいるようだが、これだけは最初に断っておく。私はこれまで、根岸さんに対して特別な感情を抱いたことは一度もない。

1994年初夏、当時専業主婦だった私のもとに一本の電話がかかってきた。以前勤めていた会社の先輩から。「いま何やってんの? 知り合いの社長がアルバイトの女の子を探しているんだけど」。

翌日には一緒に面接に行った。ニューヨークへ語学留学するために近々退職予定の女性に代わる人を探しているのだという。当然だが後任をすぐに決めたい彼女、私のことを仕切りに持ち上げた。根岸さんは、「おでこが可愛いな」と照れくさそうにひとことだけ答えた。

全身黒でまとめたコーディネート。贅肉のかけらもない体型に坊主頭。一見強面だが、海の男らしく、日に焼けた顔が笑うと皺くちゃになる。威勢が良く、気が短い。典型的な東京下町の男だ。根岸さんの印象は悪くなかったし、「できる人なんだろうな」と直感したが、一男性としては、私が最も苦手とするタイプだった。

その日に採用が決まり、初めて出社した夜。四谷荒木町のちゃんこ屋で私の歓迎会が開かれた。隠すつもりは無かったので、私は今の自分の状況を正直に根岸さんに話した。“自分は結婚しているが、実は他に好きな男性がいる。いずれは今の旦那と別れてその人と一緒になるつもりだ”と。

彼女が渡米した後、私と根岸さんのふたりだけの日々が始まった。もちろん忙しければ残業もするが、基本10時-18時の勤務である。終業時刻が近づくと毎日「イズミ、ビール買ってこい!」といつも酒屋に走らされた。彼が他の人とアポイントが入っている日以外は、毎晩必ずふたりで飲んだ。その後、飲食店で御馳走になることも多かった。

せっかちな根岸さんは、すぐに私の恋人(現在のダー)に会いたがった。初めて紹介した夜、根岸さんは「おまえは彼に惚れてるな・・・」としみじみ言った。「そうですかねぇ?」とはぐらかすと、「目を見ればわかる! オレを見るのとはまったく違う!」と真顔で答えた。私は「この人は世界中の女が全員自分に惚れると思ってるのかしら」とちょっと呆れた。以降、酔うとすぐに「あいつを呼べ!」が始まった。仕事中のダーを何度酒場まで呼び出したかわからない。根岸さんは、私とセットでダーを可愛がってくれた。「あいつも酒が飲めたらなぁ」が口癖だった。

間もなく私の離婚が成立。一足先に独身となったダーは現事務所を住居としていたので、私は一人暮らしのための部屋を奥沢に借り、そこから通勤した。

相変わらず、平日夜は根岸さんとビールを飲み続けた。飲みながら、色々な話をした。酒の席では無礼講を好む人だったので、私も言いたい放題。特に女性関係については、「だから駄目なんですよ!」「女の気持ちを全然わかってない!」「わがまますぎ!」とけちょんけちょんに言った。根岸さんはその度に頭をかいて嬉しそうに笑っていた。

ある夜、互いに缶ビールを5本くらい開けてかなり酔っぱらったとき、根岸さんは突然「おまえの子供時代はどうだった?」と聞いてきた。人は幼少時を思い出すとき、明るく感じるか、暗く感じるか、ふたつに大別されるのだそうだ。私が答えるより先に彼は「オレは真っ暗だ」と言って自分の生い立ちを話し始めた。うかつには書けない悲惨な経験を子供時代の彼はしていた。「これは今まで誰にも言ったことがない」と泣いた。

「去る者は追わず、来る者は拒まず」を信条とする人だった。男気があるので特に男性の信奉者が多く、みな子分のように根岸さんにぺこぺこしていた。ときにはどこから見ても変なヤツがくっついて来ることもあったが、そんな相手にも私が不思議に思うくらい気分よく接していた。

4月から私はダーの事務所を手伝うことになっていた。「オレはお前に辞めて欲しくないけど、お前が彼のところで働くことに決めているならしょうがない」と根岸さんは言った。入社から7カ月、私の体重はきっかり7kg増えていた。

その後、根岸さんには妹までお世話になった。妹が勤めていたこともあったが、当然、私が辞めても交流は続いた。イベントが好きな人だったので、会社では盛大な飲み会が定期的に開かれた。北海道からズワイガニを取り寄せたカニパーティや花見などのお誘いがあるたび、ダーと一緒に参加した。

たまに会うといつも、「おまえはいま何やってんだ?」と聞かれた。「経理とか・・・」と言葉を濁すと、「そんなの週1回で十分だろう。あいつも社員として雇ったからには、おまえの仕事をちゃんと作らなきゃだめじゃないか、な?」と気にかけてくれた。だらしがないミスはきつく叱るが決してあとは引かない。よくできたときには真っ当に褒め、部下のやる気を引き出す。ときに理不尽なわがままを言うこともあったが、ボスとしては最高の人だったのである。

私の中で根岸さんに対して小さなトゲのようなものが芽生えたのは、退社後かなり後になってからである。ある人から私の知らなかった事実を知らされた。本当に私はお目出度かった。世の中は私が思うようには単純ではなかったということだ。根岸さんから最後にもらったFAXの文面をまだ覚えている。「イズミ、子供は?」。私が年賀状で「今年、ママになります」と報告したのを受けて、その夏に彼が送ってきたのだ。まだちょっと怒っていた私は、「流産しました」と事実だけそっけなく返したような気がする。

以降、疎遠になった。でも、在職期間お世話になったことは事実だし、別に私は根岸さんが嫌いなわけじゃないのだ。彼の会社は業務拡大とともに引っ越し、ダーは近くに行く度に顔を出していたらしいが、私は一度も行ったことがなかった。御無沙汰するにもほどがある。「会いに行かなくちゃ」。あるときから気になって仕方なくて、来週こそ電話をしようと決めた2006年6月2日、私は足を折って外出ができなくなった。訪問は、また先延ばしになった。

そして約10日後の13日、訃報が届いたのである。信じられなかった。どれだけ後悔しても、もう遅かった。

「なんでそんな足で行くの? お願いだからやめてちょうだい」と懇願する母を振り切って翌々日の告別式に参加した。ダーに車椅子を押されての参列である。もうこれまでに泣きすぎていて涙は一滴も出ず(このとき、涙が涸れるというのは本当なんだと知った)、私は会場で遺影を睨み付けていた。会社の幹部数名以外には誰にも知らせずに逝った根岸さん。「自分はポリシーを貫いて、最後まで格好良く生きたかも知れないけど、遺された者の身にもなれ!」。ひと目、会いたかったのに。何人の人がそんな思いで訃報を受け取っただろう。

彼の自慢の息子たちはもうそれぞれに所帯を持つほどに成長しており、時の流れを感じた。女の子のお孫さんを指さしてダーは「根岸さんそっくり」とおかしがった。

坊さんの読経もなく、会場には根岸さんが好きだったオフコースが流れる静かな無宗教葬だった。生前親しかった人の弔辞だけがあり、中でも彼の元部下の言葉が泣かせた。“ふたりでよくこういう場にも出席しましたね。そのとき私が、「なんであの人、来てないんですかね?」と言ったら、根岸さん、あなたは言いました。「来る人は来る人の気持ち、来ない人は来ない人の気持ち!」”あまりにも、らしいエピソード。そう、根岸さんは決して他人を非難するということをしない人だった。

ダーに呼ばれ、棺を前に最後のお別れをした。すっかりおじいさんになった顔を見た瞬間、すべてのわだかまりが崩壊した。手を合わせ、号泣した。出てきた言葉はただ、「ありがとうございました」。それしか無かった。

帰路、車の中でダーは、「葬儀場と火葬場が近い施設を選んだのも、来る人の都合を考えてのこと。無宗教葬も含め、ぜんぶ根岸さんからのメッセージだ」と言った。

時が経つにつれ、いろいろな事実が符合したり、また思い出されたりした。

亡くなる直前の5月下旬。私はどうしても息子の目についてのセカンドオピニオンが欲しくなり、これまで行ったことのない某大学病院に、なかば無理矢理ダーと息子を連れて行ったのだが、私はそこで急に具合が悪くなり、原因不明の熱を出したのだ。根岸さんがちょうどそのとき、そこに入院していたということはあとから知った。

それから葬儀に使われていた遺影の件。一緒に働いていたとき、いつものように根岸さんと飲んでいた晩、余っているフィルムで私がふざけて写真を撮ったことがあった。後日プリントを根岸さんに渡したら、「お、この写真いいな! よし、遺影にしよう! 決めた!」と言って、せっかちな彼はその場でチョキチョキ鋏を入れ始めたのである。ビール片手に破顔一笑。あの写真はまぎれもなく、私が撮ったものだ。冗談がまさか本当になるなんて。

私たちは本当にいい関係だった。敢えて定義するなら単なる「飲み友達」だけど、お酒を飲む人ならわかるだろう。いつ会っても、互いに機嫌良く、気も遣わず、楽しく杯を酌み交わせる相手って、実はそんなにいないのだ。

根岸さんが亡くなってからちょうど一年。逝去直後は何度も感じた彼の気配を、哀しいことに今ではほとんど感じることはなくなった。もう天国で、いい飲み仲間に出会えたのかもしれない。でも絶対、彼は私が来るのを心待ちにしているだろうなという気がしている。

2007/6/8(金)

2007-06-08 21:20:55 | 仕事
いろんなことがあって、いろんなこと感じて、いろんなこと考えた日だったけど、事実のメモのみ記す。

午前、目白の椿山荘で行われている全国女性経営者交流会へ。株式会社アメディア代表のM氏(ネット福祉作業所の主催者でもある)から講演会の招待チケットを譲っていただいたため。記念講演で語るのは「銀座テーラー」の鰐淵美恵子さん。44歳まで専業主婦だったが、バブル崩壊とともに経営困難に陥った同店をさまざまな革新により甦らせた女性(折しも10日夜の「ソロモン流」で特集されるそうです)。

講演会終了後、目が見えないM氏をこちらから見つけてご挨拶。彼の知り合いの女性たちと名刺交換(社会保険労務士と、特殊印刷を手がける会社のプリンティングディレクター、同交流会の事務方3名)。時間があればお昼でも、と誘われたが女性はみな忙しいらしく帰ってしまった。結局、私とMさんと東京中小企業家同友会のナイスミドルふたり、計4人で庭園内にある蕎麦庵にて、とろろ蕎麦。

店内に入るまでかなり待たされたため、食後、急いで帰ってしまった彼らに残され、私とMさんでバスに乗り目白駅へ。通学路なので大混雑。でもたくさん話をした。その後、山手線を一駅乗って、高田馬場で別れた。失礼だと思うけど心配で、手すりにもつかまらず杖を頼りにスタスタとひとり階段を降りる姿が見えなくなるまで見送った。

原宿駅下車。竹下通りのロッテリアで一服した後、表参道のヘアサロンへ。

カラーカット。担当S氏と話。人と出会うって素晴らしいけど、こっちにエネルギーがないときは疲れるよねー、と言い合う。あとは、ディストリビューター制度の話など(最近ではネットワークビジネスというらしい)。

思いのほか時間がかかった昼食でスケジュールがおせおせになってしまったので、いったん家に帰る予定を改め、カズを迎えに行く。なぜか夕暮れにはi-Podからバラードが流れることが多く、また恵比寿駅近辺で泣いてしまった。どうしても生ビールを一杯やりたくてダーを夕飯に誘ってみたが、今夜入稿があるので無理とのこと。

なにも用意していないので、カズと家でピザーラとる。結局ふたりでMサイズ一枚と、チキンとポテト&シュリンプ、ほとんど食ってしまった。カズも食べるが、私も食い過ぎ。頭痛を心配しながらゆっくりと赤ワイン。だいじょうぶだった。やっと完全復活だ。

夜、弟の誕生日だったことを思い出し、ケータイに祝福メッセージ送る。ほろ酔いだったので、熱いメッセージになってしまった(内容は、人の目とか意見とか気にせず、好きなことやりなよという)。

入浴後、なかなか寝ないカズと暗闇の中で話しながら、自分が先に眠ってしまった。今夜は雨の予報だったので洗濯もせず。

2007/6/6(水)

2007-06-06 15:17:05 | 仕事
結局、きょう会えるはずの人には会えなかった。その理由は。

なんと仲介者の女性が、話に夢中になるあまり、途中から打ち合わせに同席する予定だった私のことをすっかり忘れたのである。私は新宿駅近くのマクドナルドで2時間弱、彼女からの電話を待ち続けた。いや、別にぼーっとしてたわけじゃなくて『広報・パブリックリレーションズ入門』を読みながらだから別にいいのだけど。つらかったのは、病み上がりだったからだ。

やっと15時前に連絡が来たときには、私が会いたかった御大は帰られたあと。すぐに仲介者の女性が飛んできた。何度もなんども平謝りする。恐縮するのは当然だ、だって彼女から誘ってきたのだもの今日のことは。もう、いいの。私、起こってしまったことには割と諦めがいいほうなのだ。彼女の行動力に便乗して、自分は何もしないで会いたかった人に会えるなんて、ちょっと虫が良すぎたのかも。というわけで、彼には手紙を書くことにした。彼女からはその旨だけ、メールで伝えておいてもらうように頼んだ。

それにしても・・・(微笑しながら溜め息)。実は超マネジメント派の私、時間とか約束を忘れるなんて“絶対に”あり得ない。だから逆に、そこまで話にのめり込める彼女のことを心底羨ましいと思ったよ。ホント、嫌味じゃなくて。だって私なんか、遊んでいるときにさえ時間に縛られているからね。真夏の浜辺でも常に「あ、いま○時だ。○時になったら帰らなくちゃ」とかさ。

なにもしていないのに疲れた。帰宅してグロッキー。迎えをダーに頼む。

少し横になっていたら回復したので、ふと思い立って、寝室の掃除を始める。「そうじ力」の本によると、風呂場と同じくらいに、住む人の健康に影響を及ぼすという寝室。カズといい私といい、あまりに病気が続くので、ちょっと怖くなったわけ。本や衣類、おもちゃ、家電など、あらゆるものが散乱していた畳ベッドの上をすべて片付け、私は今夜からそこで眠ることにした。押し入れにあったテレビ台を取り出し、HDDレコーダーやデジタルチューナーとともに設置。性格上、コード等が絡まっているのも許せないので結束帯等を使ってきれいに束ねていく。

初めて離れて寝るカズ、「ままとおはなししたいの~」と最初は甘えていたが、5分もたたずに爆睡して拍子抜け。

夜は洗濯やらPCにてコメントやらメールやら。その後、今日お会いするはずだったPR界のドンH氏にファンレターを書く。1時過ぎまで。

来週、飲み会とコクーン歌舞伎の誘いが来た。うれしーよー。早く全快して元気に人に会いたい。

※ガクの上が畳ベッド。今日からここが私の寝床です。いくら揺れても大丈夫(なんでゆれる~?笑)。