贖罪の奏鳴曲(ソナタ)
中山 七里 著 講談社文庫(電子書籍版) / 2013.11
護士・御子柴礼司は、ある晩、記者の死体を遺棄した。
死体を調べた警察は、御子柴に辿りつき事情を聴く。
だが、彼には死亡推定時刻は法廷にいたという「鉄壁のアリバイ」があった――。
第一章 罪の鮮度
第二章 罰の跫音
第三章 贖いの資格
第四章 裁かれる者
※感想が感情的になってしまい、不快な気持ちにさせてしまうかもしれません、すみません。
WOWOWのドラマを見て、ちょっと興味を持ったので読んでみることにしました。
神戸の事件の犯人を思い浮かべますが、そう思って読んでしまうと、ラストは納得がいきません。
矯正されたってことですよね、遺族に毎月100万円を振り込んでいたことや(遺族が受け取るとは思わないけど)、少年院で教官を刺した時に出た「ごめんなさい」の言葉など(これだって、きちんと報告するべきじゃないの?)、弁護士になったことより、精神面の描き方が気に入りませんでした。
少年Aが矯正したかどうかは知りませんが、被害者や被害者遺族のことを思うと、少年院に入り、名前を変えて、ある意味犯した罪を隠し通すお膳立てをされ、行動は制限されても、身なりを整え、三食きちんと食べ、規則正しい生活をし、学びたいことを学び、おまけにテレビも視聴でき、さー、何も無かったことにして社会に出て行きなさい!と送り出すとしか思えない少年院に腹が立ちました。
感情で接している教官はダメだと思いますが、御子柴の教官も、御子柴の罪を報告せず、そもそも御子柴を信じられたということが理解できず、何が言いたくて何を導きたかったのかが疑問でした。
あまりにも異常な犯罪であり、その精神を理解できるはずもなく、経緯を解明できるはずもなく、更に、更正だの矯正だのができるとは思えず、おおよそ、後悔と反省の仮面をかぶり、大人をだましているのではないかと思ってしまいます。
神戸の事件だけではなく、女子高生コンクリート殺人、佐世保の二つの事件、そして、川崎の事件など、到底、まともとは言えず、その精神回路はせいぜい研究材料にしかなり得ず、更正を期待するのは間違いだと思います。
少年少女たちはわずか数年の矯正期間を経て、社会に戻され、再犯を繰り返す者もいれば、何もなかったかのように暮らし、挙句、結婚し子供を持ち…と、普通に暮らしているようです。
いつどこで、何かの衝撃で、また事件を起こすとも限らず、それなのに、地元警察は、これらの未成年犯罪者の過去も知らされておらず、果たして、地域住民を護る警察の役割はどうなの?と怒りを覚えました。
犯罪者に甘過ぎると思います。
子供だから未熟だからというのはもう通用しないと思います。
子供だからこそタチが悪いかもしれません。
ですが、室蘭の事件のように、事件への経緯に同情できるものもあるので、その事件の背景をきちんと精査し、その子の精神をきちんと見極め、それからなのではないでしょうか。
簡単に、一括りに少年犯罪と考えては危険ではないでしょうか。
で、ラストというか、御子柴の矯正は気に入りませんが、他は文句なしです。
久々に面白いお話でした。
全く無駄なところがなく、少年犯罪、少年院、法廷、事件のトリックと、比較的、詰め込み過ぎかもしれませんが、ですが、無駄に感じず興味深く読めました。
謎解きが若干物足りなく感じられましたが、怒濤のクライマックスとして思えば、それも有りかもしれません。